第七話 水を得た魚は、自らが被害者であることに気づかずに、尾びれを弾く
知らないとは言わせない。手を汚さずとも、人を殺めることができるなんて。あの時の衝撃は忘れない。なんて例えたらいいのかな、小さい頃に傘を振り回して友達とチャンバラごっこしたろ?あぁいう童心が騒ぐような出来事って、最近になって感じづらくなったよな。でさ、俺、あいつとオセロをしたあの屋上で、語ってるとき、震えたんだよ。同じ感覚だった。友達とチャンバラして人の家の車にぶつけたんだ。家主はもう激おこ。だから、涙ながらに訴えたんだよ。「わざとじゃないんです。本当にごめんなさい」って。許してもらえるかはこの際どうだっていい。自白って、一番簡単にできる自己陶酔と罪滅ぼしなんだ。
○
一手を置く。初めはこの盤上のように何も起きるはずがなかった。
○
ナツが俺にSOSを出して、部室を飛び出してしまった後、俺はナツを追うと同時に、生技の言ってた体育館の窓について気になったから、少し寄ったんだ。そしたら耳にしたんだよ。
「屋上から飛んで死んじゃえば?」
「え」
間違いなく、岩淵さんと宮田さんの声だと気が付いた。そのあとの会話から、一つの計画が頭をよぎった。もしかしたら、これを利用して、志田を巻き込めるかもしれない。二人が笑顔で体育館から出ていき、屋上へ向かっているとわかった。これは使える。馬鹿げているが俺は志田を、本気で殺すつもりでいた。屋上のフェンスは校庭側しかドアがなく、落ちるのなら校庭側しかありえない。だから、少しの微調整で巻き込めると判断した。
〇
「え、それだけで判断したのか?」
高城は一手、打つ。夕日は彼の左顔を照らす。右腕は血で赤い。鼻を抑えている。
「あぁ、あの時は本気だった。ナツから志田を引き離して、助けたかったんだ」
白を置く。
「ナツ?あぁ、夏川か、お前の片思い相手な」
「...知ってたのか」
「あんだけ授業中ガン見してりゃ誰だって気づくだろ」
乾いた笑いが屋上に響く。
ガタッ。
「...誰かいるのか」
「...風だろ」
「そうか」
「あぁ、えーとなんだっけ。あ、思い出した。志田をまず校庭に呼び出したんだ」
〇
俺は急いで部室に戻った。
「志田!」
「はいぃ、なにどしたのぉ」
部室は少しピリピリしていた。
「ナツのこと、探しに行くぞ」
空気が線となったのが肌身で感じる。こいつらわかりやすすぎる。
「今高城が探しに行ったんじゃないの」
「あぁ、頭数増やしたほうがいいかなって、んで多すぎてもだめだし、あいつらはカードゲームしてるし、今暇そうにしているお前。志田が必要なわけ」
「へぇ、気が利くね」
「うるせー、行くか行かないかどうする?」
「行く」
「英断だ、行くぞ」
「了解ぃ」
そうして、誘い込むことに成功した。こいつ、志田は、数分後に死ぬ。ナツから離して、お礼をしてもらう。何をしてもらおうか。笑みがこぼれる。
「高城、目星はついてんの?」
「どうせ、グリーンルームとかにいるんじゃないか」
「んなわけないだろ、多分校舎近くの水槽にいる鯉でも見てんだろ」
「東屋の中にあるあそこか」
「とりあえず行こうぜ」
「あぁ」
東屋についたとき、思いがけない人物がいた。
〇
コーヒーの微糖を喉に通わせ、また一手、置く。夕方とも、夜とも言えない曖昧な時間だった。なんだか、心地が良い。このコーヒーにアルコールでも入っているかのように俺を錯覚させた。
「んで、高城は、志田を部室から連れ出して、東屋まで来たわけだ」
彼は少し考えこんで一手、置いた。
「うん、結果的に志田は死んだんだけど、僕の計画が少々脅かしたのは、確実に彼のせいだね」
「彼?夏川じゃなかったのか」
彼はあくびをしながら、空を見上げ言った。
「あぁ、そいつは意外にも餌やりをしていた。手下も連れずに一人でね。珍しいと思ったよ。何かの見間違えかなと思えるほどに」
「なんか酔ってんかお前?大げさだな。手下?あぁ、あいつがいたのか」
〇
「あ?お前高城か?」
「清水、お前ここでなにしてんだよ」
「あれ、志田もいるのか」
「や、やぁ」
彼はどこか寂しい目を俺らに向けていた。
「まぁいいわ、お前ら餌やり、やってみるか」
ここで断ってもめんどくさいことになりかねない。
「あぁ、やってみるよ。いいよな志田」
「え、う、うん」
志田は完全に縮こまってしまっている。俺たちは清水から餌袋を受け取った。清水と対面する形で座ってしまったのは失敗したと思う。志田はちょびちょびと、袋から餌を取り出しては、鯉を呼んだ。開口一番、清水が話す。
「なぁ、高城」
「...なんだ」
「お前は罪滅ぼしをしたことはあるか」
「罪滅ぼし?どうした急に、清水らしくない」
「さっきさ、電話で、父親が自殺したことを知ったんだ」
空気が一段と重くなったのを感じる。心なしか鯉の動きが一瞬止まった気がした。俺はこいつが生技にしたことを忘れてはいない。しかし、仕返しをするのは俺じゃない、生技だ、どうせ、清水は後で痛い目を見る。まぁ、父親が亡くなったことは、それとこれとは無関係だ。同情する。
「そうか、それは残念だったな。えっと、お悔やみ申し上げます」
「お、お悔やみ、申し上げます...」
志田も俺に続いた。
「あぁ、どうも」
鯉は依然として、餌を食らう。水槽の端々に集まり、中央がぽっかり空いている。俺らと清水の間にある壁のようだ。
「それでさ、俺、父子家庭の一人っ子で、父親は忙しくて俺のこと見てくれなかったんだよ。だからといって、言えることじゃないんだが、人に迷惑ばかりかけて、嫌な思いをさせて、誰かを傷つけた。そしたらまぁ、学校から家庭に連絡がいくだろ。父親に怒られたかったんだ。どんな形であれ、かまってほしかったんだ」
黙って聞くしかなかった。俺はこいつの家庭について知らなかった。志田も黙りこけている。ふと、清水の顔を覗くと鳥肌が立ち、視線を下に戻した。こいつは、今見てる鯉のような目をしていた。ただ単に、恐怖という感情が先行して、餌袋を握っている手は、汗で包まれている。
「んで、今日知ったんだけど、父親に借金があることも知って、俺も父親もバカだから、要領良くできなかったんだな。目の前の重責に耐えられず首吊り。家賃も滞納してた。家に入っていく父親を見た大家さんは、今日取り立てに行ったんだ。何度声をかけても返事がないから、ドアを開けて中に入ったんだ。そしたら、仏になってた。警察呼んで、さっき連絡が入ったってわけ」
「...そうか」
静寂が訪れる。この後どんな言葉を掛ければいい。
〇
「なぁ高城、話なげぇよ、清水のとこはスッと飛ばしていいよ。あとお前がだらだらと話に力が入りすぎて俺がオセロ勝っちまう、ぞ。ほれ」
オセロも中盤を過ぎた。オセロは今、高城が優勢だ。
「まぁ、待て、もうすぐで話はクライマックスだ」
「そうか。なぁ、そういえば、宮田さん、まだ下見てるけど、彼女も呼ぼう。オーディエンスが俺だけじゃ、お前も寂しいだろう」
変な提案をするなこいつは。
「え、あぁ、呼びたきゃ呼べばいい」
「おーい!宮田ぁ!こっちきて話そう!」
「え、あ、はーい!」
飼い主に呼ばれた犬のように笑顔で走ってきた。
「まぁまぁここに座れよ」
高城は自分のすぐ横に宮田さんを座らせた。その姿は忠犬かと思わされた。なんとも異様である。
「弘樹って女たらしなの?」
弘樹の手が一瞬滞る。
「人聞き悪いな、人柄がいいんだよ」
力強く、一手置いた。そういうことを自分から言うとは、流石と言わざるを得ない。彼が彼を確立するアイデンティティを理解してないと出ない言葉だ。これが傲慢さではなく事実であるから、否定もできない。もちろんそれを彼は分かっている。
「角をとったぞ、さぁどうする」
弘樹は自信満々の様子で答えた。
「...はは、まだ手はあるんだよ」
俺は、コーヒー缶を手に取ると、それを一気に飲み干した。ずっと話していると喉が乾く。そして、切り出した。
「あれ弘樹、どこまで話したっけ」
「清水のしんみりした話の続きだ」
宮田はぼーっとしている。
「そうだたったそうだった、こっからがおもしろいんだよ...」
〇
清水は自分の起きた不幸を話し終え、俺たちのことを確認する。焦点が合っていない彼の目は、より恐怖を助長させた。
「ごめんなこんな話聞かせてしちまって」
「いや大丈夫、それより清水、お前これからどうする気だ」
「...俺が知りてぇよ」
「...悪い」
俺はことごとく清水の地雷を踏みぬいているような気がする。お世辞にも居心地が良いとは言えない。その時、志田側にいた一匹の鯉が勢い余って、水槽から出てしまった。三人とも、ジタバタと地を弾く一匹の鯉を眺めていた。なんとも活きがいい。
「なぁ、この鯉助けるべきだよな」
「あぁ、苦しそうだ」
「こいつは、自分から自由を求めて出ちまったわけだろ」
「あぁ、出ちまったな」
「もし、この水槽の外が川で、この鯉が運良くそこにダイブできていたとしたら、こいつは幸せに、自由に生きられたか?」
「あ、あの俺は違うと思う」
志田が口をパクパクさせながら話す。清水は志田を、その虚ろな瞳で捉えた。
「お、俺は、餌を待って、安全で快適なこの水槽にいることが、外の世界を知らず、無知でいることが、ある意味幸せだと思う。川で自由に泳ぐことが、囚われた鯉たちにとって幸せだと決めてるのは、人間のエゴだと思う」
志田の考えに少し共感した。こいつは鯉目線で話している。
「確かに、一理あるな」
珍しく清水が、対話をしているような気がする。今まで、暴力的な側面しか見てなかった。人間には様々な面がある。それを強く思わせる出来事だ。
「まぁ、俺はこれから職員室に寄って帰る。お前らは両親を大事にしろよ」
「あぁ」
そういうと、清水は立ち上がって、東屋を出ていった。ビチビチと音を立てて、鯉はまだ息を空気に吸わされている。
「なぁ、高城」
「なんだ、志田、」
「水を得た魚は、自らが被害者であることに気づかずに、尾ひれを弾く」
「...は?」
「あいつは、学校という枠組みで横柄な態度で自由に暴れていたけど、その枠組みから予期せぬ形ではみ出たあいつは今、この鯉のように苦しんでる。最初からあいつは被害者だったんだよ」
「...やっぱ、お前が言うこと、よくわかんねぇよ」
「そっか...あ、清水、財布忘れてる、届けてくるわ」
「おい待て」
俺も志田の後に続く。ここで逃げられちゃたまったもんじゃない。計画がパーになる。二人とも清水に駆け寄った。
「おーい清水、財布忘れてるぞー!」
「あぁ、悪い、ありがとう」
その時、上から弘樹の声が聞こえた。なんとかの番だ、俺に頼ってくれ、とかそんなことを言っていたのかな。そして、岩淵さんと宮田さんの姿が目視できた。俺は一瞬で理解したよ。だがここじゃ、落ちたとして、清水に当たってしまう。まずいな。
「おい、志田、屋上にいるの、あれナツじゃないか!?」
だから、志田に気付かせる必要があった。
「おい噓だろ、本当か高城!?」
志田の目が悪くて助かった。
「いやあれ」
「清水!危ない!!」
清水が何かを言う前に志田が遮った。清水の体を押した。志田は、落ちてくる岩淵の下敷きとなる。とんでもなく大きい音と今後忘れないであろう光景を目の前で晒され、尻餅をついた清水は、声とも言えない声で、発狂、悲鳴、叫喚を校舎にぶつけていた。表情が先ほどの鯉みたいで、滑稽だった。二人の肉塊から、遅れて黒が座れそうな二人の体液がゆっくりと液溜まりをつくっている。即死だろう。
俺は「せ、先生を呼んでくる!」と半狂乱を装いながら、その場を去った。今すぐに屋上に行きたかった。ここまでの過程を誰かに話したかった。気が利くかなと思って、コーヒーを二缶買った。ふと、横目に東屋にいた鯉を見た。まだバタバタと身をせわしなく動かしている。存外生き延びるもんだなと、それを見て一番に出てきた感想だった。
〇
「んで、ここまで来たってわけ」
オセロの盤上は黒が支配しており、白が所々に点在している。宮田はぼーっとしている。一種の精神崩壊、もしくはショッキングなものを見て、一時的なハイになっているのかもしれない。
「へぇ~、なぁ高城」
「なに?」
「計画通りいった感想は?」
「最高に気持ちいいよ」
「お前やっぱどっか狂ってるよ」
「筋が通ってればいいんだよ」
「お前の計画に鯉を殺すことは含まれていたのか」
「あれは、そういう運命だったんだよ」
「全然筋通ってないじゃん」
「うるさい」
「あと高城、俺オセロ勝つよ」
彼は驕った一手を差し出してきた。ここからが快進撃だ。
「それはどうかな」
育った空きマスがここに入れてと言わんばかり。ここでも、餌を待つ鯉を彷彿とさせる。もう全部鯉に見えてきてしまった。ぼーっとしている宮田は、暗さを纏う清水に似ていた。オセロは後攻が有利だと思っている。順番さえ間違えなければ、この対戦、勝てる。
「はい、弘樹、パスだよね、はい、次もパスね」
「おいおい、どうなってんだこれ」
弘樹の顔が徐々に歪んでいく。盤上は次から次へと白に姿を変えた。反旗を翻すこのゲームは、この瞬間が醍醐味なのだ。結果的には九割が白へと変貌し、勝った。
「まじかよ、高城の勝ちだ。最後は怒涛の展開だったな」
「やっぱオセロっておもしろいわ」
「だな、まぁ、もういいだろう」
弘樹は悔しそうにコーヒーを飲み干すと、俺の頭上をめがけ、弧を描いて放った。
「おい行儀が悪いぞ」
「ほら、見とけ」
カコン!...「痛っ!」
「その声、ナツか!?」
「うう、痛てて、バレちゃったか」
「最初から丸見えでしたよ、初めまして夏川さん」
「どうも、えーと、弘樹先輩。なぜ私のことを?」
「ほら、合同授業で一緒じゃないですか。三年と二年の」
「あぁ、高城先輩しか認知してなかった」
「だってよ高城」
「あ、うん聞こえてるよ」
「てか降りて来いよ、夏川さん」
「はいっす。よっと」
綺麗に着地したのち、こちらに近づいてきた。
「んで、まぁ、全部見てたわけですけど。煮るなり焼くなりって感じですか?」
「俺は別にいいけど、高城は?」
「ナツに全部聞かれたのがショック」
「いや全然大丈夫ですよ、一部始終見てたし、そこそこ楽しませてもらいましたし」
「そうか、あ、聞きたいことあるんだった。志田に脅されてたって、あれどういう意味?」
「あ~あれね、冗談です。なんか面白いこと起きるかなって」
「...まじかよ」
ちょっと待てよ、てことは俺、何も悪くない人間を、殺したということか...は。
え、俺は踊らされていたのか。はは、志田、被害者はどっちだよ。
「いやぁ、まずこの状況、めっちゃ面白いですよね、だって二人、人殺しなんですもん」
空気がぴりつく。
「まぁ、間違いではないか」
「そうだなぁ」
夕日は沈みかけ、左を見れば、月が満ち欠けに飽きている様子だった。二人とも考えていることは一緒かもしれない。感覚は既に麻痺しているらしい。三人は地に足をつけ、この空気を感じているが、一人だけ浮いてるやつがいた。
この会話を聞いてもなお、相変わらず、宮田はぼーっとしている。
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