035号室 兄妹商人のマナー研修ディナー
「そろそろディナーだ。準備は良いか、エリカ?」
「……どうしてもやらなきゃダメか?」
「ダメだ。そもそも今回の旅の目的はこのためだろう」
カサ・セニョリアルのディナーはドレスコードが定められており、正装でなくてはならない。
正装は自分で持っている物を着ることも出来るが、レンタルも出来る。むしろ下手な正装よりもレンタル品の方が品質が良いため、レンタルを選択する客が多い。
ペレイラ兄妹もレンタル品を利用しており、マルコはタキシード、エリカは煌びやかなドレスを身に纏っている。
……ただし、エリカはドレスの輝きとは裏腹に、明らかに不満げであったが。
「夕食を食べながらマナーを勉強するんだから」
「そんなことしたら、せっかくのメシがまずくなるってーの」
このホテルのマナー講座は様々あるが、今回は食事中のマナーに関する講座だった。
食事に関するマナーであるため、基本的に食事と同時に行われる。ディナーと共に行われることが多く、ペレイラ兄妹もディナーの時間にマナー講座を受けること担っていた。
そして、エリカは特に食事マナーの講座を嫌っていたのだ。
もちろんエリカのわがままが許されるはずもなく、しぶしぶ食事会場となる食堂へと向かわされるのだった。
「本日のマナー講師を務めます。よろしくお願いします」
食堂では、1人の女性ゴーストが待機していた。彼女がマナー講師なのだ。
食事が始まると、マナー講師による指導が細かく入る……と思いきや、ほとんど口出ししてこなかった。時々『こうすれば美しく見える』、『こうやれば上品に見える』といったよく見せるコツを教えるだけ。
この指導法に驚いたのはエリカだけでなく、マルコも驚きを隠せなかった。
だから、マルコはつい疑問を投げかけた。
「あの……もっと何かおっしゃらないんですか? これを覚えていなかったら恥ずかしいとか……」
「お2人は基礎が出来ていますので、あまりお教えする必要が無いと感じました。――ところで、お2人はマナーとはどういうものかご存じですか?」
「知らなければ恥ずかしい物です」
自信満々に答えたマルコであった。今まで教わってきたマナー講師から、そのように教えられてきたからだ。
しかしゴーストのマナー講師からは、全く違う答えが返ってきたのだ。
「違います。マナーとは、同じ空間にいる人達に嫌な思いをさせない、気分を悪くさせないための物です。だからこそ、マナーは必要最低限でいいというのが私の考えです」
エリカとマルコにとって、この答えは目からウロコだった。
そもそも2人の実家は商家で、そこでは身分が上の貴族と商談をする上でマナーは武器であり鎧だった。マナーを知っていると見せつけることで教養を持っていると強調し、下に見られないようにするために必要な物だったのだ。
だが、マナーの本義はそうではない。あくまで他者を気遣うための物なのだ。その基本に立ち返れば、マナーは基本的な物を抑えるだけで良いのだ。
「……オレ、知らなかった。オレの家に来るマナー講師は授業の度に言ってることがちげーし、いつの間にか覚えることが増えているし、仕舞いにはマナー講師同士でケンカが起きる始末だ」
「ああ、いわゆる『謎マナー講師』という存在ですね。古王国時代にもいましたよ。マナーについて考えすぎて変な理論に至ってしまう人がいましたし、最悪のケースでは自分の名前を売りたいがために妙なマナーを堂々と吹聴する人もいましたね。
――ああ、なるほど。お2人は何か不自然というか余計な所作が見られると思っていましたが、謎マナー講師に教わってしまったのが原因でしたか。滞在中にいくらか矯正してみましょう」
実は、エリカがマナー講義を嫌う理由は、謎マナー講師が原因だった。
理由はエリカが述べた通りで、とにかく一貫性がなく矛盾が多すぎて性に合わないのだ。
ところが、カサ・セニョリアルのマナー講師は必要最低限しか教えず、うるさいことも言わないのでエリカは何も困惑することがなく、今までで一番身の入ったマナー講座を受けることが出来たのだ。
「親父、話がある」
「な、なんだ、帰ってきて早々」
カサ・セニョリアルの滞在を終え帰宅すると、エリカは即座に父親であるペレイラ商会長に直談判した。
滞在中に学んだマナーの考え方や、古王国時代でも問題になっていた『謎マナー講師』の存在などを伝えた上で、自分たちにマナーを教えている講師の見直しを求めたのだ。
「『謎マナー講師』か……。そういえば、会食した貴族の反応がおかしかった事もあったような……」
ペレイラ商会長は、仕事柄顧客の貴族と会食をすることがある。その際、会食を共にした貴族があっけにとられたような反応をすることが時々あったのだ。もしかしたら、いつの間にかおかしなマナーをやってしまったかもしれない。
心当たりがあった商会長は、商人の情報網をフル活用して調査を行った。その結果、なんとペレイラ家で雇っているマナー講師の大半が間違ったマナーを教えていることが判明したのだ。
その中には少年時代の商会長を教えていたマナー講師もいたことがあり、商会長は人生で一番強い衝撃を受けてしまった。
以後、ペレイラ家はマナー講師を刷新し、きちんと時間をかけて真っ当な講師を選別したという。
その甲斐もあり、エリカのマナー講義嫌いは徐々に改善していったという。
エリカとマルコが帰宅してから数週間後。ペレイラ商会の倉庫にて。
「兄貴~、いるか~?」
「どうしたエリカ、こんな所に来て」
「ちょっと気になる事があってな。お、それがノボテル商会に頼まれた荷物か。どれ……」
するとエリカは、あろうことか預かっている荷物を勝手に開け、中身を取り出してしまったのだ!
「な、なにしてるんだエリカ! それはノボテル商会からパラドール王国に送るよう頼まれた、大事な荷物だぞ!!」
「この荷物、変なんだよなー。中身は羊毛って書いてあったけど、この箱のサイズにしては少し重さが違うし。それに依頼してきた人、いつもウチに来るノボテル商会の人じゃないらしいじゃん? ――お、あったあった」
エリカが箱の奥から取り出したのは、白い紙に包まれた物だった。
中を開けると、小さく砕かれたキノコのようなものがあった。
「エリカ、それは一体……」
「細かく砕かれてよくわかんねぇけど、ロクなもんじゃないと思うぜ? 兄貴、通報よろしく」
「それはいいが……お前、よくわかったな」
「素人にはわからないような細工だったけど、国境警備隊の隊長とかならわかるんじゃねぇか?
だからよくわかんねぇんだよな~。本気で密輸するつもりならもっと上手くやれるはずなのに、こんな中途半端な隠し方するなんて」
マルコはこの件で、やはりエリカには敵わないなと改めて思った。それと同時に、危なっかしい所があるから支えてやりたいとも思っていた。
後に通報を受けて駆けつけた治安部隊の兵士がやってきて、発見されたキノコ片を調べた。すると違法な薬物の原料となり、輸出が厳しく制限されている品であると判明したのだ。
エリカの活躍によって、ペレイラ商会は密輸の片棒を担がずに済んだのである。
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