第8話 夏休み、お姉さんと街で出くわす

 前期の授業が終わり、夏休みとなった。普段と違い、夏期講習は生徒が好きな講座を選んで受ける方式だ。普段は同じクラスでケイさんと授業を受けているが、夏休みの間はそうもいかないというわけだ。


 となると、俺は空き時間だけど、ケイさんは授業がある――なんて状況もしばしば発生する。流石に家主不在で自習するのはどうかと思うので、そういうときは仕方なく自宅で自習することにしていた。今日もそういう日なので、朝から居間で勉強しているのだが――


「にいちゃ~ん、ゲームしよう~」


「お兄ちゃん、そこジャマ」


 ……といった有様であった。俺には高二の妹、小六の弟、小五の妹がいるのだ。決して広くない家に兄弟四人でいれば騒がしいのも当然で、とても勉強に集中できるような環境じゃない。


たけし、ゲームは後でな。アミ、お兄ちゃん勉強してるから我慢してくれ」


 俺は武(小六)とアミ(小五)を適当にいなし、勉強に戻る。もちろん、兄としてはコイツらに構ってあげるのが良いのかもしれない。けど、この一年だけは勉強しないわけにはいかないんだ。


 しばらく参考書を進めていると、二人はいつの間にかどこかに行っていた。公園にでも遊びに行ったかな、よかったよかった。


「ねえ、おにいちゃん」


 不意を突かれ、ビクッとした。後ろを振り向くと、そこにはばっちりお洒落をしたミカ――高二の妹である――が立っていた。すらっとしたスタイルに、ぱっちりお目目の整った顔。いつも思うけど、コイツ本当に俺の妹か?


「な、なんだ?」


「今日は予備校の授業ないの?」


「ああ。今日は家で勉強するだけだ」


「ふーん、そうなんだ」


 ミカは俺の隣にちょこんと座る。そして上目遣いで、ねだるような声を出してきた。


「今からさ、買い物付き合ってよ」


「え?」


「服とかいろいろ買いたいのあるんだよねえ」


「そんなん、一人で行けばいいじゃないか」


「おにーちゃんと行きたいの~!!」


 ミカは駄々をこねている。下の二人の兄弟と歳が離れているせいか、コイツはやたらと俺に懐いているのだ。俺が受験生になる前は街中で一緒に遊んだりしていたが、最近はそういう機会も少なくなっていた。


「まあ、とにかく俺は勉強してるから。一人で行ってくれ」


「……おにーちゃん、彼女できたでしょ」


「えっ!?」


 予想外の返事に、俺は戸惑う。ミカは構わず、さらに話を続けた。


「最近、なんか様子が変なんだもん。帰りも遅いし、なんかニコニコしてるし」


 コイツ、鋭いな。もちろん家族にはケイさんのことは話していない。となれば、不審に思われるのも仕方ないな。でも、ケイさんは彼女じゃない。


「残念だったな。俺に彼女はいない」


「……ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、私と買い物行ってもいいよね?」


「はっ!?」


「最近付き合い悪いから、彼女でもいるのかなって思ってたけど。違うみたいだから、一緒に行ってもいいでしょ?」


「違ッ、俺はただ」


「ほら、行くよー!!」


 ミカに押されるまま、俺は家を出た。とほほ、今日の勉強プランがおじゃんになってしまった。


***


 結局さんざん買い物に付き合わされ、へとへとになりながら街中のアーケードを歩いていた。ミカは随分と楽しそうにしており、全く俺とは対照的である。


「おにーちゃん、カフェ寄っていこ!!」


「はいよ」


 俺はミカの指さす店に入り、カウンターでコーヒーを頼んだ。ミカはケーキに紅茶にといろいろ注文している。ちなみに会計は俺持ちだ。勘弁してくれ。


 適当な席に座り、コーヒーを啜った。ミカは幸せそうな顔でケーキを頬張り、紅茶を飲んでいる。コイツ、彼氏とかいないのかなあ。そろそろ兄離れしてほしいところである。おや、ほっぺにクリームがついてる。


「ミカ、ついてるぞ」


「え、取って取って」


 俺は紙ナプキンを手に取り、ミカのほっぺを拭った。傍から見たらカップルみたいだな。全く、知り合いに見られたら大変なことに――


「ま、マサくん!?」


 ……そこにいたのは、コーヒーを載せたトレーを持って固まっているケイさんだった。なんだか、一番見られてはいけない人に見られている気がする。俺も思わず固まっていると、ミカが不機嫌そうな顔をしていた。


「……この女、だれ?」


「それは私の台詞だよおっ!!」


 ミカの質問に対して、ケイさんが叫んでいた。周囲の客も俺たちの様子に気づき、修羅場を見るような目でこちらを見ている。違うんですう、ただのクラスメイトと妹なんですう!


「ちょちょちょ、落ち着いてくれよミカ」


「私にはさん付けなのにこの子には呼び捨てなのかい!?」


「ねえ、こんなぼさぼさ頭のどこがいいの?」


 ヤバい、カオスになってきた。とにかく誤解を解かなければ。


「ケイさん、コイツは妹ですよ。なあ、ミカ――」


「はじめまして、彼女でーす!」


「「はあっ!?」」


 俺とケイさんはシンクロして、大声で叫んでしまった。ミカ、こんな時に悪ふざけはやめてくれ!!


「マサくん、私と同じ布団に入っておきながら君は……!」


「はあ? どういうこと??」


「一緒にテレビ見ただけでしょ!!」


 もはや訳が分からない。俺はミカを宥めつつ、ケイさんに事情を説明した。最初はギャーギャー叫んでいた二人も落ち着いたようだ。ケイさんも椅子に座り、俺たちと一緒にコーヒーを飲んでいる。


「それで、この子は本当に妹なのかい?」


「そうですよ。コイツが悪ふざけしてただけです」


「だってぇ……」


 ミカはいじらしい様子で、ケーキをつまんでいた。どうやら俺と親しそうなケイさんにヤキモチを焼いているらしい。なんだか、兄離れは当分先みたいだな。


「それでおにーちゃん、この人は彼女じゃないの?」


「クラスメイトってだけだよ。さっきも言ったけど、家を自習室代わりに貸してもらってるんだ」


「ふーん、そう」


 ケイさんはケイさんで、興味深くミカを眺めている。ぼさぼさ頭に上下ジャージって、本当にミカとは正反対だなあ。


「いやあ、君に妹がいるとは知らなかったよ」


「他にも二人兄弟がいるんです。だから、家だとなかなかうるさくて」


「それで私の家に来てるんだねえ……」


 ケイさんはなんだか納得したような表情だった。たぶん、俺が自宅で勉強しないのを不思議に思っていたんだろう。


「マサくん、明日は家に来るかい?」


「はい、授業があるので」


「そうかい。今度は別の味のシロップを買ったんだよ」


「え、本当ですか?」


「ああ。氷はたくさん用意しておくから、楽しみにな」


「それは嬉しいなあ」


 すっかり盛り上がる俺たちを、ミカはじっと見つめていた。しかし次の瞬間、ミカは紅茶を一気に飲み干し、立ち上がった。


「おにーちゃん、帰ろう!!」


「え、ちょっ」


「じゃあ、私たち帰りますから」


「あ、ああそうかい」


 ぽかんとしているケイさんを尻目に、ミカは出口に向かって歩き出そうとしている。俺も慌てて立ち上がり、ついていこうとするが――ミカが立ち止まった。


「あ、言い忘れてた」


「どうした、ミカ?」


 ミカはすたすたとケイさんに近寄って行き、何かを耳打ちしていた。それを聞いたケイさんはみるみる顔を赤くしていたが、ミカは得意げな表情でまたこちらにやってきた。


「さ、かーえろ」


「おいお前、何言ったんだ?」


 出口に向かいながら尋ねると、ミカはいたずらっぽく答えた。


「『おにーちゃんのこと、すっっごく好きなんですね』って言ってやったの!」

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