第四話 「若い」の使い方には説明書が無い

 希死念慮はまだ消えない。屋上が好きだ。上を見れば空が見える。下を見れば小さい人たちが学校に吸い込まれていく様子が見える。私は日々の鬱憤をこれから起こる劇を通して解消したいのか、それとも、その劇を見たあと足を運び、落ちながらそれを見上げるのか。きっとそれは、天使にでもなった気分で心地が良いはずだ。



「ぱぱーらぱぱら、ぱぱーらぱぱら、ぱぱぱぱぱーぱぱぱぱぱー…」

「…はぁ」

 リビングに響き渡るこの音楽。それが流れると毎回家族全員の溜息が漏れた。この耳障りの悪い音の集合は、頭を抱えさせるには十分すぎる。それぞれの分担になっている仕事の準備をし、祖母の部屋へと向かう。

「はい来たよー」


 返事はない、ただ、意識だけはある。役割はもう決まっている。あとは同じ轍を踏むだけ。祖母の老体を持ち上げ、服を脱がす。母はぬるいタオルで割れ物のように祖母を扱う。おかゆの入った容器を手に持ったまま、私は傍でそれを眺め、一昨日のことを思い出していた。


「あの子に触られたくない」


 一昨日、母が祖母の部屋にいて、二人の話し声が聞こえた。私は、私は、私は、もうどうにでもなってしまえばいい、と心のなかで毒づいた。優しかった祖母はもういない。知っていることなのに、そうでないことを願っている自分がいる。自室にこもり、両手を前に出すと、縞模様の腕が私の前に現れる。かさぶたに固められたものや、深く切り込んでしまって膿でグジュグジュになっているものもある。光の反射で色彩が色濃く見える様は、ステンドガラスで造形された腕に見えたが、綺麗とは言えない模様で、なんとも味気無い。

 私の部屋に近づいてくる足音が聞こえる。これは、お父さんだな。ため息もつかぬ間に父親が部屋に入ってきて怒号を浴びせる。


「なぁ、飯はまだか...てかおい、何だその腕の傷」

 腕を乱暴に捕まれ、顔に寄せられる。

「なに馬鹿げたことやってんの。大体、お前は第一志望の高校にも落ちて、わざわざあの高校に通わせてやったのに、結果も出していない。なぁ、お前は何やってるんだ」

「...ごめんなさい」

「...ッチ、飯作れ」

「...はい」

そう言い残して私の部屋から出ていった。


 ほんとに嫌な一昨日だった。


 父親は心配をしない。怒るだけ。祖母の介護にだって協力したことは一度もない。過去に私の中で何かが壊れ、部屋の家具を刃物で切りつけたり、物を投げたり、荒唐無稽に暴れまわったことがあった。物音を聞いて、私の部屋に家族が集まる。その瞬間、彼ら彼女らは私を見て、笑った。この家族は異常なのかもしれない、と感じた。


 祖母の容態が悪化し、病院に引き取られ、点滴を打って寝たきりの状態になったのは先月。とうとう介護から開放され晴れて自由の身になった、とそんな楽観的な思想はどうやら持ち合わせていなかった。負担は減ったが、今度は両親からのあたりが強くなった。雨の日の送迎時は車の中で父親に罵詈雑言を浴びせられ、母親は少々ヒステリックになり、その甲高い声で私は罵倒の嵐を食らう。


 お母さんはヒスって、この頃、「私と一緒に死んで」「あんたは失敗した」と悲しい言葉を浴びせてくる。私のリスカがバレたと同時期に風邪を引き、家で自堕落な生活をしていたと思われたからかもしれない。辛い。また、昨日の夜、手首にカッターを引いた。なんだか傷が治ると不安が襲いかかってくるため、連日にかけて行ってしまう。お母さんは感情的に怒ることがほとんだだ。こちらが、いくら正しくても否定される。他人が見たら壮絶と言うだろうか。この人達にとって一番迷惑がかかる死に方を模索するのに、何日も頭を抱えたことがある。


 止まない雨はない、私は「雨」が好きだ。

 ただ、辛い表現に使われる意味での「雨」は嫌いだ。


 学校に着いても、私を否定するものばかり溢れている。

 特にこの、学年1位のあの子。


「あーそんでね夏川~、これはママに買ってもらったやつで〜、これはね、パパが旅行のお土産で買ってきてくれたやつでね〜」


 容姿淡麗、頭脳明晰、八方美人な彼女はすべてを持ち合わせているように感じる。品行方正で、些細な素振りに育ちの良さを感じ、あたり前かのように両親からの愛情を注がれて育ったタイプの子だ。同じ高校生なのになぜここまで違うのかと、度々感じている格差について、ほんとは比べるものではないと分かっていてもだ。


 彼女の目を見ると、こちら側の内心を覗かれているようでヒヤヒヤして逸らしてしまう。私が内心でこんなに毒づいていることを彼女は知る由もないだろう。しかし、心の何処かでは思っている。聞き伝てで、彼女の耳に渡り、彼女がショックを受ける様を。また私も聞き伝てで、そのことを知るのだ。私自身がこんなに根本が腐っている人間だと思いたくはないのだが、この家庭環境では仕方がないのではないかと、どこか納得している部分もある。


 私は限界に近かった、だからなのかもしれない。空は雨模様から晴れに移り変わっている。屋上で足を揺らしながら、本を読んでいるのも、何も意味はないのかもしれない。ただ、この瞬間だけが私を認め、私を自由にさせてくれると信じている。


 考え事をするのも決まってここだった。

 まだ続くのは少し癪だが、待つ。この学校で起きている騒動を少し利用させてもらった。もう時期、彼ら彼女らが様々な問題を抱え、この屋上へと集結する。私は屋上へ登る階段の建物の上に身を潜めた。ここからだと屋上側からは意識しないと見えないはずだ。私は、この目で彼ら彼女らの人生を見届けようと思っている。


 レールが外れたトロッコは、崖で踏みとどまれるか、もしくはそのまま落下するか。思春期特有の感情の暴走によってすべてを飲み込み、周囲を巻き込むか。終焉に近づきヒートアップする焚き火のように、チリチリと、感情がぶつかり合い、醜い本心が露わとなり、面白い科学反応が見れるのではないだろうか。私は、これまでにない感情の高ぶりに身震いしながらも、虎視眈々と、その時を待っていた。


 絶望感に浸りながらも生きている私には一応彼氏がいる。県内トップの高校に通う、優等生だ。でも私は、この高校の先輩に手を出した。いや、出さざるおえなかった。私は結局のところ、連絡もすぐには取れない、喧嘩も多い、そんな寂しい日々に嫌気が差したのかもしれない。浮気という言葉はお互い出さず、誠実さを取り繕って生きた。先輩には、彼氏と別れると言っておきながら、今でも会って遊んでいる。先月、彼氏とイルミネーションに行った帰りにスタバに寄ったところを見られ、その日の夜の電話で問い詰められたのは流石に焦った。しかし、先輩は私を失うのが怖いのか、関係を断ち切られるのに躊躇しているのか、深くまでは踏み込まれずになんとかなった。誠実性をうたっておきながら、私はしていることが矛盾になって現れるらしい。


「はあ、あーあ」


 ため息を付いても、現状は変わらない。体内に溜まった不快な感情と言葉を一時的に吐き出して楽になろうとしている。可哀想な私は、こうやって生きるしかないのだ。「若い」の使い方には説明書が無い。だから、好き勝手やってもいいと解釈している。


 そんな悲しい自己理解を深めていると、まず一組目がきた。二人ほどの階段を駆け上がる足音が聞こえる。

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