第九話 噓がとっびきりの愛なわけねぇだろ
岩淵が弘樹君に押されて、死んだ。あと、巻き添えでもう一人死んだ。私は、もうこれ以上面白いものを人生の中で見られないなと思った。でも、そんな思いは灰燼に帰すように、この後、さらに衝撃的なことが起こるなんて、だれも予想していないだろう。起こる?いや、必然だったのかもしれない。彼ら彼女らの行く末を。ここから先は、私が付け加えながら記しておこう。最期の映画は六十秒では収まらず、十分を超えるかもしれない。まぁ確実に言えることは、今日が私の人生の中で最も残酷で最も興が乗った日だった。
〇
オレンジの絵の具を使った水彩画で優しく塗り上げられ、絵画になった私たちに長い沈黙が訪れた。重い口を最初に開いたのは、夏川だった。
「で、どうするの、私はもうこのまま帰るけど」
夏川は、映画のエンドロールに帰るタイプかと思わせる、もう飽きた、と言わんばかりの口ぶりだった。絶対そうだ。一拍置いて、高城が続ける。
「そうか、あ、まって、ひとつ聞きたいことがある」
「高城やめとけ、お前が傷つくだけだ」
「弘樹、ありがとう、いや、もういいんだ」
席を立ちあがり、ナツのもとへ近づく。私は、高城が座っていた椅子に座った。弘樹に変な顔をされたが、すぐあの二人に視線を戻し、私たちは見守っている。今、青春の一ページを見せつけられていると考えると、少し腹が立った。
「...で、なんですか、高城先輩」
「なぁ、ナツ。部活の時だけ、タメ口なのは、なんでなんだ」
「えー、なんとなく、部活だし、あとあんまうちの部活って、上下関係緩いじゃないですか。だからです。」
「...そうだったのか、俺はてっきり、その、先輩後輩よりも少し親密な関係になれたのかと、思ってた...」
「そうですか、なんかすみません」
夏川が気まずそうに視線をそらし軽く頭を下げる。
「もうぶっちゃけ聞くけど、ナツは俺のこと、どう思ってる」
「えーっと、いい先輩だなって。思ってます」
「そうじゃなくて、それ以上の感情は持ち合わせていないのか?」
高城は両手に握りこぶしをつけながら、耳を真っ赤にさせて言っていた。
「...すいません、私、先輩のことは好きなんですけど、今付き合ってる彼氏も好きで、私、もうよくわからないですよね。最低ですよね、ごめんなさい。だから、あの、付き合えないです」
そこには二人しか相容れないドロドロというか、端的に形容するなら、グロい。そんな関係があった。ハッキリ言って気持ち悪い。さすがの弘樹もドン引きした表情を浮かべていて、少し安心した。こいつも人間なのだ。
「そうか...わかった」
その時の高城の顔は、思い出したくない。私たちを戦慄させるには十分で、今にも逃げ出したくなるような、そう本能が訴えかけていたからだ。でも、体は金縛りにあっているのか、動かそうにも動かない。弘樹も私も、先生に怒られているみたいに、顔を下に向け、苦痛の時間を耐え抜こうと試みている。
「ぐはっ...え、痛...い、なんで、せんぽあ...」
夏川が膝から落ちる音が聞こえる。高城が、夏川を殴った。
「うるせぇよ」
怒気が込められた一言だった。慈悲なんてない。
「うっ、ごほっ、ごほっ...痛い...」
もう一発、殴ったようだ。
「お前は、人をたぶらかしたゴミみたいな人間だ。でも、俺は、そんなお前のことが好きだったよ。俺もやばいかもな。あとお前に彼氏がいることは知っていた」
「ひっ!痛い痛い!離してよ!」
私の視界の端がとらえたのは、夏川の髪を力任せに引っ張っている高城だった。あんなに残忍になった高城を見て、目の前の弘樹は涙を流している。先生に怒られている小学生みたいだった。
「お前に彼氏がいると知りながら、俺はお前と遊んでたよ、楽しかったよ。でも、あの日々は噓だったみたいだ。あと志田のことも騙してたし。結局あんなことになったけど、俺もお前も救いようねぇんだよ」
フェンスの扉は、全開に開いている。フェンスの中に入り、髪を掴みながら、夏川を縁に立たせる。
「痛い!ねぇ、ほんとにやめて!ごめんなさい悪かった!」
「悪かった?」
「はい...反省してます。でも私、先輩のことはほんとに好きなんです!一緒にいて安心するし、音楽の趣味も好きだし、てか、先輩がインスタのノートに付けている音楽、私、全部調べて自分のプレイリストに入れてるんですよ!それぐらい好きなんです!冗談も言い合えるの先輩ぐらいしかいないし、来年先輩卒業しちゃうし、寂しいですよ...あと...」
必死に早口でまくしたてるよう喋る夏川。これに引っかかる男はいるのだろうか。本音だとしても、命乞いにしか聞こえない。高城は黙って聞いている。
「私と一緒で、きのこの山派だから嬉しいです。先輩は、私との遊んだ日々を噓だって言ってましたが、その噓にはとびっきりの愛が含まれてることは忘れないで下さい!」
夏川は上目使いではにかむような表情を高城に向ける。反対に高城は、夏川の顔をもう見ていなかった。
「なぁ、ナツ、お前、一つ勘違いしてるよ」
「...なんですか」
高城は髪から手を放す。
「噓がとっびきりな愛なわけねぇだろ」
「え、うっ!」
高城は夏川の首を強く絞める。夏川は心底驚いた顔をしていた。
「ど、どうじで...」
「もう一つ、俺はたけのこ派だ」
高城は勢いよく夏川の体を投げ出すと、彼女はそのままあっけなく落ちていった。数秒後には彼女の体が地面に激しく打ち付けられた音が校舎を殴る。この校舎も可哀想だ。今日で何回殴られただろう。設立して半世紀ほどの校舎ならノックアウトされているに違いない。私も私でおかしくなっていた。この場にいればわかる。気が気ではない。
「はぁ、やっちまった。けど、清々した」
彼の表情は心なしかさっきよりも明るくなって、むしろ口元が緩くなっていた。月は私たちよりも少し高いところからこの現場を見ている。唯一の空からの目撃者だ。彼に警戒しながら横を通り、下をゆっくりと覗く。下には、多くの人だかりができており、じきに、この屋上にも先生が来ることは明白だった。
「なぁ」
虚空に投げる。弘樹と私に問いかけているのか、独り言なのかわからない声量で高城は続ける。
「もう帰らないか」
高城はどんな思いで、今立っているのか。
「...帰ろう」
弘樹は泣き止んでいた。彼は白を飾ったオセロの盤上を眺めながら言うと、抜け殻のように立ちあがった。私も、急いで二人についていった。この屋上にはもう二度と来たくない。三人とも口には出さないが、そう思っただろう。ドアを開け、三人は見えずらくなった階段を下る。
校舎は静寂で満たされており、私たちがこの建物内で異物であると認識させられる。
「おええ、最悪な気分だ」
「大丈夫か高城」
無理もない、あんなことが起こるなんて思わなかった。何しろ今日で、あんなに人が死ぬなんて。早く家に帰りたい。
「とりあえず、ばれないように慎重に行くぞ。裏門から出る。あとはそれぞれの帰路につく感じで、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「お、やっと喋ったなサイコパス女」
さっきまで泣いてたくせに何言ってんの。
「は?普通の女ですぅ」
「死体のこと大好きな悪趣味してる女だろ?」
「身ごもった同級生を屋上から突き落とす最低な男でしょ?」
あはは、こいつ許さねぇ、と笑いながら弘樹は言い返す。
「あはは、まぁまぁ二人ともやめなって、今ここにいる俺たちは犯罪者だ。だから、ここで起きたことは内密に。警察に事情聴取されても絶対に話さないこと。いい?」
「おっけー高城」
「わかったよ、高城君」
「...ごめん、君付けはやめて」
「あ、ごめん、わかった」
まだ尾を引いているようだった。こうやって男子と一緒に帰ることなんて、今までの私の人生なら想像のつかないことだった。このシーンを切り取ってしまえば、私は今、普通の女子高生なのかもしれない。
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