第9話 夏休み、お姉さんと銭湯に行く

 今日はケイさんの家に行き、いつものように勉強している。午前中に予備校で授業を受けてから自習を始めたので、今はすっかり夕方だ。ケイさんは相変わらず布団でごろごろとしている。……なんだか、いつもより髪がぼさぼさな気がするな。


「ケイさん、髪どうしたんですか?」


「何か変かい?」


「変というか……ぼさぼさですよ」


「ああ、昨日風呂に入らなかったからねえ」


 風呂に入らなかったのか、それは仕方ないな……って、え?


「このクソ暑いのに風呂入らなかったんですか!?」


「掃除して沸かすの面倒くさくてぇ……」


「汗かいて汚いですよ!!」


「きたなっ……君い、女の子に向かってなんてことを」


「そう思うならちゃんと風呂入ってください!!」


「やだよぉ……」


 ケイさんはやだやだと駄々をこねている。風呂が嫌というより、風呂の準備をするのが面倒くさいという感じだな。どうしたもんかな……。ん、いいことを思いついた。


「……ミカはちゃんと風呂掃除しますよ」


「君の妹は関係ないだろう!?」


 ごろごろしていたケイさんが飛び上がった。なんだか、あの出来事があってからミカのことを意識するようになったみたいだな。


「ミカですら風呂掃除するのに、ケイさんは出来ないんですか~?」


「くっ……ずるいぞ、マサくん」


「じゃあ風呂掃除しましょうよ」


「でもそれは嫌なの~!!」


 また駄々をこねはじめた。むう、次はお母さんに通報しようかな……などと思っていると、ケイさんが何かを思いついたようだ。


「そうだ、マサくん!」


「なんですか?」


「銭湯に行こう!!」


「え?」


「君も汗かいただろう? 行くぞ!!」


 あれよあれよという間に、ケイさんに腕をつかまれた。引っ張られるままに、俺は家の外へと連れ出されていった――


***


「着いたな、マサくん!!」


「は、はあ」


 猛暑の中連れて行かれたのは、街にある銭湯だった。このあたりじゃここしか公衆浴場は残っていないらしい。


「じゃ、また会おう!!」


「あ、はい」


 ケイさんはあっという間に女湯へと吸い込まれていった。やれやれ、こうなると入るしかないな。俺は番台でタオルを借りて、脱衣場へと向かった。


 ガラガラと風呂場の扉を開けると、誰もいない。まだ夕方だから、客が少ない時間なんだろうな。俺は体を洗ってから、一番大きい浴槽に入った。


 よく考えてみれば、銭湯なんて久しぶりだな。こんなことがなければ来ることはなかったかもしれん。こうして湯に浸かってると、日ごろの疲れも癒され――


「マサく~ん、そっちもガラガラか~い?」


 壁の向こう側から、いつもの声が反響して聞こえてきた。ケイさん、他の客がいたらどうするつもりだったんだよ。


「ええ、誰もいませんよ~!」


「そうか~、良かったな~!」


「風呂入る前にちゃんと体洗ってくださいよ~!」


「君い、子ども扱いしないでくれよ~!」


 なんだか声色からぷりぷりと怒っているのが伝わってくるな、面白い。俺はくすくすと笑いながら、しばらく湯に浸かっていた。


 さて、そろそろ上がろうかな。俺は浴槽を出て、風呂場の扉を開けた。服を着て脱衣場を出ると、牛乳の自販機が目に入った。お、懐かしいな。久しぶりに飲んでみるか。


 購入したコーヒー牛乳を飲んでいると、女湯の方から綺麗な髪の美人が出てきた。あれ、ケイさん以外に客はいなかったんじゃ――


「おや、早かったじゃないかマサくん」


「えっ、ケイさん!?」


「いかにも、中嶋恵だが?」


 俺がびっくりしていると、ケイさんは不思議そうな顔でこちらを見ていた。いつもぼさぼさ髪だから、こんな綺麗な長髪だなんて知らなかった。


「いや、なんだか髪が綺麗だなって」


「ああ、これかい? ちゃんと乾かして整えたからね」


「いつもそうすればいいのに」


「それは面倒だよお」


 ケイさんは俺が持っていたコーヒー牛乳の瓶を奪い取り、ぐびぐびと飲んだ。それにしても、本当に別人みたいだなあ。


「さ、牛乳も飲んだし帰ろうか」


「俺のなんですけど」


「別にいいだろ?」


「は、はあ」


 なんか納得いかないけどまあいいか。俺たちは銭湯を出て、マンションへと歩いて行く。隣で歩くケイさんの姿は本当に美しく、いつもと違う気分だった。


「それにしても、銭湯とは我ながら名案だったな」


「明日はちゃんと風呂掃除してくださいよ」


「マサくんが洗ってくれよお」


「嫌です」


「そんなあ、そしたら一緒に入ろうと思ったのに」


「えっ?」


「えっ?」


 戸惑ってケイさんの方を見ると、彼女の顔がどんどん赤くなっていった。自分が何を言ったのか気づいたようで、慌てて手を振って否定してくる。


「いやっ、違う……! そうじゃなくて、その……!」


「いいですよ、風呂掃除しましょうか?」


「ちょ、やめてくれよ~!!」


 俺はケイさんをからかいながら、ゆっくりと歩を進めた。ああ、今日も暑いなあ。明日もよろしく、ケイさん。

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