取り敢えず、乾杯を。
透々実生
取り敢えず、乾杯を。
「取り敢えず生、ってあるけどさ。アレ、ビール会社の販促でもなんでもないらしいんだよね」
取り敢えず乾杯をした後、サケちゃんはふとした顔でそう言った。既に彼女は、1杯目のビール中ジョッキを半分程飲み干している。私は、サケちゃんに「好きに頼んでいい」と言われて頼んだカシスオレンジをくい、と飲む。
それから、
「そうなの?」
と尋ねた。サケちゃんは頷いて続ける。
「うん。いわゆる自然発生したって感じでさ。ほら、ビールって注文が入ったら、グラスに注げば終わりじゃん? ハイボールとかカクテルとか、複数組み合わせたりかき混ぜたりして、作るのに手間がかかるヤツより、ビールは素早く出てくるんだよ。だから自然と『取り敢えず早く飲み会始めたいし、手っ取り早く出てくるビールにしよう!』ってなったらしい」
「へえ……」
普通に知らなかった。どうせ明日には忘れてる気がするけど……。酒席での言動なんてそんなものだと思ってる。
「だから、無理してビールなんて頼まなくても良いんだよ。飲み会は楽しむものであって、苦痛に感じるものじゃないからさ」
……なるほど。
サケちゃんは、さっきのセリフで一区切りとなったのか、残ったもう半分のビールも飲み干し、次の酒を頼むためタッチパッドに指を伸ばす。サケちゃんはめちゃくちゃお酒に強い。だから、こういう飲み放題のお店に来ないと破産してしまう――と笑いながらサケちゃん本人に言われた記憶がある。
……そんな彼女と会ってから、まだ1ヶ月くらい。というか、今回で3回目か4回目だ。サークルの飲み会でやたら飲むヤツがいるなあ、と思ったのが第一印象。ロクな印象じゃない気がするけど、そのロクでもなさに救われたのも確かだ。
今もこうして助けられている。私はビールが大の苦手だ。あの苦さが、どうしても受け付けない。それを察してくれてるのか、サケちゃんは今も、無理にビールを勧めてこない。
「次は〜……ハイボールにでもしとくか!」
慣れた手つきで注文パネルを操作し、私に向き直った。
「ごめんね〜、なんかこういう場だとさ、いっぱい飲まなきゃ損でしょ、って思っちゃって」
「そんなドリンクバーみたいに……」
ちなみにドリンクバーは元が絶対に取れないようにできている。1杯数円しかしないのだったっけか。この飲み放題はどうなのだろう。お酒の原価はそこそこする筈だから、余程飲める人であれば――例えばサケちゃんなら、元は取れてしまう気もする。
「ドリンクバー、なのかもね。私にとっては」サケちゃんは少し寂しそうだった。「良いなあ、適度な量でお酒に酔えたらどんなに気持ちいいか!」
「……全然変わらないもんね、サケちゃん」
「そ! 変わんねーのよ! 記憶も全部ある! だから楽しかったことも……クソ野郎が酒の勢いでやってきたことも全部覚えてる」
悪戯っぽく、べー、と舌を出した。サケちゃんの舌にはピアスが付いていて、何だか痛そうだなと思ってる。なんで人って体に穴を開けてまで着飾るんだろう、と幾度目かの単純な疑問が浮かんだ。口には出さないけど。
そうこうしているうちに、ハイボールと蒸し
「おいしそうー! あ、でも蒸し鶏和えならビールで良かったかもなあ」
「……お酒に、合う合わないがあるの?」
「あるある。ま、個人の感性だからこの『合う合わない』も人によって違うけどさ」
無理に合わせる必要もないし、とサケちゃん。ハイボールを少しだけ飲み、蒸し鶏和えを箸で摘んだ。んまー、と頬を綻ばせてから、サケちゃんは続けた。
「だから好きに飲めば良いんだよ。そしてそれに口出ししない。勿論危なかったら止めるけど。それが楽しく飲む秘訣だね〜」
「……楽しく飲む、ってのが一番なんだね」
「モチのロン! だからミユキチとも楽しく飲みたいのさ〜」
今回は奢ってもらっちゃってるけど、と言いながらも、サケちゃんのハイボールは既に半分以上なくなっている。
「悪いね〜」
「良いんだよ……この前助けてくれたから」
――1ヶ月前、私はサークルの飲み会で、一気飲みを強要されそうになった。話としては聞いていたし、聞いている時は「まだあるんだ〜」と物珍しく思っていたけど、いざ自分がされる側になると、とても恐ろしかった。
今、カシスオレンジの量がそれ程減ってないように、私はお酒が強くない。一気飲みなんてしたら、一体どうなってしまうのだろう。
未知への恐怖が、私を襲う。
冷たいビールジョッキを両手で持たされたまま、苦手なビールがぶくぶくと泡立つのを眺めている。周りからは一気飲みのコール。冷や汗が垂れるように、ジョッキから水滴がポタポタ垂れている。
――
飲んで、関係を円滑にしなきゃ。そのために、折角、飲み会を開いて貰ってるのだし。
「……とりあえず」
恐怖心と共にビールを流し込もうとした時。
「飲まないなら、私に飲ませてよ〜」
と、言いながらジョッキをひったくって一気飲みをしてくれた人がいた。
それが、サケちゃん――
ジョッキを傾け、あれだけあったビールを一気に喉奥に流し込む。中身を空にし、プハーッと爽快に息を吐いてから、優しくジョッキを机に置いた。狙いと違ったものの、あまりの飲みっぷりに周りの人は拍手さえした。
サケちゃんはその後、私の方を振り向いて、悪戯っぽく舌を出した。舌ピアスがしてあった。普段ならヤンキーで怖い印象しかないが、一気飲みから助けて貰ったという事実が、サケちゃんへの恐怖心を薄れさせた。
サケちゃんはそのまま私の隣に座り、「またコール来そうだったら私のとこに回しな。ダイジョーブ、私、酒は強いから」と囁いてくれた。実際、代わりに全部一気飲みしてくれたし、あまりにしつこい人はサケちゃんから酒飲み勝負を仕掛けられ潰されてた。ちょっと可哀想だったけど、「あのくらいした方が良いんだよ、どうせ酒を『人潰すための道具』としか思ってないクズなんだから」と快活に笑ってた。
でも、酒に強いって本当かな、無理してないかな――と思っていると、翌朝1限の授業にケロッとした表情で来ていた。
彼女が酒に強いというのは本当らしかった。
それで、バッタリ出会った彼女(しかも、私のことを覚えてた)を、お礼を兼ねて飲み放題のあるチェーン居酒屋に誘った、という訳だ。私がお金がないからこの飲み放題が限界だったけど、サケちゃんは「酒が飲めるなら!」とあっさり快諾してくれた。
「ミユキチ」
ハイボールをあけ、次のお酒――ビール――を頼みながら、サケちゃんが声をかけてきた。
何? と応えると。
「んー……やっぱね、これ以上は言うのやめた」
にひひ、と笑う。今度は悪戯っぽくではなく、バツの悪さを隠すように。
「な、何よ。気になるじゃない」
「……いや〜、さ」
んー、と後頭部をかいて、まるで観念した様にサケちゃんは続けた。
「ミユキチ、優しいんだろうなあ、って。でも、『取り敢えず』って言って全部受け入れちゃいそうな節があるから、そこはな〜って思ったんだけど。あのイッキの時も呟いてたし」
当たりだ。
仮に言われたとしても、私はサケちゃんに何も言い返せない。
でも、とサケちゃんは言う。
「ほら、ただ3〜4回会っただけの酒飲みから言われても、って感じじゃん? だから伏せとこって思ってて」
「……」
その言葉に、私は思わず微笑む。
そんな私を前に、それに、とサケちゃんは続けた。
「なんてーの、その……取り敢えず。そう、差し当たり! ……良ければ、これからもよろしくね」
今度は照れ臭そうに微笑んだ。
取り敢えず、か。
私は今度こそ、笑った。いつもはこんなに笑わないのに。
でもこの笑いはきっと、カシスオレンジの酔いによるモノではない。
サケちゃんを見る。サケちゃんも可笑しそうに笑っていた。
丁度良いタイミングでビールが届く。店員が去るのを見届けてから私は、カシスオレンジのグラスを片手で持つ。察したサケちゃんもジョッキを持ってくれた。
そして。
「うん。取り敢えず」
私たちは、乾杯をした。
取り敢えず、友人となった記念に。
チン、とグラスがぶつかる音が響く。
きっと今日のことは、明日になっても、酒のせいで忘れることはないだろう――そう思いながら、私はカシスオレンジを口にする。
取り敢えず、乾杯を。 透々実生 @skt_crt
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