クローバーは隠された
眠そうにしていた母を、ベッドに連れて行った。
横になり、すぐに寝てしまった母の背中をさすりながら、痛みが消えていきますようにと願った。
これは過去の自分だと考えながら、救ってあげたい。あの時の母のように。
今日の出来事を思い出しながら、また涙を零すのであった。
母が家に帰ってきた時から違和感があった。物の置き方が乱雑であり、怒っていたように見える。しかし、全身に悲しさを纏っているようだ。買い物袋に入っている食品を入れるのを手伝いながら、
「なにかあったの?」
「…大丈夫」
力強い声だったが、雰囲気が変化した。怒りや悲しみだけじゃない気がした。無理に聞き出そうとしても、拒絶されることを知っていたので、一旦諦めることにした。
しかし、母が視界に入るたびに気になってしまい、
「なにかあった?」
「どうしたの?」
と聞いてしまう。拒絶されることだって分かっていたのに、声を掛けることは辞められなかった。
その度に母のごちゃごちゃとした感情を感じて、母に申し訳ないと思うのであった。
父が家に帰って来た頃には、母は平然と振る舞っていた。
私だけが、母がいつも通りではないことを、知っていた。
どうしようかと悩んでいる内に、夕ご飯の時間が終わり、家事も手伝ったことで、自由な時間が生まれた。
私はそのチャンスを逃すまいと、テレビを見ている母に話しかけた。
「今日は仕事何していたの?」
直接話題に触れるのではなく、何気ない会話から始めることにした。
母は今日の仕事の話をしてくれ、私も今日やったバイトの話をした。そこから、母に
「今日はなんで怒っていた?というか、どうしたの?」
さぞ、今思い出したかのように話しかけた。母は、少し眉を下げながら
「色々あったの…」
覇気のない声でつぶやいた。私も母と声量を合わせながら
「色々って?」
「そうね。前からなんだけど…」
母は仕事で悩んでいたことを話し始めた。
私は母の顔を見ながら、目から悲しみ、寂しさ、怒り、呆れが読み取れた。
母の話からも、その感情は正しいのだろう。
母は、自分自身が仲間外れになっている気がして、そんなことは無いかもしれないけど、聞いてないことがあったりして、悲しい、寂しいと。
そして、なんで気づかないのか、そう思ってしまう自分に怒り、呆れを感じていたのだ。
一年前からこんなことを思っていたらしい。私はそのことにも衝撃を受けた。そんな様子は、母から微塵も感じなかったから。突っ込みたい気持ちを我慢している私に、母は最期に一番の衝撃を与えたのだった。
それは母が
「この職場で必要とされていない気がしてね。...誰でも出来るなって感じた。代わりがもっと上手く出来ると思ったんだよね」
と締めくくったからだ。
母が震えた声で話していながら、困ったように笑顔を浮かべていた。
そのアンバランスな母に胸が痛くなった。目が熱さを持ったと思えば、涙が零れていた。
「なんで泣くの~」
私を気遣う優しい声で尋ねる。背中をさすってくることに、また涙が零れるのであった。
私は母よりも震えた声で
「お母さんが、泣かないから!苦しいのに、泣かないからっ」
「…大丈夫だよ。お母さんはこういう役割だから、大丈夫!心配してくれてありがとう」
「でも、でもっ」
手を伸ばして、私を抱きしめてくる母。
少しだけ目元に涙が見えたが、あの纏っていた感情が全て消えてしまった。感じ取れなかった。
母が隠したことに気づいた。
また駄目だった。力になれなかった。
温もりは感じるのに、私の心は冷え切っていた。
救うことが出来なかった。気づくことが出来なかった。不甲斐なさを感じた。
隠されてしまってはどうすることも出来ないので、母を見つめながら
「なんかあったら相談してよ!お母さんは隠すのが上手いし、それに、我慢しすぎるから。どうにかするからさ、頼ってよ…。私はお母さんに救われたからね。ずっと味方だから」
母を強く抱きしめた。そして、私はもっと母のことを見抜いて、支えていこうと強く決意した。
「ありがとう。このことを言ったのはあなただけだから」
ずるい人だ。
気遣いが上手いのは、母のことを言うのではないだろうか。
人たらしだなと思い、こういう所が良いところなんだけどさ!と心の中で言っていた。
私は流れが変わったので、ドラマを見ることを提案し、録画しているドラマから何を見るのか話を始めた。
隣で楽しそうにしている母を見つめ、遠いなと思った。近くにいるのに、母の心を救うことが出来なかった。
どうすれば届くのだろうか?
私が同じようなことで悩んでいた時、母は私を救ってくれた。
なのに私は救えないのかと考え、悩みまで聞き出せたのに、何も出来なかったことが悔しいと思っていた。
ドラマの内容なんて覚えていなかった。
母から離れて、部屋の電気を消した。リビングに向かいながら、私は涙を拭う。
母の隠された傷を癒せるようになりたいな。
私ももう大人になったから、支えさせてくれよ。
弱さも受け取れるように大きくなったからさ。
よしっ、と小さく呟いて、足早に進むのであった。
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