第0話 放課後、お姉さんと出会う

 俺の名は平井政則ひらいまさのり。浪人するために予備校に入って、一週間が経った。そろそろ授業を受けるのにも慣れてきたし、大学に落ちたショックも和らいできた。が、問題があった。


「お前この後どーする?」


「俺は自習室行くぜ」


「じゃあ俺も行くわ」


「あー、私も行くー」


 授業が終わり、周囲で騒がしく話しているのは、県内で一番の進学校からやってきた生徒たちだ。このクラスでは彼らがマジョリティで、普通の公立高校から一人で入学した俺は肩身が狭いというものだった。要するに問題というのは、誰も仲間がいないということなのだ。


「今日もここで勉強か……」


 他の生徒たちがいなくなった教室で、ひとり呟いた。俺は鞄から参考書を取り出し、ノートを開く。授業後の空き教室で自習をするのが、ルーティンだったのだ。今日もひとり、孤独な勉強の始まりだ――


「キミ、何してるんだい?」


「えっ!?」


 心の中で虚勢を張っていると、後ろから声がした。え、誰? 驚いて後ろを振り向くと、そこには長い髪をぼさぼさにした女の人がいた。上下ジャージだし、なかなかすごい見た目だ。俺が固まっていると、その人はさらに話を続けた。


「勉強するなら、こんな空き教室でなく自習室に行けばよかろう。場所を知らないのかい?」


「いえ、自習室はあまり得意でなくて」


「ほう、というのは?」


「人が多くて、物音が気になっちゃうんです。自宅もうるさいので、せめて予備校にいるときは静かな環境で勉強したいんです」


「ふむ。なるほどね」


 その人は俺の話を聞くと、少し考えこんでいた。そういえばこの人、なんて名前だったかな。たしか進学校出身だったと思うけど、その割には周りとつるんでいるのを見たことがない。友達いないのかな。人のこと言えないけど。


「キミ、平井くんと言ったか?」


「え、はい」


「周りとあまり関わっていないように見えるが、友達はいないのかい?」


「えっ!?」


 ちくしょう、向こうも俺と同じことを考えてたのか。安易に人のことをディスるべきじゃないな。


「なあに、安心したまえ。私も友達がいない」


 知ってます、と返事するのをなんとか我慢した。


「それがどうかしたんですか?」


「いやなに、同類として信頼できそうだと思ってね」


「はあ」


 いったい何が言いたいんだろう。なんか怪しいように見えるけど、大丈夫かな。そんなことを考えていると、女の人が口を開いた。


「私専用の自習室を君にも使わせてあげよう――と言ったら、どうするかね?」


「えぇ?」


せ、専用の自習室? 最近はやりの有料自習室みたいなものだろうか? それを使っていいというのは、悪い話じゃないな。


「どういうことですか?」


「言った通り、私の自習室を君にも使わせてあげようというのだ。いい話だろう?」


「たしかに、すごくありがたいですけど」


「その代わり、条件がある。それを飲んでくれれば使ってもらって構わないよ」


「条件ってなんですか?」


「それは『自習室』に行ったら説明するよ。とにかく、ついてきたまえ」


「はあ、分かりました」


 俺は言われるがまま、その人についていった。てっきりどこかのビルか何かにあるのかと思ったが、予想と反してマンションが立ち並ぶ地域へと進んでいく。こんなとこに自習室なんてあったかな?


 そんな疑問を浮かべていると、女の人があるマンションの前で足を止めた。そして俺の方を向くと、口を開いた。


「着いたぞ。このマンションだ」


「え、マンションに自習室があるんですか?」


「そうだ。このままエレベーターで上に行く」


「ええ……」


 なんか怪しくなってきた! 入った瞬間、怖いお兄さんに金品を要求されたりしないだろうか……? あいにく貧乏学生だから、大したものは持っていないのだけど。


 上の階に着き、俺はある部屋の前に案内された。女の人が鍵を開け、俺を中へと招き入れる。


「さ、入りたまえ」


「お邪魔しまーす……」


 恐る恐る玄関を上がり、進んでいく。なんか、普通のマンションって感じだな。これ、一体どういうことなんだろう――


「うわっ!!」


 次の瞬間、俺は驚きの声を上げた。そこにあったのは、居間と思しき空間に大量の衣服やら参考書やらが散らばっている景色だったのだ。あまりの衝撃に目を丸くしていると、後ろから声が聞こえた。


「ようこそ、我が家へ」


「『我が家』!?」


「そうだ。私専用の自習室というのは――私の家のことだ」


 何が起こっているのか全く分からない。自習室に行くつもりが、見知らぬ女の人の自室に連れ込まれてしまった!!


「ちょ、どういうつもりですか!?」


「なあに、簡単なことだ。私の部屋を自習室に使ってくれたまえ」


「!??!??!?」


 呆然として固まっていると、その女の人は何かを思い出したように口を開いた。


「そうだ、『条件』の話をするのを忘れていたな」


「あ、ああ」


 そういやそんな話あったな。今の状況が衝撃的すぎて、すっかり忘れていた。何を言われるのかと構えていると、彼女は居間の床を指さした。


「この部屋、片づけてくれたまえ」


「え?」


「だから、この部屋を片付けてくれたら自習室として使わせてやってもいいと言っているのだ。分からないか?」


「えぇ……」


この人、自習スペースをだしにして部屋の片づけを押し付けようとしてるのかよ……。ダメだこりゃ、帰ろう。


「あの、帰ります」


「えっ?」


「条件飲めないので、帰ります」


「えぇーっ!!」


 今度は向こうがびっくり仰天していた。なんで俺が受け入れると思ったんだよ、逆に。


「ど、どうしてだい!?」


「どうしても何も、見知らぬ女の人にいきなり家に連れ込まれて片づけなさいっておかしいじゃないですか」


「で、で、でも」


「とにかく、帰りますね」


「ま、待ちたまえ!!」


 玄関に向けて歩き出そうとした瞬間、後ろから襟を引っ掴まれた。思わずバランスを崩してしまい、すぐそこに置いてあった箱に足を引っかけてしまう。


「うわっ!」


 バランスを立て直そうと足を動かした結果、箱を蹴り上げてしまった。そのまま女の人を突き倒すような格好で、ベッドに倒れこんでしまう。


「「ぎゃー!!」」


 二人して叫んでしまい、カオスな状況になってしまった。気が付くと――俺は女ものの下着にまみれて、女の人を押し倒していた。


「「……」」


 互いに状況を飲み込めず、無言になってしまう。どうやら俺が蹴り上げた箱には、この人の下着が収納してあったらしい。こんな滅茶苦茶なこと、あるもんなんだなあ。ふと前を見ると、さっきまで堂々としていた彼女が顔を赤らめていることに気づいた。しかもよく見ると、この人なんだか綺麗な顔を――


「あ、あの、平井くん……」


「は、はい?」


「どいてくれないか……」


「あ、はい! すいません!」


俺は慌てて体をどけようとする。しかし互いの足だのなんだのが絡まっていて、うまくいかない。四苦八苦していると、玄関から女性の声がした。


「恵ー? ピンポン押したんだから返事くらい――」


 次の瞬間、居間に入ってきた女性と目が合った。その人は俺たちの様子を見て、ぽとりと手に持っていた鞄を落とした。


「な、な、な、なにやってんのよめぐみー!!!!」


「ち、違うのお母さん!!!!」


 突如として目の前で勃発した親子喧嘩を、俺はただ茫然と眺めることしかできなかった。しばらくして誤解が解けたのか、母親が俺に向かって謝ってきた。


「平井さん……でしたっけ? ごめんなさいね、うちの娘が」


「はあ、それは別にいいんですが」


「うちは田舎で予備校が遠いから、この子には一人暮らしさせてるの。でも私の目が行き届かないせいか、勉強しないで怠けてばっかりでねえ。だから二浪なんかしちゃって」


 この人、二浪目だったのか。どおりで友達がいないわけだ。クラスにいるのは一浪が多いから、なかなか馴染みにくいんだろう。


「それで、平井さん? 自習室がなくて困ってる、と娘から伺いましたけど」


「ええ、そうなんです」


「あなたさえよければ、娘の部屋を使っていただいても構いません」


「え、いいんですか?」


 まあでも、よく考えたら悪い話じゃないよな。金をとられるわけでもないし、クラスメイトの家と考えれば気兼ねなく使える。


「ええ、大丈夫です。その代わり、条件がありますの」


 この人まで部屋を片付けろとか言い出すんじゃないだろうな、などと疑っていたが、返答は意外なもので――


「一緒にいる間、この子を見張っててくれませんか?」


 というものだった。


「見張る?」


「この子がちゃんと勉強しているか、見張っててほしいんですの。何かあるたびにサボろうとするものですから」


 母親がそう話すと、恵さんはあわあわとしていた。まあ、ちゃんと勉強しろって言うだけで自習室が手に入るというなら、別にいいか。


「分かりました。僕でよければ」


「ええ、ぜひお願いしますわ。恵、平井さんに迷惑をかけないようにね」


「はーい……」


 恵さんはすっかりしょぼんとしていた。母親は恵さんに届け物をしに来たらしく、それを置くとすぐに帰り支度を始めた。


「じゃあ平井さん、この子を頼みますわね」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 俺が礼を言うと、母親は玄関に向かった。落ち込んでいる恵さんは放っておいて、俺は見送りに向かう。


「あ、そうそう。言い忘れたことがありますの」


 靴を履きながら、母親が思い出したように口を開いた。


「はい、なんでしょう?」


 俺がそう聞き返すと、母親は扉を開けながら――


「あの子と『恋人』になろうなんて、思わないでちょうだいね」


 と言い残し、去っていった。そのあと、俺は恵さんとの半共同生活を送ることになるのだが――「恋人」になれない理由というのは、未だに分からない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る