第6話 放課後、お姉さんとじゃんけんをする
予備校での授業を終え、ケイさんと一緒に彼女の自宅マンションへと歩いている。いつも通り、何も変わらないルーチンだった。エントランスに入り、エレベーターに乗って目的の階を目指す。そして廊下を歩いて行き、ケイさんの部屋に着いた。
「ただいま~」
「お邪魔しま~す」
俺たちは玄関から部屋に上がり、居間へと向かう。七月も中旬となり、室内も蒸し暑くなる時期となった。
「マサくん、冷房をつけてくれたまえ」
「はーい」
ケイさんに言われた通り、俺はエアコンのリモコンを手に取る。そしてボタンを押して電源を入れようとするが――反応しない。
「ケイさん、つきませんよ」
「え?」
「ほら、ボタン押しても反応しないです」
俺は何度か押しているのを見せ、ケイさんに状況を伝えた。彼女もリモコンをあれこれいじくったり取扱説明書を読んだりしていたが、やがて音を上げた。
「ダメだ、故障だな。電気屋に電話しよう」
「それがいいですね」
ケイさんは早速電話をかけ、修理の手配をしていた。幸い、明日すぐに修理に来てくれるようで、彼女もほっと安心していた。
「やれやれ、良かった。夏場の電気屋はエアコン工事で忙しいからな」
「ラッキーでしたね。でも、今日はどうするんですか?」
「あっ」
俺が指摘すると、ケイさんは「しまった」という表情を見せた。彼女は、この蒸し暑い中で明日まで耐えねばならない。
「……マサくん、たまには君の家で勉強しようか」
「家族がいるし、無理に決まってるじゃないですか」
「君い! この私にこんなサウナのような部屋で勉強しろと言うのかね!」
「いつも勉強なんかしてないでしょ」
そう言い返してやると、ケイさんはむくれてそっぽを向いてしまった。やれやれ、我儘な人だ。彼女をほっといて勉強を始めようとすると、床にうちわが転がっているのを見つけた。
「ケイさん、ほらこれ」
「ほお、そんなものもあったかね」
うちわを拾い上げると、ケイさんも興味を示してきた。俺が扇いでやると、彼女はみるみる機嫌を直してしまった。
「あ~~快適だよマサくん」
「それは良かったです」
「珍しく勉強する気になるというものだ」
自分で珍しくって言っちゃったよ、この人。でも、勉強するのはいいことだしなあ。俺からのそよ風を受けて、ケイさんは気持ちよさそうに問題を解いていた。……俺、いつまで扇がなくちゃいけないんだ?
「あの……ケイさん」
「なんだい?」
「そろそろやめていいですか?」
「ダメに決まってるだろう!?」
「でも、僕も勉強したいし」
「うーん、そうか」
俺の言葉に、ケイさんは少し考えこんでいた。すると何かを思いついたように、こちらに振り向いた。
「そうだ、じゃんけんしよう!」
「じゃんけん?」
「負けた方が扇ぐことにするんだよ」
「ええ、それじゃああんまりですよ」
「じゃあ、五分ごとにじゃんけんしよう」
というわけで、五分ごとにじゃんけん勝負をして、その勝敗でどちらが扇ぐのかを決めることにした。単純に五分交代にすればいいのにな。ケイさんのことだから、自分が勝ち続ける自信があるんだろう。
「じゃあ、いくぞマサくん! さーいしょは……」
「パー」
ケイさんがグーを出したのを見逃さず、俺はパーを出した。唖然とする彼女に、俺はうちわを押し付ける。
「はい、扇いでください」
「ちょ、反則だろう!?」
「最初にパー出しちゃいけないって言ってないですよ」
「むー……」
ケイさんは渋々うちわを受け取り、扇ぎ始めた。あー、快適だなあ。俺は参考書を開き、勉強を始める。
「五分だぞ、五分!!」
「はいはい、分かってますよ」
文句を垂れる彼女を横目に、俺は手を動かす。しばらくすると、タイマーの音が鳴った。どうやらケイさんがきっちり計測していたらしい。普段は怠け者のくせに、こういうところはちゃっかりしている。
「よし、五分経ったな」
「じゃあ、じゃんけんしましょうか」
「いくぞ! さーいしょは……」
「チョキ」
ケイさんはパーを出していたが、俺はそれを読んでチョキを出していた。この人、単純すぎるな。
「ちょ、ちょっとマサくん!!」
「はい、扇いでください」
「も~~」
嫌々うちわを扇ぐケイさんは、どことなく愛らしかった。その後また勉強に戻ったのだが、しばらくしてケイさんがこちらに寄ってきた。不思議に思い、尋ねてみる。
「どうしたんですか?」
「要するに、風を送ればいいんだろう?」
「それが何か?」
「まあ、見ていたまえよ」
すると彼女は、俺の耳に口を寄せた。何をするのかと思っていると、耳たぶに優しい風を感じた。思わず全身がゾワッとしてしまい、ケイさんから離れる。
「な、何してるんですか!?」
「何って、風を送ればいいんだろう?」
「そりゃあ、そうですけど……」
「ふふ、君もなかなかピュアな男だな」
ケイさんは満足そうな顔をして、元に戻った。彼女の心の中では、どの向きで風が吹いているのだろうか。俺には、まるで分からなかった。
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