第六話 だってお前は恵まれてるだろ?②
どうしてこうなった。ああ、最悪だ。あのとき俺がもっと必死になって止めていれば。あいつはまだ、あのフェンスの向こう側へ飛んでいなかったのかもしれない。しかし、俺が悪いわけじゃない。ただあいつが興奮して落ちていったのだ。そうとしか、そう解釈とするしかない。そうだろう宮田?俺の主張に虚偽があったら言ってくれ。それと、二人も死ぬなんて思わないだろう。知らなかったんだ。俺も。
○
「ごめん、いったん部活抜けるわ。急用ができた、キャプテンにも伝えておいてくれ」
「え、弘樹、俺言い過ぎたか?」
「そんなんじゃない、悪いな、後で」
「...わかった。伝えておく」
話が分かるやつで助かった。俺は全速力で屋上へと向かう。待ってろ岩淵。俺があの時告げるべきだった言葉を、内臓から引きずり出して何が何でも言ってやるつもりだ。階段を駆け上がる。
「岩淵!!」
そこには確かに二人いた。一人は大切な人だ。もう一人は、確か岩淵のクラスメイトか。
「え、岩淵、あれ、あんたの彼氏じゃない?」
「...うん、弘樹、どうして来たの」
微かに怒気と狂気が籠った、寂しい口ぶりだった。屋上はひどく冷えているように感じる。
「はぁ、その、ごめん。はぁ、もっと他に、あの時言うべきことが、はぁ、あった。」
「...」
一旦、息を整える。ちゃんと向き合うんだ。
「なぁ、もう一回、やり直さないか」
無言が数秒続き、顔を下げると薄ら笑いを浮かべ、口を開いた。
「あはは、遅いよ、その言葉はもう数週間前に言うべきだったんじゃないかな。だってそうでしょ?弘樹の家に行った時だってそう。散々、散々その、尽くしたっていうのに、全然明るい顔にならないし、不満あるなら言ってって、何回も伝えたのに、『大丈夫、ありがとう』って言うだけだし。私、もう、わかんないよ!」
不満の箱は、ダムが決壊したかの如く、その中身が口から吐き出される。感情が乗ってる割には、理路整然としている口ぶりだ。ずっと抱えていたのだろう。俺に対する、不平不満が。
「あぁ、そうだな、悪かった」
違う、なんで冷たくあしらうような言い方しかできないんだ。そういうことを言いたいんじゃない。俺が感情的になってどうする。
「ほら、やっぱりその顔。俯いて、陰った顔して、そういう所だよ。もう言いたいことないんだったら、帰って」
何が正解なんだ。
「ねぇ岩淵、早く、あれ、見たいんだけど」
隣にいる、えーと、名前なんだっけ。
「うん。いこう宮田」
宮田というのか。二人は手をつないで、フェンスの扉を開ける。すぐに地上を見渡せる所に立っていた。そこは危ないだろ。
「その、み、宮田さんは何しに来たんだ。岩淵と、何しようとしているんだ」
「あー、こっから岩淵が飛ぶのを見に来たんだよ。あと、さっきの口ぶりでなんとなく状況は察したよ。要は痴情のもつれってやつでしょ?私にはよくわからないけど、色々あんだね。あんたら」
なんて楽観的な女なんだ。他人事だからと、横から個人の問題に突っ込まれて気分が悪い。
「まぁ、弘樹にはわかんないでしょ」
岩淵までそんなこと言うのか。
「なぁ」
「なに弘樹、」
違うやめろ。これは違う。
「はぁ、まだ何かあるの?岩淵、こいつにかまってないで早く飛ぼ?」
夕日は、雲に陰る。
「宮田、ありがとね、大好き」
俺から、何かが吹っ切れた音がした。
「だって、お前は恵まれてるだろ?」
「なんのこと?」
「お前には、水が止まらない家があって、頼れる友人がいて、両親から愛されて、子宝にも恵まれて、お前には、何でもあるじゃないか。俺の家で、毎回行為が終わるたび、ケロッとした顔で、友達の話やら家族団欒の話を聞くたび虫唾が走った。」
「すんごい荒唐無稽なこと言ってるって、えーと、弘樹君はわかってるの?ねぇ岩淵?って、え、岩淵?」
俺は、彼女への歩みを止めない。
「弘樹...」
「でも!でもな!それ以上の絶望が外套のように俺を包み、希望から俺を守った。希望が見えなかったんだ。その外套の隙間から、岩淵が俺に手を差し伸べてくれた事実は変わらない。今度は俺が手を差し伸べる番だ!傷だらけで、なんとも頼りないかもしれないが、俺を頼ってくれ!ちゃんと責任を取るよ。だから二人一緒に...」
はぁ。
「言いたいことは、言ったつもりだ」
「...そんなこと考えてたんだ弘樹、私、私ね」
「言いたいことは、言ったつもりだ。だからさ」
「うん、二人で一緒に」
「だから、お腹の子と一緒に行けよ」
包帯は取れたが、まだまだ傷だらけの右腕を差し伸べる。彼女の肩を押すには十分な力過ぎた。
「え、ちょっとまっ」
落ちる直前、彼女は泣くような表情をこっちに向けた。だからもう一度吐き捨てた。
「だって、お前は恵まれてるだろ」
数秒後、嫌な音が聞こえた。ぐしゃっと、今日の夢に出てきそうな忘れられない音だった。そのあとに続き、鳥が木から離れるような耳をつんざく悲鳴が聞こえる。二つの命が今、失われた。
「弘樹君、あんた何したか、わかってる...」
「あ、あぁ。このこと話すなよ。もし話したらお前も同じ目に合わせるからな。わかったか。...あ」
鼻血が出てきた。慌てて手で押さえる。俺の手は赤く染められた。
「わ、わかったって」
宮田という女は興味津々で下を見ている。サイコパスかなんかの類だろう、関わりたくないタイプだ。俺は黙って帰ろうとした。ドアノブに手を掛け、もう一度振り返った。もう忘れよう、そう思った矢先、ドアを開く音が屋上に鳴り響く。
「はぁ、弘樹か、はぁ、お前も駆けつけていたのか」
「高城か、ああ、今、二人死んだ」
岩淵とそのお腹の子。まぁこいつにはわからないだろう。「二人?」と聞いてくるはずだ。まだ、俺が押したことはバレてない。宮田は多分しゃべらないだろう。高城の両ポケットには膨らみが見える。何が入っているのだろう。すると高城は息を整えて、口を開いた。
「なぁ、何があったか教えてくれないか、弘樹、今丁度下にいた、志田が巻き込まれて死んだ。即死だ」
おい、冗談だろ。志田、たしか、高城と同じ部活の部員だったか。
「まじか、それはかわいそうだな」
「あ、あぁ....そうだな」
共感している顔ぶりには見えない。なぜなら、こいつは微笑みを浮かべている。
「てか弘樹、鼻血大丈夫か」
「なんてことない」
とりあえずは水に流せそうだ。家の水は流れないが。
「平気だ」
満面の笑みで答えてやった。
「んで、押したのお前だよな」
心臓が強く波打つ。
「...なんのことだよ」
なぜ俺を疑う。まず先にフェンスを超えた先にいる宮田を疑うべきだろ。
「俺知ってんだよ」
「...何を」
「お前、噓つくとき、左耳、つまんで撫でるんだよ」
悪い癖が、あいつのがうつってしまったらしい。
「で、押したのお前だろ」
「泳がすとは、性根が腐ってんな。あぁ、そうだ」
「そうか、お前でよかった。助かったよ。お前が押したことは言わない」
「は?」
「はは、全部、計画通りにいった」
ここに来るまでの反応は全部演技か。
「...どういうことか全部話してもらえるか?」
「少し長くなるけどいいかな」
「あぁ、とりあえず、じゃあそこの机と椅子に腰かけようぜ」
「いいね、あとこれ。ほいっ」
ポケットから二つコーヒーを取り出した。
「おっと、どうも、微糖か、いいね」
俺と高城は対面するように腰かけ、机の中に入っていたボードゲームを広げた。雲で型抜きされた駄菓子のような夕日は、高城の右顔を照らす。屋上にいる全員が、凱旋したような、誇りを背負っているような、何かの達成感に浸っているような、そんな表情をしている。
「オセロ?」
「そうだよ、軽くやりながら話してもいい?」
「変な奴、いいよ」
高城は白、俺は黒で始まった。どちらも手は真っ赤に染まっているのに。
「まず初めに、俺は岩淵さんが飛び降りることを知っていた」
高城は嬉々として語り始めた。
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