とりあえずの神様

夜桜くらは

とりあえずの神様

 時刻は午後五時半を回ったところ。暮れなずむ帰り道を、私はゆっくりと歩いていた。


「ん?」


 アパートの手前にある公園。そこにあるブランコに、誰かが腰掛けているのが見えた。


「あれは……」


 少年だ。まだ小学校低学年くらいの。その子はただ静かに、ブランコに揺られている。

 こんな時間に一人でいるなんて、どうしたんだろう。迷子か、あるいは家出だろうか。気になった私は、その子に声をかけることにした。

 こちらに背中を向けている少年。私は驚かせないよう、静かに歩み寄る。そこで、少年が少し変わった服を身につけていることに気がついた。

 和服だ。まるで時代劇に出てくるような、着物姿である。甚平じんべえ、というやつだろうか。


「こんばんは」


 私は声をかける。少年はゆっくりとこちらを振り返った。


「……だれ?」


 可愛らしい声だった。高い声だから、もしかしたら男の子ではないのかもしれない。


「あ、ごめんね」


 私は微笑むと、少年の隣のブランコに腰掛ける。


「お姉さんは、そこのアパートに住んでいるの」


 少年は不思議そうに首を傾げている。私は構わずに言葉を続けた。


「あなたのお家はどこなのかな?」


 少し迷ったあと、少年は答えた。


「そこだよ」

「そこ?」

「うん。ぼくの、お家」


 そう言って少年は、公園の奥を指す。そこには小さなほこらがあった。

 あれ? あんなところに祠なんてあったっけ……?

 私が不思議に思っていると、少年はブランコからぴょんと飛び降りた。そしてそのまま、祠の方に駆けてゆく。


「あ、待って!」


 私は慌てて立ち上がって少年の後を追う。祠の前に立つ少年。私はその背中に向けて言う。


「そこ、あなたのお家なの?」


 少年は振り返ってこくりとうなずく。

 祠が家なんて……いや、まさかそんなはずはない。


「あのね、これは神様をまつっているものなの。あなたのお家は別の場所にあるんじゃないかな?」


 しかし少年は、ふるふると首を横に振る。


「ううん。ここがぼくのお家だよ」


 そんな馬鹿な。そう思ったけれど、少年の真剣な目を見ると、とてもそうは言えなかった。


「ぼく、カミさまだから」

「神様って……」


 私は少年の姿を見る。どこからどう見ても普通の人間だ。神様であるようにはとても見えない。


「じゃあ、何の神様なの?」

「トリあえずのカミさまだよ」


 とりあえず? 私はますます困惑した。


「え、神様じゃないの?」


 少年は「うーん」とうなる。それから答えた。


「ぼく、『トリあえずカミさまになって』って、えらいカミさまから言われたの」

「偉い神様?」


 少年はうなずく。


「だからぼく、トリあえずのカミさまなの」


 そんなことがあり得るのだろうか。というか、とりあえずって……。日本には八百万やおよろずの神がいるとは言うけれど、そんな適当な……。


「えらいカミさまは、『トリあえず行ってみて』って、ぼくをここに来させたんだよ。お家はトリあえずだから、ちょっとせまいけど……」


 私が考え込んでいる間も、少年は話を続けていた。くるくる変わる表情と、少し舌足らずな話し方。会ってからまだ数分しか経っていないのに、不思議と私はその少年に惹かれていた。


「ねえ、あなたのお名前は?」

「ぼく? ぼくはね、トリあえずだよ」

「えっと、そうじゃなくて……」

「??」


 少年は首を傾げる。

 もしや、『とりあえず』が名前だと思ってしまっているのだろうか。


「ねえ、ちゃんとしたお名前はなんて言うの?」

「……わかんない」


 少年は少し寂しそうな顔になる。私は慌てて謝った。


「あ、ごめんね、そうだよね……」


 でも困ったな。名前も分からないんじゃあ、なんて呼んだらいいか分からないよ……。

 私が悩んでいると、少年が言った。


「じゃあね、お姉さんにつけてほしい!」

「え?」


 少年は目を輝かせている。どうやら本気で言っているらしい。

 うーん……名前かあ……どうしよう……。とりあえず……りあえず……あず……。


「えっと……『あず』っていうのはどう?」


 我ながら安直な名前である。でも少年は、とても喜んでくれた。


「アズ! いい! ぼく、アズ!」

「よかった。気に入ってくれた?」

「うん!」


 少年……あずは満面の笑みを浮かべた。それから祠の方に駆けてゆくと、その前でぴょんぴょんと跳ねている。よほど嬉しかったらしい。


「ぼく、帰るね! ばいばい、お姉さん!」

「え?」


 私は思わず目を丸くする。しかしあずはそんなことを気にする様子もなく、祠の中に消えていった。

 私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


「……夢、だったのかな……」


 あずが消えた祠を見つめながら呟く。白昼夢でも見ていたのだろうか。それとも……本当に神様だったとか? いや、そんなはずはないよね……。

 私は首を傾げながら、アパートに向かって歩き出した。



「あっ、お姉さん!」


 あずと再会したのは、その二日後のこと。勤務中、祠のある公園の前を通りがかったときである。


「あずくん!?」


 私は思わず声を上げる。あずはにこにこしながら、こちらに駆け寄ってきた。


「やっぱり! お姉さんだ! これなあに? カッコいいね!」


 私はパトロール中で、自転車に乗っていた。あずの言葉に、私は自転車を降りて答える。


「ああ、これね。自転車っていうんだよ」


 あずは初めて見るらしいそれを、興味津々に見つめている。

 それよりも、この時間は子どもなら学校にいるはずじゃ……? 私は心配になって尋ねる。


「あずくん、学校は?」

「がっこう?」

「うん。ほら、お勉強するところだよ」

「わかんない」


 あずは首を振った。

 どういうこと? この子、本当に学校の存在を知らないの……? いやでも、小学生くらいの子が『学校』を聞いたことがないなんてことあるだろうか。というかそもそも、あずは本当に小学生なのか……? 分からないことだらけだ。私は諦めて話題を変えることにした。


「ねえ、あずくんは何をしていたの?」

「えっとね、トリあえず遊んでた!」

「遊んでたって……」


 まさか、この二日間ここでずっと遊んでいたのだろうか。そんなことあるわけがない。

 もしそうだとしたら、この子の親御さんは何をしているのだろう。


「お姉さんも、いっしょに遊ぶ?」


 あずは無邪気な笑みを浮かべる。


「ごめんね、お姉さんお仕事中だから……」

「そうなんだ……」


 途端にあずはしゅんとしてしまった。その様子を見ていると何だか申し訳ない気持ちになってくる。

 このまま放っておくわけにもいかないし……。そうだ、一度巡査部長に相談した方がいいかもしれない。


「あずくん、お姉さんと一緒に来てくれるかな?」

「うん、いいよ!」


 あずは笑顔でうなずく。私はあずを連れて、交番まで戻った。



「へえ、迷子の神様かぁ! そりゃあ面白い!」

「面白いじゃないですよ……」


 私は頭を抱える。堀内ほりうち巡査部長は豪快に笑った。


「すまんすまん、そう気を悪くしないでくれ」


 あずは堀内さんのことが気になるのか、私の後ろで彼のほうをじっと見ている。


「えっとな、あずくんだったかな?」

「はーい!」


 名前を呼ばれて嬉しかったのだろう。あずが元気よく返事をする。堀内さんは微笑みながら続けた。


「あずくんのお父さんかお母さんは、今どこにいるのかな?」

「わかんない!」

「わかんないかあ。じゃあ、お家には誰がいる?」

「えっとねー、えらいカミさま!」


 あずはニコニコしながら言う。その答えに、堀内さんは苦笑した。


「こりゃあ本当に神様なのかもなあ」

「いや、そんなわけないでしょう!」


 私は思わず声を上げる。それから清水しみず巡査を振り返って尋ねた。


「清水さん、どうですか? 何か分かったことは……」

「うーん、そうですね……」


 奥でパソコンに向かっていた清水さんは、考え込むように答える。


「この近辺で子どもの捜索願や行方不明届が出されているか調べてみましたが、該当するものはありませんでした」

「そうですか……」


 そうなるとやはり、捨て子なのだろうか。でも、この歳までどうやって生きていたのだろう。


「まず、名前が無いという時点で、戸籍の有無は怪しいですね。出生届が出されていれば、役所にあるはずですから」


 清水さんはパソコンに向き直りつつ言う。確かにその通りだ。あずという名前は私が勝手に付けたものだし……。

 私が悩んでいると、堀内さんが言った。


「まあでも、そこまで心配する必要はないんじゃないか? 現にこうして元気にしてるんだから。な?」


 堀内さんはあずの頭を撫でながら、私に向かって言う。


「そうは言っても……」


 私はまだ納得がいっていなかった。あずが心配なのはもちろんだけど、このまま放っておくわけにもいかない。でもどうすればいいのか……。

 すると堀内さんが言った。


「よし、じゃあこうしよう。しばらく俺たちであずくんを預かるんだ」

「え?」


 私が驚いていると、清水さんもそれに賛同するように言った。


「それがいいかもしれませんね。保護者のいない子どもを放っておくわけにはいきませんから」

「え、清水さんまで……」


 戸惑う私をよそに、話はどんどん進んでいく。


「じゃあ、とりあえず今日はここに泊まっていくといい。布団ならあるから」

「ちょっと堀内さん!」


 あずも嬉しそうに、「やったー!」と喜んでいる。


「あの、本当にいいんですか?」


 私は恐る恐る尋ねる。すると堀内さんは笑って答えた。


「ああ、もちろんだとも。上には俺のほうから上手く言っておく。まあ、なんとかなるだろ」


 堀内さんは楽観的だ。本当に大丈夫だろうか……。でも他に良い案があるわけでもないし……仕方がないか……。


「じゃあ、よろしくお願いします……」


 こうして私たちは、しばらくあずの面倒を見ることになったのである。



 あずが交番に来てから、一週間ほどが経った。

 最初の頃はあずも少し緊張していたけれど、今ではすっかり打ち解けている。仕事をする私たちを、横で大人しく見ていることも多い。

 堀内さんはあずの頭を撫でながら言った。


「ごめんな、俺たち仕事があって構ってやれないからさ」

「ううん。ぼく、おしごとしてるおとなの人ってカッコいいなって思うんだ!」


 あずは屈託のない笑顔で答える。私はそれがとても嬉しかった。なんだか小さな仲間ができたような気分だ。

 あずがここにいることは、他の警察官たちにも伝えられた。皆一様に心配していたけれど、あずの人懐っこさもあって、今ではすっかり可愛がられている。



「おはようございます」


 あずと一緒に交番へ出勤すると、堀内さんが出迎えてくれた。


「おはよう、ふたりとも」

「おはよーございます!」


 あずも元気に挨拶する。私は思わず笑みを漏らした。

 それからあずは、交番の隅にある椅子に座って、持ってきた本を読み始める。そして私たちは、それぞれ仕事を始める。それがいつもの光景になっていた。


「あずくん、野村のむらさんのところではどんな感じなんですか?」


 休憩中、清水さんがそんなことを尋ねてきた。

 初日こそ、あずは交番に泊まったけれど、今では私の家で寝泊まりしている。主に食事の面で、交番にずっと置いておくわけにもいかなかったからだ。


「そうですね……よく食べますよ」


 私は苦笑しながら答える。実際、あずはよく食べるのだ。とりあえず子どもの好きそうな料理を作って食べさせてみたけれど、どれも美味しそうに食べてくれる。


「あずくんが来てから、交番は明るくなりましたね」


 清水さんが言う。私は頷いた。確かにそうだ。あずが来てくれるまで、交番はどこか無機質で、静かな空間だった。でも今は違う。

 あずという小さな存在が、この交番の雰囲気を大きく変えてくれたのだ。


「堀内さんなんか、すごく可愛がってますよ」


 私は笑いながら言う。清水さんも微笑んだ。


「いいことですね」


 あずが来てからというもの、犯罪発生率も低下しているように感じるのだから不思議だ。


「あずくん、本当に神様なのかもしれないですね」


 清水さんがぽつりと呟く。私は笑って答えた。


「そうかもしれませんね」


 あずは何者なんだろうか。見た目は普通の子どもと変わらない。でも、どこか不思議な感じがする。

 あずは自分のことを『トリあえずのカミさま』と言っているけれど、それはつまり『神様見習い』ということなのかもしれない。だとしたら、この子が一人前の神様に成長するまで、私たちが面倒をみなくては。

 私はそんなことを思いながら、仕事に戻ったのだった。

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