031号室 海洋恐怖症の網元の息子のリゾート体験記 その2

「……まさか、泳ぎを楽しみにしてしまうなんて。一体どんな思考してるんだ?」


 アランは現在、プールで過ごしていた。

 実はアランの客室はプールに面した部屋だった。窓から見たプールに興味を持ったアランは、コンシェルジュにプールについて聞き、日用品店『ヴィヴィエンド』で水着を購入し、プールへ赴いたのだ。

 コンシェルジュから『プールサイドでのんびりと食べたり飲んだりしつつ、時々水に浮かぶのがオススメの過ごし方です』と助言され、言われたとおりにプールバー『パルメラ』でサンドイッチと名物のトロピカルジュースを購入し、プールサイドのビーチチェアで飲み食いする。そして時々プールに入ってただ浮かんでいるだけ。

 たったそれだけなのに、南国の空気も相まってアランは非常にリラックスした時間を過ごした。

 

 それと同時に、アランはカルチャーショックをも受けていたのだ。


「泳ぎなんて、海で生き抜くためのものなんだけどな……」


 アランの地元である漁村では、海に転落した際に助かるため、命がけで必死に覚えるという感覚が強い。まぁ、アランの兄貴分のようにどんなに泳ぎが上手くとも、状況次第でたやすく命を奪ってしまうのも海の怖さなのだが。

 カシオン・デル・マールでのプール体験は、泳ぎを『必ず覚えなければいけないもの』から『楽しむための物』という価値観をぶつけてきたこともあり、アランの価値観を壊した第1号となった。




 翌日、アランは街へ繰り出した。

 実はバノデマールは漁港があり、既に漁に出ていたり市場が開かれたりしているのだ。

 漁師町出身のアランとしては、気になる部分ではあった。


「本格的に活動していないみたいだ。でも活気がある」


 バノデマールが解放されたのは先月。そこからノボテル商会を通じて、主に人口過剰気味な漁村を中心に移民を募り、バノデマールの漁港の使用を開始したのだ。

 なのでまだ準備段階という状態で、現在市場に出回っている海産物は試験的に漁を行って得た物なのだ。


「あ、昨日食べたエビがある」


 アランは昨日、レストラン『マリスコス・グリル』でロブスターを夕食として食べた。

 そのとき、アランはオマール海老に似ていると気付いた。アランの地元の漁村は、オマール海老が名産なのだ。

 そしてロブスターを食べると、すぐにオマール海老の仲間である事に気がついた。このときはバノデマールで取れるオマール海老の仲間だと考えていたが、この市場でロブスターを見て確信したのだ。


「なるほど。住んでいる環境によって大きさや肉質が変わるのか」


 その後もアランは市場を歩いてみた。まだ試験的な漁しかされていないのに、量も種類も豊富。本格始動していないのに市場は活気がある。

 バノデマールの海は、かなり恵まれていると言えるだろう。


「これがこの地の、海の恵みなんだな……」


 そう口にした瞬間、アランはある事を不意に思い出していた。

 その瞬間、アランは急に思い立ち、ある場所へ向かった。


 


 アランはホテルに戻ると急いで水着に着替え、ホテル前の海水浴場にやってきていた。

 周りは海水浴客で楽しそうに賑わっている。海水浴はこの世界において、海沿いの地方でしかやらないようなマイナーなレジャーであるため、その盛り上がり方は日常生活ではまずあり得ない。

 そんな雰囲気の中、アランだけが剣呑な雰囲気を出していた。


 アランは海を目の前に、兄貴分の言葉を思い出していた。


『海は怖い。だが適切に付き合えば、恵みを与えてくれる』


(確かに、兄貴の言っていたように海は怖い。でも、付き合い方さえ間違えなければぼく達に多くを与えてくれる。地元のオマール海老や、ここで食べたロブスターみたいに!)


 そして、アランは海へ一歩を踏み出し――。




 結局、アランの海洋恐怖症は完全に治ることはなかった。海に入ることが出来たのは、波打ち際までだった。

 だが、少しは改善された。あれだけ海に近づくことを恐れたアランが、使われていない桟橋に行って釣りが出来るようになったのだ。


「申し訳ありません。私の提案した案で息子さんの恐怖症が治らず」


「いや、あんたが謝ることじゃねぇよ。元々はダメ元でやらせてみたんだ」


 アランの旅行を提案したノボテル商会の商人から謝罪されたが、アランの父は謝罪することはないと言い切った。


「それに、あんたの提案したことで息子の恐怖症が少しは改善されたんだ。あれだけ海に近づこうとしなかったのに、今では1人で釣りに行ってるからな。完全な克服は、時間の問題だろう」


「そうおっしゃっていただけると、うれしい限りです」


「それとだな、もう1つあんたに頼みたい事があるんだが」


 何でしょうと問う商人に、アランの父は楽しそうな顔でこう言った。


「アランの恐怖症を少しはマシにしたホテル、俺も興味が出てきた。次の禁漁期に家族揃って行こうと思うんだが、手続きを手伝ってくれないか?」

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