034号室 兄妹商人のマナー研修旅行

 リオがマナーハウス『カサ・セニョリアル』を開業してから1ヶ月後の事。

 パラドール王国の中堅商会『ペレイラ商会』の商会長は、ある事に頭を悩ませていた。


「はぁ。エリカはまたマナーのレッスンを抜け出したのか」


 それは、商会長の娘であるエリカ・ペレイラの事。

 エリカは非常に商才に恵まれた少女であるが、男勝りな上、親から課されているマナー講座を嫌い逃げ出してしまう悪癖があった。

 男勝りなのはチャームポイントにもなり得るから別に問題無いが、マナー講座を逃げ出すのはいただけない。ペレイラ商会は中堅とは言え、世界的に有名な大商会や貴族を相手に商売をすることもあり、マナーを身につけるのは必須なのだ。


 反対に、エリカの兄であるマルコは真面目にマナー講座を受けており、その他の勉学や習い事もきっちり受けている。だが商才は平凡だ。

 いっそ兄妹のどちらかに真面目さと商才が集中してくれたら良かったのにと思うものの、現実は上手くいかなかった。


 そんな中、取引のあるノボテル商会の担当者が商談にやってきた。

 この担当者は長年ペレイラ商会と仕事をしているベテランであり、ペレイラ商会長の家庭事情もある程度知っているし多少切り込むことも出来た。


「またご息女の事でお悩みですか?」


「まぁ、恥ずかしながら……」


「でしたら、お力になれるかはわかりませんが、このような物を他部門から貰っていまして……」


 ノボテル商会担当者は1冊のパンフレットを取り出した。

 それは、つい先月オープンしたばかりのカサ・セニョリアルについて紹介した物だった。


「先月オープンした新しいホテルです。貴族の屋敷を改装したホテルでして、マナー講座も開催しております」


「なぜそんな新しいホテルの情報を――そうでした、ノボテル商会は禁じられた領域と取引があるのでしたな。ですが、娘が素直にマナー講座を受けてくれるかどうか……」


「水を変えれば、状況が変わるかもしれません。ダメ元でこのホテルを訪れてはいかがですか?」


「……そうですな、ダメ元でやってみますか」


 こうして、ペレイラ商会長の娘エリカは、カサ・セニョリアルに向かうことが決定した。




 十数日後、エリカ、マルコ兄妹は禁じられた領域の玄関口、エントラーダに到着した。

 2人が到着した瞬間、1人のゴーストが話しかけてきた。


「失礼します。エリカ・ペレイラ様、マルコ・ペレイラ様でございますか?」


「……ああ、そうか。ここではゴーストが働いているんだっけ。はい、私がマルコで、こっちが妹のエリカです」


「ようこそおいで下さいました。私、カサ・セニョリアルの送迎係の者です。こちらに車を用意しておりますので」


 ゴーストが案内した先には、黒い胴長の乗り物――リムジンが鎮座していた。

 エリカとマルコはゴーストに案内されるままリムジンに乗り込み、そのまま出発した。


「馬がないのに走るだけでも驚きなのに、乗り心地もいいな。しかも高級そうな酒や飲み物が飲み放題なんて、他にはないよ。言い旅行になりそうだな、エリカ」


「えー。オレ、禁じられた領域に行くんならカシオン・デル・マールに行きたかったぜ」


 マルコはエリカのお目付役として同行することになったが、この旅行の期待感は非常に大きい。

 反対に、旅行の主役とも言えるエリカは不満げだ。大っ嫌いなマナー講座を受けさせられることがわかっているからだ。


 そんなこんなでリムジンに揺られること数時間。一行は禁じられた領域西部、ヴァカシオネスに到着。そこからしばらくリムジンを走らせ、目的地のカサ・セニョリアルに到着した。


「お疲れ様でございました。カサ・セニョリアルに到着です」


「ありがとう。……こいつはすごいな。古王国の王族が持っていた屋敷だけのことはある」


「ああ。いつかこんなでっけー屋敷を持ってるヤツと商売してみたいぜ」


 そして2人は客室へ案内され、そこでチェックインすることになるのだが、ここでも驚かされることになる。


「部屋が広いな。魔導具がたくさんあるし、家具の1つ1つが高価な品物だ。おまけに水回りも上級貴族ですら足下にも及ばないほど充実している……」


「お、庭がある。ちょっと行ってこよーっと」


「お、おいエリカ、待つんだ!」


 マルコは部屋の調度品や設備に関心を寄せていたが、エリカの方は窓から見える広大な庭に興味が移ってしまったようだ。

 チェックイン後、近所に遊びに出かけるノリで部屋を飛び出すエリカを、マルコは慌てて追いかけた。




「すっげーな! 人の手が入っているとは思えない! 近所の森に来た気分だぜ!」


 マルコがエリカに追いつくころ、当のエリカは庭で走り回っていた。

 呼吸を整え、マルコは庭を見回してみた。確かに、エリカの言う通り人の手によって作られたとは思えない、自然のままのような庭だった。


「お気に召しましたか?」


 2人に話しかけてきたのは、庭師として働いているゴーストだった。


「そうですね。貴族の庭でもあまり見ない庭だと思います」


「ではご説明を。当ホテルの庭は『風景式庭園』と言いまして、自然の風景を再現した形式の庭園となっております。古王国時代に流行った形式の庭園でして、最近では当ホテルにお泊りになられた方が『自宅にも作ってみたい』とおっしゃる方が多くいらっしゃいます」


「ああ、それは聞いたことがあるぜ。一部の貴族や商人の間で自然を再現した庭園を造る動きがあるんだ。中には庭師を禁じられた領域に派遣して、庭園を学ばせる連中もいるとか。そのうち流行るんじゃないかってオレは思ってる」


 なんと、エリカは風景式庭園の流行の兆しについて把握していた。こういう流行り廃りの情報をいち早くキャッチするのも商人に求められる技量の一つなのだ。

 そういう意味では、エリカは類まれなる商人の才能の持ち主ということになるのだが、これでマナーの勉強を頑張ってくれたらよかったのにな、と思わずにはいられないマルコなのであった。

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