虚飾も突き詰めれば、いずれ本物になる

 歪さは、まだ拭えない。


 授業が終わり、それでも俺は彼女を目で追っていた。


 好きで好きでたまらない。今日の朝も彼女のことを考えていたし、昨日の夜だって彼女のことで頭がいっぱいだった。


 だが最近、これを恋愛感情などと称していいのか、ずっと心に引っかかっている。不快感。自分のこの感情を恋愛などとは決してうなずけない。さも純粋な気持ちを持ち合わせているように納得させたかったが、さながら疑問がこびりついた。


 席を立つと彼女は友人らに囲まれ、同じ教室へと帰っていく。


 ただ見つめるだけ。彼女は、きっと僕の彼女にはならない。

 彼女がほかの男と楽しそうに話しているところが目に入ってしまったり、自分以外の男子とSNSでやり取りをしているのではないかと考えるだけで日々の鬱憤をはるかに上回る不快感が押し寄せてくる。


 実を言うと、彼女とはここ数日にわたってメッセージのやり取りを頻繫に行っていた。だからかもしれない、日に日に彼女のへの思いが強くなっている気がする。いや、確実に強くなっていた。


 自分の教室に帰る途中、ほかの移動教室の授業だったやつらが続々と帰ってくる。廊下は生徒らで埋まり密集状態。教室の中に入り、机に深く伏せていると急に話しかけてきたやつがいた。

「なぁ高城、なんで振り向いてくれないと思う?」

 ここで知ったこっちゃないと答えたら彼はいったいどんな顔をするのだろう。もしそんな返答をしたらなんだこいつと思われるかな。だが彼は重要なサンプルなんだ、今更関係性をこじらせるような真似はしない。


「弘樹が直接話かけに行かないからだよ」

「お前はできるのかよ」

「まぁ無理」

「だろうな、あーあ、彼女ほしいなぁ」

 彼の話を聞いて少しでも恋愛に関する情報を引き出したい。

「だろうなってなんだよ、もし俺に彼女が出来たらどうする?」

「うーん、きのこの山やるよ」

「やったね」


 そんな薄い相槌を吐き捨てると次の授業を告げる鐘が鳴った。

 恋愛感情を知るには恋愛をしてるやつの話を聞くのが一番いいと考えた。

 弘樹はサッカー部で男子からも女子からも人気な人間。彼は先月、2組の女子バレー部の部長と別れ、二日間は悲しみ、次の日にはケロッとした顔でおはようといってきたやつだ。メンタルが一体どうなっているのか見習いたい。もしかすると俺が知らないだけでそれが普通だったりするのだろうか。いや異常だろ。


 放課後、部室へと足を運ぶ。周りを見渡すとカードゲームをしている人間に、スマホの画面を見続けうろうろする人間。ただ床に大の字に寝転んでいる人間。人間の種類は多様だと何回も思わされる光景だ。まだ彼女は来ていないらしい。

カードゲームをしてるやつが椅子から振り向いて言った。


「なぁ、ナツをみなかったか」

 さっそくかよ。

「いいや、掃除で遅れてるんじゃないか?」

「そうか」


 この四角い箱の中で俺たちは牽制し合っている。なぜなら女性部員は彼女しかおらず、その他は男なのだから。どちらもほんと憎たらしい高校生だ。バッグを置いて待つ。部活が始まる時刻をじゃない、彼女をだ。


「失礼しまーす、掃除で遅れましたー」


 掃き溜めに鶴。紅一点。泥中の蓮。現状を列挙すればきりがない。

 軽やかな足取りで向かうのはいつも通りの角席。彼女が来るやいなや、部室の空気が揺らぐ。少なくとも俺はそう感じた。男子たちの動きが途端にぎこちなく、意識していることがわかる。


「こんちわー」

「...こんちわ」

 さりげなく言った。自分の言った、こんちわに違和感を覚えながらも平常を装った顔をする。


「こんちわ」

「「こんちわ」」

 蛍光灯がわずかに点滅する。他の部員も俺と心情は一緒だろう。そういう空気を感じた。

 隣に座ってきた志田はいつも通り、話し始める。

「冷めたカップヌードルに価値はない、だがレンジに入れれば復活するんだ」

 突然わけのわからない会話をし始める志田に笑ってしまいそうになったが、意をくみ取り会話続ける。

「そうだよな、逆にレンジに入れたほうがおいしくなるんじゃないのか?」

「おお!これは革命的な発明だ!でかした高城!」


 こんな頓狂な内容を誰も理解していない。中身が薄くたっていいのだ。俺は彼女のほう視線を向ける。スマホに視線を向けながら、あ、笑った。どうやら彼女にも聞こえていたらしい。


「どういうことそれ笑」

 ナイスアシスト志田、なんて心の中で思ってみたりしてみる。

「いやなんでもないよ」

「えー、教えてくれたらきのこの山あげるのに」

「じゃあ教えてあげよう」

「よしゃ、高城チョロ笑」

「俺がきのこの山に甘いからって」


 にひひ、と目を横に広げて屈託のないはにかんだ笑顔で俺に話しかけてくる。幸せだ。心が満たされていくのがわかる。こんな状況がずっと続けばいいのに。そんな傲慢な感情は現実によって打ち返されるのだ。


「やっぱきのこの山だよなぁ」

「だよねー」

 共感はその人と気持ちや考えを無条件に繋いでくれる。きっとこの後、暗い感情の波が俺に襲い掛かって来る。彼女には彼氏がいるだろうことも、俺はキープか同じ部活の仲間としか思われていないことも、俺は知っている。


「てか聞いて、うちのクラスでさ生技っていう子が帰りのホームルームで掃除さぼっている人がいますとかいってんの」


 でも頭のどこかで、彼女が俺のことを一日中考えて、布団にもぐるその時まで、恋慕の熱が冷めないという日があってほしいという願望が湧き出る。やはりこれは純粋な気持ちではないのかもしれない。


「へぇ、どうなったのその子」


 気持ち悪くおぞましい、酷く独裁的で独善的な独りよがりの考え方だ。誰にも共感されない、欲張り。案外他の人もこんな感情を抱くものだろうか。だとしたらみんな隠し方がうまいな。


「んで班の子に詰められてグリーンルームに誘われてたっぽい」


 それでも彼女が欲しい。もしナツが毎朝味噌汁を作ってくれる未来が約束されるなら、俺はそのためになんだってする。


「え」

 聞き間違いか、いやそんなわけないだろ。

「え、どうした?」


「いや、なんでもない」

 生技がグリーンルームに?さっきは生徒会にいくとか言ってたのに、あいつ隠してたのかよ。あの時言ってくれれば、くそ。


「用事ができた、今日部活休むわ」

「え、なに助けに行くの」

「そんなヒーローじゃないよ俺は」

「いってきなよ」

「うん」

 鞄を持って部長に告げる。部長もこちらの話を聞いていたみたいだ。

「ちょっと救ってきます」

「そうか、頑張れよ」

 ありがとう部長。かなり強くドアを閉めた、印象が悪くなったかもな。俺は無駄な正義感が嫌いだが、筋が通ってるやつは嫌いじゃない。


 グリーンルームの扉は鍵が掛かっていない。耳を傾けると、中には数人いるみたいだった。生技の呻く声が聞こえた瞬間、手に力が入った。だが今ここで問題を起こすと今度こそやばい。同じ過ちは繰り返してはならない。


いくぞ、と中から声が聞こえ、扉が開いた。俺はとっさに下駄箱の裏に隠れた。

「サンドバッグゲットー笑」

 この声は清水か。

「俺らにもわけてよー笑」

「一発目のみぞおちは俺がもらうぞ、ショートケーキのいちごは最初に食べる趣味なんだよ」

「趣味わるー笑」

 ぞろぞろと満足げな表情を浮かべて出てくる奴らを息を殺して見る。はらわたが煮えくり返るなんて簡単に表すことができないほどの強い感情を彼らに向けていた。彼女にこんな顔は見せられない。過ぎ去ったのを確認すると、再び扉が開いた音がした。生技だ。


「おい、大丈夫か」

「え、あ、高城君。見られちゃったか」

「なんであの時言ってくれなかったんだよ、ゴミ捨て場のとき」

「いえるわけないでしょ。高城君のこと巻き込んじゃうじゃん」

「気にすんなよ、次何かあったら言ってくれ、力になる」

 そんな青臭いこと言った自分に驚いた。何を熱くなってるんだ。


「その心配はないかも、だってここには録音データがあるから」

 胸ポケットを指すとそこには録音中と表示されたスマホが入っていた。案外冴えてるらしい。なんだ、意外と大丈夫そうじゃないか、よかった。

 まぁしかし、部活にはまだ戻れるな。ナツともっと話したいな。

「これを先生に提出して、先月の悪事も合わせると、安くて停学。高くて退学でしょ」

 こいつは妙な言い回しを使うな。

「先月の悪事?何かあったのか?」

「え、先月と言ったら、バレーボール部の部室の窓が割れたじゃん。犯人は不明だけど、あれ清水君の仕業だって有名だよ」

「あーあったな、清水が近くにいたんだっけ」

「そうそう、先生の間ではまぁ実際に割ったのかわかんないらしいけど。じゃあ僕は職員室に行くね」

「あぁ、気をつけて」

「ありがとう、じゃあね」

 生技の背中を見送り、姿見えなくなったところで呼吸を忘れていたことに気が付いた。頭が痛い、やっぱ休むか。いや会いたい。部室への足取りは軽く、彼女のことを考えると頭痛なんて気にならなかった。


「やっぱ今日、部活やります」

 扉を開けて開口一番そういったつもりだった。志田が、ナツと会話していた。

「でさー、ナツって彼氏いるの?」

 吐き気とともに何かが込み上げてくる。

「えーどうかな笑」

 そこで初めて疑問が確信に変わった。俺は未熟で不安定なんだ。

「絶対いるでしょ笑」

 ほかの部員たちもふざけて投げかける。ほんとこいつらは小賢しい。俺はまだドアを閉められずに、握っている左手の震えを必死に止めようとしている。

「あ、高城」

 彼女が気づいてくれたらしい。

「え、生技はどうなったの」

「なんか、大丈夫だったわ、解決した」

 素っ気ない、仮面をかぶったような返答に、ナツは首を傾げた。やはり彼女の顔を見たら安心すると同時に、少しかっこつけたくなっていたのかもしれない。

「そうなんだ、よかった。あ、そうだ、きのこの山あげる。さっき売店で買ってきたんだよね」

「ありがとう」

 変な目配せをされて貰ったごく普通のきのこの山。歩きながらバッグを置き、開いてみるとそこには手紙が入ってあった。


[しだにおどされてる]


 背筋にツーっと変な汗が流れた。目線を送ると、ナツは静かに頷く。他の部員に悟られぬよう慎重に手紙をポケットに入れた。怪しまれるのもまずいので、箱から封を開け、一つを手に取った。

「ねぇ」

「うん?」

「私のことも助けてくれる?」


 頭で妄想を繰り返す。笑えないな。溜息なんて傲慢だ。


「ねぇ」

「ど、どうした」

「食べないの?」

「食べるに決まってんだろ」

 口に投げ込む。頭痛はチョコで和らいだ気がした。


「うんま!やっぱ、きのこの山だよな」

「でしょ、高城ってきのこの山好きだよね」

「ナツもだろ」

「まーねー笑」

 もちろん彼女の趣味に合わせるし、彼女の好物は俺にとっても好物だ。罪悪感や後ろめたさなんてない。虚飾も突き詰めれば、いずれ本物になる。彼女と会話ができるのならどんな趣味嗜好を持ち合わせていたって構わない。彼女がきのこの山派ならそれに準ずる。だがどうしても好きになれない。


 俺は、たけのこの里派だ。

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