第八話 お前にさえ認めてもらえれば、俺は救われるんだ
「うわぁ...もう寒いな、そう思わないか?この時期になると寒くなるのも早い。進路とか考える時期だもんな。あー将来のことなんて考えたくない。なぁ、生技、お前はどう思う?お前は将来何になりたい?こんな冷たい世の中で、お前は何になろうとする?」
中三の秋の終わり、そんなことを言われた。僕は多分、彼と似ていた。
〇
日曜日の昼、コンビニで昼ご飯を買った。僕のエコバックにはおにぎりと飲み物、お菓子がぱんっぱんに入っている。その後、るんるん気分で自転車にまたがって道路に出た。刹那、右からトラックが来てるに気づかず、耳を壊す勢いで鳴らされた金属の空気圧、それに続く鈍い音とともに、僕の体はアスファルトに転がる。
「うぁ...痛った」
不意に上を見上げる。空は淡くて優しい、瑞々しい蟹を彷彿とさせる色合いに染まっていた。なんでこんな話をしているんだっけ。ああ、そうだ。今日のこの天気が、あの日曜日の空と酷似していたからだった。視界はまだぼやけている。職員室で清水のことを密告し、帰りに東屋の裏で昼寝をしていたところだった。
「それでさ...」
東屋の中から声が聞こえる。清水の声だ。誰かに語りかけているようだった。気になったので、壁の上から頭を出す。中にいたのは、清水と高城君、えっとたしか、志田君?がいた。彼らは全員暗い空気をまとっていて、うつむいていた。鯉は両極端に分かれている。僕をぎょっとさせたのは、その内容だった。
「父親が自殺した」
重圧的な、ただならぬ空気を感じる。僕はずっとこの会話を盗み聞きしていた。
「...まぁ、俺はこれから職員室に寄って帰る。お前らは両親を大事にしろよ」
そういうと、清水は東屋を後にした。ちょっと待て、水槽から出た鯉どうするんだよ。というか、清水、そんなことがあったなんて。でも、今日僕を殴ったことには変わりないだろう。その件に関して、しっかりと罰を受けてもらわなければ僕の溜飲は下がらない。
「そっか...あ、清水、財布忘れてる、届けてくるわ」
「おい待て」
高城君と志田君が、東屋を出ていった。まず、鯉を水槽に戻そうと、表に出た時だった。
「危ない!!」
志田君の怒鳴るような大声を聞いたと思ったらすぐに、校舎を殴る鈍い音が反響した。落ちてきた、それ、に目を向ける。東屋に身を隠し、手で口を必死に抑えた。なんとも目を逸らしたくなるような光景だった。ゆっくりと顔を出す。志田君が清水をかばったのか。清水は尻餅をついて、死体に目が釘付けだ。そして、清水の素っ頓狂な声を張り上げた。
かなりうるさかったので、耳をふさいだ。数秒後に「先生呼んでくる!」と高城君の声が聞こえ、校舎に向かって走り出し、中へ入っていった。彼の横顔が、少しばかり微笑んでいるように見えたのは、きっと気のせいだろう。
声が聞こえなくなったと思って、表にもう一度顔を出すと、清水はその場で失神していたらしかった。場に静寂をもたらす。あまりにも情けなく、滑稽に見える。東屋の中で、鯉が生きたいと主張を続けていた。僕は、その鯉を両手に持ってみた。必死に抵抗する命は、今、僕の手に握られている。
「生技、お前何してんだよ、早く水槽に戻してやれよ」
声の主は、見掛だった。
「え、見掛君、帰ったんじゃないの?」
「宿題のプリント忘れたんだ。てか、二人のあれ、死体、やばくね」
「あぁ、それを見てた生徒が先生呼びに行ったから、まぁ事態は収拾すると思うよ」
話しながら、鯉を水槽にリリースすると、ジタバタと急いで、集団のほうへと泳いでいった。
「なぁ、生技、今日は悪かった」
「ん?あー、掃除の件なら怒ってない」
なんだ、今日はどこもかしこも懺悔デーなのか。謝られて気分が悪いわけじゃない。
「そんで、少し話があるんだが、鯉に餌でもやりながら、付き合ってもらえるか?」
「...宿題プリントはいいの」
「あぁ、どうせまだ教室は閉まらないし」
「わかった」
断ったら何されるかわからない。僕たちは、清水たちが置いて行った餌袋を持って椅子に腰かけた。志田の袋は空だったから、高城君の僕がもらい、まだ中身が残っている清水のを見掛に渡した。彼は僕の左側に腰を掛ける。
「んで見掛君、話って何?」
「はは、まぁそんな焦んなって、そうだな、どこから話そうか」
彼もまた、寂しそうな目で語り始めた。
〇
幼少期、三歳とかの時かな。ギリ物心がついて、気になる子ができ始めるくらいの時期。俺には好きな男子がいたんだ。年上だった。その子とは、毎回親が迎えに来るのを待機する教室で一緒になったのが初めての出会い。俺は距離感が分からず、いきなりキスしに行って、その子を追い回してた。今思うと申し訳ない。だが当時は、抱いていた感情が異常だって知らなかったんだ。
それが異常だって知ったのは中学生一年生の時。同い年の子。他クラスだったが、覚えている。色白で、人当たりのいい、ピュアという概念を擬人化したような人間を一目見た。その時の全身に伝わる熱は、まるで蒸気機関が動き始めるほどの熱を帯びていたに違いなかった。それほど、彼に募る想いは日に日に大きな形になっていた。俺は速攻でアプローチを始めた。彼と初めて、話してから、三か月が過ぎようとしていたある日。俺の家に来ないかと誘うと、「見掛君の家初めてだねー、楽しみ!」と言ってくれた。彼の屈託のない笑顔に、俺はたまらない興奮を覚え、歪な妄想を止めずにはいられなかった。
想像できるだろうが、問題はその当日だった。家に彼を招き入れ、俺の部屋に催促する。小一時間ほどゲームをすると、俺は彼を汚したくてたまらない感情に襲われ、理性が吹っ飛んだんだ。コントローラーを置いて、ゲーム機の電源を切る。
「あ、ねーなんで消したのー、今いいとこだったのに。飲み物取りに行くなら一緒に行こうか...ってうわ!」
無理やり両手を掴んで、ベッドに押し倒した。
「え、ちょっと、なんで!?どうしたの見掛君!?怖いよ...」
「ねぇ、もう無理」
俺は無理やり唇を合わせようと顔を近づけた矢先。彼が俺の腹をめがけて、蹴りを入れた。
「ぐふっ」
「あーえっと、ごめん、今日はもう帰るね!」
彼は、悶え倒れ込む俺を背にして、帰ってしまった。そして、もう二度と遊ぶことはなくなってしまった。
〇
彼は語り終えると、そのまま俯いて続けた。
「俺は悲しかった。詫びたかった。だからさ、生技、あの時はごめんな」
「あぁ、見掛君はやっぱり、男の子が好きなんだ」
見掛君とは同じ中学で、その事件が起きてからは、もう遊ばなくなってしまった。当たり前だろう。彼の家から去ったとき、報復されるのが怖くて、誰にもこのことは話せなかった。
「もう君付けしなくていいよ」
「わかった...でも見掛君、いや、見掛。僕は絶対に、お前を許さない」
「...そうか」
見掛は餌袋を置くと、僕の前に立った。
「どうした、見掛...」
すると、勢いよく僕の腕をつかんで壁に押しつけられる、
「あはは、抵抗すんなよ、あの時の続きをしようぜ」
彼の目は明らかに常軌を逸していた。こいつはこれを狙って話しかけに来たのか。
「くっ、やめろっ、やめろよ!頭冷やせよ!離せ!離せよ!」
なんで、今日はこんな災難ばかりが続くんだ。
「何でこんなことするんだ!」
「そんなの決まってんだろ、俺がこの世で一番、お前を認めているからだ」
「は?話が見えない...」
「お前は、学級委員で、みんなからのヘイトを買う役を、ずっと、中学生から続けてる。お前は弱音を吐かずに、ずっと、頑張ってた。俺はいつもお前のことを見てたんだ。なぁ、時々こう思うんだ。この孤独感の正体は一体何なんだって。恋愛対象が普通じゃないだけで、ここまで孤独に追われるのは、何なんだ、なぁ教えてくれよ生技。」
こんな一方的な感情を向けられたのは初めてだったが、忌憚なく言えば気持ち悪い。見掛の胸の内が、なんとなく分かった気がした。
「だから!生技...俺は、お前にさえ認めてもらえれば、俺は救われるんだ」
「意味が分かんない、ただ、今僕が、許せないのが、そんな君が、僕が尊敬していた君が、目の前の欲望に抗えない人間になってしまってることだ!どい...てっ!」
思いっきり蹴りを入れた。
「ぐはっ」
彼の足取りが不安定になる。
「お、おまえマジで許さねぇ...絶対...うわっ」
そのまま態勢を崩すと、後ろの水槽に足を滑らせて、頭からダイブした。その勢いで、数匹の鯉が水槽から弾け飛んでしまう。水飛沫が上がり、イルカのショーをカッパ無しで見に来た時ぐらい服を濡らしてしまった。
ゴンっと、水槽の底に何かが当たった音がした。見掛は手足を激しく痙攣させている。飛び散った数匹の鯉も苦しみを体現するように尾ひれを地面に弾く。見掛が先にそのまま動かなくなった。逆半身浴のようになったその姿は、実際に頭を冷やして反省しているようで、可笑しい。目の前の光景が示すのは、残酷で、なんとも夢見が悪いものだった。気がつくと、ランダムに音を奏でていた鯉が、数匹死んでいる。
まずいな。とりあえず、餌の袋を隠さないと。元々高城君のと清水のは東屋の裏に埋めて...いや、バレるな。持ち帰ろう。ポケットに入れた。見掛のは、池の中で眠る彼の近くに全てまき散らし、袋を落とした。バシャバシャと身を水面から乗り出す鯉は、少し下品だ。水槽の中で生きる鯉は、仲間の死体に囲まれながら餌を食べているとは夢にも思わないだろう。果たして、鯉は夢を見るのだろうか。
僕と彼は、少し似ていた。真っ先に思いつくのが、弱みを他人に見せようとしない所。彼が僕のことを認めていたように、僕も、周りの人間から好かれる彼のことを尊敬していた。一方的な好意ほど、気持ち悪いものはないというが、すれ違った両想いも劣らず気持ち悪いかもしれない。
「あ、生技、お前何してんだ...あぁ...」
バタンっ!
清水が起き上がったようだが、見掛を見て、また気絶した。めんどくさいから水槽に入れてしまうか。重い図体をよいしょと運び、水槽に見掛と同じ体制で入れる。ポケットから清水の餌袋を池に投げ捨てると、清水が手足をバタバタとさせ暴れ始めた。僕は足に乗っかり、上がってくる頭を、必死に抑えた。十秒もしないうちに、生き物から物に変わったのがわかる。
「あは、ははは」
ハイになるとはこういうことなのだろう。例えるなら、フレンチのフルコースを食べ終わったみたいだ。立ち上がってみると、壮観のほかない。綺麗な盛り合わせだ。鯉がいい味を出している。最後のデザートは意外性があって、僕がミシュランなら三ツ星とはいかずとも二ツ星はつける。遠回りしてでも、行きたいお店だな。
「...はぁ、掃除をさぼる奴なんてくたばればいい」
本気でそう思った。二人とも、さぼった罰を受けろ。夕日は水平線に潜るため、準備体操を始め、月は地球は照らすためにプログラムの微調整をしている。そんな時間帯だった。東屋で起きたことは僕だけが知っている。
「あはは」
可笑しくてたまらなかった。
バァンっ!
また、誰かが降ってきた。
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