第83話必罰の恋8
《隠者の角灯》は、その効果を十全に発揮した。
頭上より浴びせられた光によって、イフの身体には行動不可能に陥るほどの負荷がかかる。
指一つ、動かすのも苦痛に感じるほどの負荷を受けながら、イフは頭上の怪物を睨む。
「くぅ……ッ! お願い、みんな! あいつを倒してッ!」
理由は定かではなかったが、仮称アルタリオンは《隠者の角灯》の光を男子3人には照射していなかったらしい。イフと違い、身体の自由がきく彼らは、その言葉に従って神聖兵装を抜いた。
「ははッ! 薄汚えアバズレが一丁前にお姫様気取りか! いいぜ、気に入った。——惨たらしくぶち殺してやるよ」
不気味な仮面が可愛く見えるほど、悍ましい嘲笑が仮面の内側より響く。状況は4対1、戦闘面に特化していないイフを除いても3対1の場面だというのに。
その声は、どこか楽しげであった。
アルタリオンの小さな身体が、狭い路地の壁と壁を交互に蹴ってイフの懐へと急降下してくる。《隠者の角灯》に晒されたイフに回避も防御も許されないが——彼女には、手駒があった。
己の身体を盾にするように、3人の学生勇士がイフの前へ出る。それぞれ、剣、メイス、2本のナイフ——神聖兵装としてはスタンダードなものではあるが、暴漢一人を鎮圧するには過ぎた代物であった。
だが、イフは確信する。人間の扱う神聖兵装など、勇者の亡霊にとってはなんの脅威にもならないことを。
「お前らも可哀想になァ! ま、頭と股のゆるい女魔族のくっせえ接吻で騙されちまうのが悪いんだぜ?」
それがアルタリオンの、学生勇士に対する攻撃宣言であった。
「ほざくな、化け物が! その仮面を剥いでやる!」
洗練された剣戟が、アルタリオンの脳天を捉える。
「やってみろよ。やれるもんならなァ」
直撃。しかし、それはアルタリオンの脳天に剣の一閃が入るよりも早く。
学生勇士の胴体に、アルタリオンの拳が叩き込まれる。どぉんッ、と。鈍く、重い音が学生勇士の身体を通して響く。
悶絶する余裕さえ奪う、必殺に限りなく近い手加減の一撃。その一撃だけで、十分。
この場で誰が最も強いのか。その格の違いが、文字通りアルタリオンの手によって付けられる。
(……バリーとナンナが二人掛かりで負けるなんてって思ったけど……ッ!)
今なら、その評価の配点を少々変える必要がある。
勝つとか、負けるとか——もはや、そういう次元ではない。
立ち向かったこと。それ以前に、この怪物とほんの一瞬でも対峙したこと。
ただそれだけで、万口から讃えられるべき偉業である。
「ひとぉーつ」
——さらに恐るべきことに。アルタリオンの足元には、学生勇士の口から堪らず逃げ出した《恋人の盟約》が踏み潰された残骸となって転がっていた。
(こいつ、私の《恋人の盟約》の性能まで知っているの……!?)
圧倒的な力を持ちながら、それに驕ることなく、ゾッとするほど冷静に、的確に獲物の行動を一つ一つ潰していく。刻一刻と時が過ぎるほどに、イフは己の退路を崩されていくのを肌で感じていた。
「次は……どっちだァ?」
構えはない。アルタリオンは意識を失った学生勇士を放り、ぱきぽきと指を鳴らして残る2人を交互に見る。
「イフ、逃げろッ!」
「駄目、身体が動かないの!」
恐るべきは、この一連の行動の最中であっても、絶やさず《隠者の角灯》の灯火をイフに当て続けていることだ。
己の身にかかる負荷の力は、当然あのアルタリオンの身体にも掛かっている。その枷をはめてなお、あの強さだ。
狭い路地というのも、イフにとっては向かい風であった。多対一という数的有利が活かせない上に、アルタリオンの機動力——とてもではないが、《隠者の角灯》の影響下でなくとも、逃れる術はないとイフは確信している。
「……ッ! 救援用の魔法弾を!」
イフの指示は、すぐさま実行された。空高く上る赤い魔法の弾は、学生勇士であってもその異常事態を察するものだ。
(せめて勇者の亡霊についてエルシャ様かバニス様に伝わるようにしないと……!)
《恋人の盟約》の支配下から抜けた学生勇士の記憶は、リセットを噛ませない限り、イフとの蜜月に関するものどころか、それまでの記憶が不明瞭になる。《恋人の盟約》を扱うイフにとってはありがたい機能だったが——この瞬間ばかりは、それが災いした。
「おいおい、そんなチンケな花火でなにができるんだ? お姫様の最後っ屁にしちゃあ、ずいぶんと見応えのないもんが出たな」
「……そうかもね。でも、ようやく掴んだ亡霊の尻尾だから。悪いけど、ただでは死なないよ……!」
「ただでは死なない、ねえ。どうせ救援に来た勇士に俺の姿を報告させようって腹積もりだろ? 薄汚え人間の皮を被った紅魔臣によォ。で、俺がビビって逃げ出せば儲けもん、てところか。くくッ! だとしたら少し遅かったなァ!」
その声音から余裕は一切失われていない。それどころか、イフたちが救援のための魔法弾を空に撃つことさえ予想していたかのような口振りである。
「今日がなんの日かお忘れ?」
今日? 質問の意図が分からず、イフはこの緊張感の中で一瞬の思考を作ってしまう。
今日は戦勝祭で、女神ヴァシオンが神敵アルタリオンを討った日。一日を通して聖都ロンドメルの住人たちのみならず、ヴァシオン教徒の人々が女神の祝福に感謝し、楽しむハレの日。
「——まさか」
まずい、と思ったときには、すでに手遅れだった。
打ち上がる花火の中で、放たれた魔法弾は鮮やかな光に揉まれて消える。あれでは、救援用の魔法弾に気付けない——!
「ふたぁーつ、みぃーっつ」
夕闇の濃い空を鮮やかに彩る花火に気を取られたその一瞬のうちに。——本当に一瞬だった。それこそ、視界の端ではずっと捉えていたつもりだった。
「——ひっ!?」
「手こずらせやがって、腐れ売女が。魔族の一物に飽きたからって人間に手を出すとはなァ!」
目と口が縫われ、鼻を削ぎ落とされた仮面が、イフの胸先で喋る。その左手には、2匹の《恋人の盟約》が握り潰されていた。
(まずい、まずい、まずい——ッ!)
回避も、防御も。それどころか簡単な現実逃避さえ、アルタリオンの腰にぶら下がる《隠者の角灯》は許さない。
そして、その所有者であるアルタリオンの処刑方法もまた——残忍を極めたものであった。
「てめえら魔族も股から生まれんのか? ははっ、ここまで身体の作りを人間様に似せておいて上位種気取りかよ。笑えるぜ。なァ?」
アルタリオンが虚空より取り出したるは《太陽の剣》。まるで太陽の光を閉じ込めたように、爛々と光り輝く琥珀色の刀身が、ゆっくりと空気を燃やした。
そして、それを。アルタリオンは、躊躇なくイフの下腹部へと突き刺した。
「がっ……ああああああああッ!? 痛い、痛い痛い痛いッ!! 誰か、誰かァッ!」
痛みと、熱と。己の身体を貫き、その内側を燃やす《太陽の剣》。イフが生きてきた中で、これ以上にない激痛であった。
それこそ、変身を解いてしまうほどに。
「はっはっは! 化けの皮が剥がれてるぜ! ほらもっと元気な声で叫べ叫べ。運が良ければ誰か来てくれるかもしれねえぜ? まあ、てめえみたいな奴を助けようなんて酔狂な馬鹿はいねえと思うがな! ああいや——1人いたな」
なにかを察知し、アルタリオンはなにもないはずの背後へと視線を向ける。
その瞬間だった。
「酔狂な馬鹿で悪かったな。その手を離せ、外道」
アルタリオンに目掛けて《星の矢》が放たれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます