ポテトは加工されるから、ポテトフライになる
「あーあ、行きたくないなー」
だるい部活、なんで行くことになったんだっけ。もうなんでもいいや。
「おい宮田、提出プリント、今日の放課後までに出すんだぞ。忘れんなよ」
「はーい」
名指しかよ。ひっど、私がクラスのみんなの前で恥をさらして先生はさぞかしご満悦でしょうね。なんで私は毒づいているんだ。あー思い出した。私がこういう性格をしているからだ。三年生になってもまともに進路を考えられない計画性のなさが私の性格を物語っている。
てか、周りの環境でしょ。人格形成は環境によって構築される、なんて記事をニュースで見た。私は現実と折り合いをつけることが怖い。恐れている。
帰りのホームルームが終わるとぞろぞろと席を立ち、どこかに消える。あ、今日は掃除がないのか。先生の話を聞いていなかったが、周りに同調すればなんかやっていける。
「うける、宮田まだそれ出してなかったの?笑」
うるさい。今考えてるよ。
「だってこれ親にも見せてないもん」
はやく書いちゃいたいな。
「しかもそれ先週提出するやつだし」
「はいはい、ちゃちゃっと書いて、帰ったら親にも話して終わりっしょ」
「宮田は軽いねー、進路だよ?もっとよく先のことを考えたらー」
先生みたいなこと言うこの人は、岩渕。私の幼馴染で、彼女は頭も良く、スポーツもできる。おまけに彼氏持ちだ。
「じゃあ先のことを考えて彼氏と別れたんだねー」
「う、先に部活いく」
間違えた。彼氏持ち、だった。正確には先月、別れたらしい。何かのはずみで日々の不満の言い合いへとヒートアップし、その日の夜メールで別れようと告げ、今に至る。次の日の朝、私に泣きながら「めっちゃ後悔してる」と言ってきた。詮索することを避けていたが、いつかほんとのことを聞きたいと思っている。彼女は隠し事をしているとき、左耳をつまんで撫でる。
「うん、じゃあね」
私からすると失恋した後の気持ちとか、移動教室の時廊下で元彼と不意に目が合う気まずさとか、まだ分からない。これからもわからないのかもしれない。
「さぁてと、ぱぱっと書いちゃいますか」
昔から独り言の癖は治らない。心に思ってしまったことをパッと口に出してしまう。岩渕に何回も注意されても治らなかった。
彼女はおせっかいだが、いい意味で面倒見がいい。私が数学のプリントや、物理のレポートを忘れた時は「また忘れたの?しょうがないなあ」と言って、見せてくれる。なぜ私に固執するのかわからないぐらいだ。固執というか、友達だから親しくしてくれるだけか。私はあまり人間関係に依存しない。というか興味がない。
だが、女子の世界でそんな捻くれていては生存は難しい。彼女が私とその世界を繋ぐパイプ役になってくれているおかげで、ハブられずに済んでいる。
学校という小さい世界で、一人一人が自我を出さず、共同体から生まれる大きな意思に従って動く。それが小学生の頃からできている者か、高校生になってもまだ身についていない者の違い。それこそ学校生活を見渡すと顕著に出ている。
良い噂や悪い噂、SNS上の繋がり、彼氏のステータス、全てが生存するため道具であり、それを活用出来ない者は自然淘汰されるか、別の共同体や環境そのものを変えるしかない。もちろん、それに属しないことが悪いとまでは言わない。
ただ事実として、この世界の認識では多数が正義、少数が悪という暗黙のルールがある。一言で残酷、だと当事者ながらに思う。
「よし、書けた、職員室いこっと」
思索に耽っていたら書き終わってしまった。 考えても仕方のないことなのに。
「いそげいそげ」
職員室までの階段を駆け上がる。すれ違うのは部活に向かう生徒や放課後講習の道具を持っていく先生、窓の外にも目をやると、帰宅する生徒、誰かを待っている生徒、部活の練習着に着替えている生徒らがいる。いかにも放課後という感じだ。私は決してそれが嫌いなわけではない。
ただなんとなく、彼らには帰る家があって、出迎えてくれる家族がいて、何らかのコミュニティーに属していることを考えると、うらやまく思ってしまう。きっと、何か一つが壊れてしまっても代替品があるから精神を保てているのではないだろうか。まぁそのコミュニティーにも不安や人間関係とかいろんな問題があって、それに折り合いをつけていくことが大人になっていくことなのかもしれない。だから多分私は、まだ子供なのだ。
職員室前に着くと、スマホ片手に息が上がっている男子生徒がいた。彼は確か、誰だったっけ。気まずいから早く入ってしまえと心の中で催促する。
「あ、ごめん、先どうぞ」
彼が私に話しかけてきた。
「え、なんで?」
「だって、気まずいから早く入ってしまえって聞こえたから、僕に言ってたでしょ?」
「あ、ごめん」
まずい、心の中で思っていたことがつい口に出してしまっていた。恥ずかしさのあまり顔が徐々に熱せられる。実害がとうとう出てしまった。
「んじゃ先行くね、失礼しまーす、3年2組の宮田でーす」
「お、やっと来たか宮田」
先生が私に手を仰ぐ。
「はい、提出プリントです」
「どうも、ふーん」
先生はプリントを受け取ると私の進路をじっくり眺めている。私はこっぱずかしい気持ちとなんらかを毛嫌いする不快感を覚えた。
「宮田、お前教師になりたいのか」
「はい」
適当に書いただけだ。
「なんで?」
「え、公務員で安定しているからですかね」
「そうか、まぁお前が決めたことだ、頑張れよ」
「はい」
そんな生半可な回答でよかったのだろうか。先生も忙しいだろうし一人一人の相手をしている暇もないのだろう。
「じゃあ失礼しまーす」
職員室を出るとき横目に見えたのは彼の姿だった。
「おい、これは本当だろうな」
一つ席をまたいだ奥にさっきの男子生徒と、生活指導の先生が何やら重い雰囲気を纏いながら話していた。気になるので靴ひもを結ぶふりをして盗み聞きをする。
「はい、本当です」
「うーん、これは職員会議案件だな、どんなもん持ち込んできてんだお前」
「でもこれは事実です。正当に罰せられるべきでは?この件に加え、バレー部の部室の窓を割ったのも清水君という噂が生徒の間で流れています。」
岩淵から聞いた話だ。部室の窓が割れたと話していたが、これと何か関係がありそう、いや、私には関係ないな。あの子が解決してくれるんだったら、きっと岩淵が私に話しかけに来るだろう。
「まぁわかった。このデータはもらっておく、少し話し合うよ」
「ありがとうございます、ではこれで失礼します」
まずい、予想していたより早く終わってしまった。ここで出たら鉢合わせになる。靴ひもで耐えるしかない。
「あれ?何してるんですか」
しまった。
「しまった?」
本当に最悪だ。私の個性が最大限発揮されてしまっている。
「な、なんでもない、靴ひもがほどけちゃったから結んでるだけ。右足終わったから次は左足、見せ物じゃないよ」
「はぁ、そうでしたか。では僕はこれで」
私はその数秒後、職員室を出た。何かまずいことを聞いてしまったかもしれないが、正直私の今後の生活を危ぶませるものじゃない限り、興味を持てない。
職員室を出るとき、私はあることに気がついた。部活に行かないといけない。提出プリントを出すという仕事を終えた私にそれはあまりにも酷だ。また来た道をたどる。
私はまだ、人生をたどってない。あと何十年生きるのだろう。長い。思い出は美化され、死ぬときには一つの映画のように流れるのを涙をこらえながら見る。そして人生を終えるらしい。私はその思い出のかけらを拾い、背負ったバスケットに入れる作業をしている。今、何個入っているだろうか。人によってその個数はまちまちだ。
私がそのままお辞儀をしても、鍵を閉め忘れたランドセルの中身をぶちまける小学生のように、かけらは落ちてこない。落ちてもそれは0点のテスト用紙と先々月の給食の献立表、出し忘れた数学のプリント。そんなどうしようもないものに違いない。自分で思って悲しくならないのか。きっと慣れて、ランドセルに蓋をして拾うのを止めてしまったからかもしれない。
落ちてる思い出も、降ってくる思い出も、誰かが渡してくれた思い出も、きっと誰かが拾ってる。
だから、私が拾う必要もない。きっと私の映画は30秒のコマーシャルと遜色ない。せめて、売れてる洗剤より面白いものが死ぬときに見れますようにと、切実に思う。
さてと、入るしかないか。
「こんにちわー、進路のプリントで遅くなりましたー」
「それでも遅いぞー、あと宮田ー」
顧問からのぬるい忠告を素通りして私は体育館に着く。割れた窓はガムテープで補強されて、私の足元には異質な日影が伸びていた。そんなことはどうでもいい。私がサボっていた間、みんな練習に勤しんでいたようだ。
「おい宮田ー、岩淵が呼んでるー」
何の用だろう。帰りにアイス屋に行こうという話なら、聞いてやってもいい。
「はい、なに」
「宮田、私、妊娠してた」
は、は?
「え、ええ、え、は?」
考えていた回答とは、どんな鋭い角度でも入る隙がないものが返ってきた。
「ごめん、宮田にしか相談できなくて」
「それはいいけど、どういうこと、え、え、まじ?」
「大真面目にマジ。一昨日病院に行ったら、もう三か月目だって、信じらんない」
私の人生で、幼馴染が高校生で妊娠するなんて想像もつかないことだった。だが今現実で、目の前で起きていることに驚きを隠せない。
「は、はは、ははは、え、それやばくない」
「うん、そしてね、この子を生むか、堕ろすか悩んでいる」
幼馴染は今、一人の命を生かす殺すかの選択肢に、私のこれから発せられるであろうその答えを尊重し、選択するそうだ。
「宮田、どっちがいいと思う?」
「え、はは、ははは」
私が考えていた幼馴染の岩淵の姿が崩れていく。彼女は頭がよく、友人関係も良好、こんな私とも仲良くしてくれる、まさしく人格者。そんな彼女が妊娠していた。
「ねぇなんで笑うの、こっちは真剣なのに。パニックになんないで答えて」
「え、ははは、は、はは」
理想像は理想像だ。ジャガイモは加工されるからフライドポテトになるのであって、彼女は加工されていたからフライドポテトだったのだ。美味しくてみんなから好かれる、フライドポテトに、私は少し憧れていた。でも、今目の前にいるのは紛れもないジャガイモで、根に毒があるらしい。私は歪で堪らなかったジャガイモに親近感を抱きながら、口を開いた。
「屋上から飛んで死んじゃえば?」
「え」
ぐちゃぐちゃに煮たされた感情は言葉に乗って彼女の表情を作り出した。彼女は悲しそうな表情を浮かべる。さながらB級映画の悲劇のヒロイン面だ。
「うん、そうかもしれない、そのほうがみんなに迷惑かけないのかもしれないね」
「え」
「え、だって宮田がそう言うんでしょ」
「え?」
「宮田の返事が欲しくてわざわざ報告したんだよ。宮田がそう言うなら、私はそうするよ、ねぇ、本当にしちゃうよ?」
彼女への認識が変わった。彼女は私に依存していたのだ。彼女の毒の部分が私の冷や汗を促進させる。胸がぞわぞわした。
多分、二人とも普通じゃしちゃいけない表情と感情を併せ持っている。私は案外悪くない気分でいた。私もジャガイモなのだ。
「じゃあ、一緒に屋上に行こうよ。」
「え?宮田も行くの?」
「見てみたいんだ、岩淵の飛ぶところ」
「わかった、いこう!」
「はは、はは、行こうか」
私はランドセルの蓋を再び開けた。夏休みに入る前日、溜まりに溜まった教科書やプリントを一気に入れ、パンッパンッに膨れ上がったランドセルを思い出す。これから起きる思い出は、それよりも重いと確信していた。
なぜなら今から、本当のポテトフライが見れるらしい。人生で一番面白い瞬間が見れる。最後の映画はやっぱ60秒ぐらいがいいかな、そんな吞気なことを考える。
また一人から始まる。 八木沼アイ @ygnm
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