030号室 海洋恐怖症の網元の息子のリゾート体験記 その1

 リッツ王国のある漁村。ここに、ある若い男がいた。

 その男の名は『アラン』。網元(漁師のリーダー格、元締めのような存在)の息子だ。

 さて、アランは網元の息子としては致命的な欠点を持っていた。


「アラン、釣りに行かねぇか? 俺が船を出してやるから」


「……いい。それにぼくが海に出たくないの、父さんなら知ってるでしょ」


 アランは、海洋恐怖症だった。父からの誘いを即刻断ってしまうほど、海への恐怖は筋金入りだった。

 実は、アランは元々海を怖がるような人物では無かった。少なくとも幼い頃は海で泳げるくらいには、恐怖を感じていなかった。


 そんな人物がなぜ海を怖がってしまったかというと、ある人物が影響している。

 その人物はアランにとって兄貴分と言えた人物で、アランも実の兄のように慕っていた。

 この兄貴分は、将来を嘱望されるほど優秀な漁師だった。海への価値観も熟練の漁師と同じものを持っていたようで、『海は怖い。だが適切に付き合えば、恵みを与えてくれる』と常々アランに語っていたほどだ。


 だがそんな優秀な人物も、不運な海難事故で亡くなってしまった。

 この事故がアランに与えた影響は大きく、『海は怖い』という兄貴分の言葉のみがアランの中で大きくなった結果、アランは海洋恐怖症を発症してしまったのだ。


 これは網元の息子としてあまり宜しくない。網元の仕事は漁だけで無く領主や代官との交渉、商人との商談、漁師同士の諍いの仲裁など多岐にわたり、別に漁が上手くなくても良い。むしろ管理能力の方が重要視されるくらいだ。

 それでも、海に出られないのは致命的だ。海を怖がって船に乗れないなど漁師達の信頼を損ねてしまい、信頼を失ってしまう。そうなると、網元としての管理業務にも支障が出てしまう。


 将来網元を継ぐ人物として、なんとか海洋恐怖症を克服して欲しいと父は思っていた。しかしどう手を尽くしても恐怖心が治ることは無かった。

 そんな最中、海洋恐怖症を克服する機会が訪れた。きっかけは、長年付き合いがあるノボテル商会所属の商人からある提案があったのだ。


「息子さんを禁じられた領域へ旅行させてはいかがでしょう?」


「旅行? そんなんで息子が恐怖心を乗り越えられるのか?」


「はい。実は今月から、このようなホテルが開業しまして」


 商人が見せたのは、オープンしたリゾートホテル『カシオン・デル・マール』の広告だった。


「へぇ。ホテルに作った泳ぎ場の他に、海で遊べるのか」


「はい。ホテルが完成した当初は海の安全性が確認できなかったのですが、調査の結果安全であると結論が出ましたので、すでに遊泳可能になっております」


「だが、海で遊ぶなんて子供時代に誰でもやっただろ?」


「それは、この村が漁村だからですよ。全ての人が海へ気軽に行けるわけではありませんからね。海も観光資源として十分魅力的なんですよ」


 さらに商人は畳みかけた。


「このホテルの目の前の海岸は、完全に観光へ特化しています。海も安全確保はもちろんのこと、楽しさを前面に押し出していますので、息子さんの意識改革に繋がるかも……」


「……そうだな。今までこの村で出来る事は全てやって、全て失敗した。なら、村の外に頼るほかないか」


 そして宿泊手続きを商人に任せ、アランを禁じられた領域へ送り出すことにした。




「ここが禁じられた領域……」


 数週間後、アランは禁じられた領域のリゾート地『バノデマール』へやってきていた。

 ほんの数年前まで、禁じられた領域は腕利きの冒険者しか入ることが出来ない、常に死と隣り合わせの危険地帯というイメージだった。

 ところが、突然現れた人物が持つスキルの効果により一部地域が復興・浄化され、誰でも訪れることが出来る土地となった。

 このバノデマールも、つい最近浄化された土地である。


 ここに来るまで、アランはカルチャーショックの連続だった。最初に訪れた禁じられた領域の玄関口『エントラーダ』は大都市と言っても過言では無いほど活気に満ちあふれていた。

 そしてエントラーダからバノデマールに行くまでに乗ったバスなる乗り物。馬を使わず魔導具で動力を得ており、さらにスピード、走行距離、積載能力全てを馬車よりも上回っている。しかも腰にダメージを与えるような衝撃も無くシートも座り心地が良かったので、至極快適であった。

 さらに運転手はゴーストだ。スキルによってホテルのスタッフとして働くことになったゴーストらしいということは事前情報で知っていたが、実際に目撃するとインパクトが違う。


 そして到着したバノデマール。海が近いせいかアランにとっては馴れている潮の香りが漂っている。

 バスはこの街で最も大きく、カラフルで目立つ建物の玄関口、ポーチの下で停車した。ここが、アランが宿泊する『カシオン・デル・マール』だ。


「ほ、ホントにぼくが泊まるホテルって、ここなの……?」


 貴族の屋敷どころか城に匹敵する大きさを持っているため、村を出たことがないアランは気圧され不安になってしまった。

 だが、父から渡された資料は確かにここらしい。


「失礼致します。本日は当ホテルに宿泊でしょうか?」


「は、はい……そのはずですけど……」


 玄関係のスタッフゴーストに声をかけられたアランは、手に持っている資料を見せながら答えた。


「確かに、当ホテルにご宿泊されるようですね。では、玄関を入ってまっすぐ進むと受付カウンターがございますので、そちらでチェックインのお手続きをお願いします」


 そうスタッフに促され、アランはホテル内に恐る恐る入っていった。




「――以上がお部屋の説明になります。何かご質問はございますか?」


「いえ、大丈夫です。今のところ……」


「かしこまりました。何かご用がございましたら、内線で受付かコンシェルジュまで申しつけ下さい。では、ごゆっくり」


 アランはチェックインを済ませ、宿泊する部屋に案内された。

 今回泊まるのは、ベーシックな客室であるスタンダードルーム。ベッド2台にソファセット、テレビ、トイレ、クローゼットなどが備え付けられている。

 部屋の備品やアメニティはアランが見たことの無いものばかりで上質な物だが、いくつか気になったものがある。


 まずカギだ。部屋のカギがアランのよく知る金属製のカギではなくカードだった。どうやらカードそのものが魔導具になっているらしく、扉にある読み取り用の魔導具に読み込ませて解錠するそうだが、こんなカギは貴族ですら持っていないだろう。

 そして家具に使われている、植物のツタを編んだような素材。試料によると『ラタン』という素材らしい。ツタの編み物ということで一見すると弱そうだが、触ってみるとかなり硬く、上部である事がわかる。


「……とりあえず、腹ごしらえするか」


 気になる物は部屋にもホテル全体にもあるが、昼時なのでとりあえず昼食を取ることにした。

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