第84話必罰の恋9

 《星の矢》はアルタリオンを正確に捉えていた。イフからアルタリオンを引き剥がし、気味の悪い仮面を弾いて素顔を暴くくらいの芸当を、ヴァンは確信しての不意の一撃であった。


「最初の一発くらいは貰ってやっても良かったんだかなァ。そんなつまらねぇ攻撃でどうにかなると思われるのはさすがに不快だぜ」


 アルタリオンの抜いた《月の盾》により、その悉くを最小限の動きのみで防がれる。


 粗野な言動からは想像もできないほど、流麗な防御行動であった。いくら的が小さいというケチを付けたとしても、一撃は確実に入るだろう——その目算をあっさりと打ち破られたことに、ヴァンも一瞬の驚愕を見せた。


 だが、それ以上に。


「……テメェ、その聖剣……ッ!」


 アルタリオンの左腕に構えられた《月の盾》。イフの下腹部を貫く《太陽の剣》。そのどちらも、ヴァンが尊敬し、そして人の盾となって散った先輩たちの形見であった。


「おっと。これの持ち主と知り合いだったか? ま、気にすんな! 生きてりゃそういうこともあるだろ!」


 それを見せびらかすように、アルタリオンは《月の盾》を構えた腕で大きな身振りをしてみせる。……そこには当然、挑発の意図も含めて。


「どこでその聖剣を手に入れたぁッ!」


 乗るな、と分かっていても乗らざるを得ない。恩人の形見が汚されるような行いを看過できるほど、ヴァンという男は器用ではなかった。


「どこで? そこの道端に落ちてたぜ——って言ったら信じるか?」

 

 吠えるようなヴァンの問いに、アルタリオンは嘯く。


「——なわけねぇだろッ!」


 アルタリオンの言葉が真偽以前の話であることは、勇士であれば誰でもわかる。


 あの二振りの聖剣の所有者であった二人の勇士は、魔族に殺され。そして、その魔族は勇者の亡霊と呼ばれる人物に倒された。その報告は、シャロンの口からも、そしてガレリオ魔法学園の発表からも、ヴァンは耳にしていた。


 つまり、このアルタリオンと名乗る人物が勇者の亡霊を殺害していないのであれば。


 目の前の存在こそが、勇者の亡霊である。だとすれば、恩人の仇を討った相手なのだろうが——こいつは、敵だ。限りなく沸騰しそうな頭の中で、ヴァンは残る理性で静かに敵の力を測っていた。


 全方位からの《星の矢》による挟撃。殺傷能力こそ低いが、しかし隙は作れるだろう。その一瞬の隙を突いて、《喧嘩殺法》を叩き込む。小細工を仕込む暇はない。


 対するアルタリオンは——表情こそ窺えないが——一切の余裕を崩すことなく、溜め息一つ吐いて、その全てを弾き、躱してみせた。


「なにッ!?」


 《盾術スキル》単体だけで、すでに前所有者であるロイをゆうに超える能力だ。考えなしに吶喊すれば、まず間違いなく殺される。経験と本能が、ヴァンの両拳に恐怖を植え付けた。


「で、来ねえの? いや俺はいいんだぜ? このチンケなお星様に付き合ってやってもよォ。だが忘れるなよ? 早くしないとテメェの大切な雌犬が両開きになっちまうぜ!」


 容赦はしない。相手が魔族ならばなおさらである。アルタリオンは、イフの下腹部に突き刺した《太陽の剣》を——


「あッ、ぐ、ぎぃッ……!?!? ああああああああああああァ!!!!」


「ははは、いい声で鳴くじゃねえの。ん? さっきからつまらねえ攻撃しかしないのは、もしかして惚れた女の悲鳴じゃねえと愉しめないからか? 悪かったなァ、察してやれなくてよォ! もっと聞いていくかァ!?」


 ここで。ヴァンに理性の二文字が掻き消えた。


 恐怖はある。しかし、握り潰せ。惚れた女の腹が捌かれているのに、なにを躊躇う必要がある。


「ぶっ殺すッ!」


「くくく、はっはっは! そう怒るなよ、俺とお前の仲だろ?」


「ほざけッ! 《喧嘩殺法・桜華》ァッ!」


 一歩、そして二歩。アルタリオンの殺傷圏内へと踏み込む。しかし、圧倒的な体格差が生むリーチの有利は、常にヴァンにあった。


 その上で、《喧嘩殺法》スキルにおける、速度と威力を重視した《桜華》の蹴り。


 だが。


「まったく。見慣れた面にお似合いの見飽きた技だなァ、おい! 喧嘩殺法はこうやるんだよ。——《喧嘩殺法・桜華繚乱》」


 同じ技が、一拍遅れてアルタリオンより放たれる。たしかに、先手必勝の分はヴァンにあっただろう。


 だが、それだけだ。技の格も、技の冴えも。技の速度も元々のフィジカルさえも。なにより、が。


 容易く《桜華》をいなされ、お返しと言わんばかりの《桜華繚乱》がヴァンの脚と胴体に叩き込まれた。


「か、ぁッ——!?」


 魔獣を倒し、フリッガ先生の厳しい訓練で身体作りをしていなければ、おそらく即死していたであろう衝撃であっただろう。受け身すら取れないまま、地面へと叩きつけられたヴァンはその恐るべき威力を、己の身体をもって測定する。


 反撃を。悪足掻きのように《星の矢》をアルタリオンに撃ち込むが……もはや、眼中に収めようともせず、化け物はその全てを防いでみせた。


「俺の好きな言葉はよォ、正当防衛でな。逆に嫌いな言葉は過剰防衛なんだぜ。分かるか? なんで痛い思いをしてねえ第三者が、好き勝手にやりすぎは良くないよ、なんて言えるんだ?」


 悠然と近付き、立ち上がれもしないヴァンを見下ろす——否、見下すように、アルタリオンは足を広げて膝を曲げる。俗に言う、うんこ座り、あるいはヤンキー座りと呼ばれるポーズであった。


「なんの、ことだ……ッ!」


 話の真意が読み取れず、ヴァンは地に伏したままアルタリオンを睨みつける。《星の矢》も《喧嘩殺法》も通用せず、脚を砕かれたヴァンにできる抵抗など、可愛げのあるものしかなかったのだ。


「難しいことじゃねえよ。目を潰されたら殺す。歯を折られたら殺す。侮辱されたら蹴り殺すし、殴られたら気の済むまで殴り殺す。これこそが誰も不幸にならない世界だと思わねえか?」


「だから、なんのことだ……ッ!」


「全てに通ずることだぜ。魔族が人間にしたように。そして今、テメェが俺にしたようになァ。俺は魔族をぶち殺そうとしていた善良な市民だぜ? そこに神聖兵装を問答無用で叩き込んだんだ、なにされても文句は言えねえよなァ?」


 文句を言ったところで、嗤って煽り返すだろうに。己の無力を、しかしヴァンは嘆こうとはせず、ただ怒りの感情だけでアルタリオンを睨み続けた。


 そして!その行為が、ヴァンの激情に冷や水を浴びせることになった。


(な——なんでこいつッ、ボロ布の下がなんだ!?!?)


 この会話以上に、意味不明の光景であった。あの怪力を生み出していたとは、到底考えられないほどに貧相な身体である。そもそも、年齢からみても10は行っていないだろう。傷一つなく、ある種の芸術品ともいえる肢体であった。


 つまり、今のアルタリオンの正体は、仮面を被り、ボロ布を纏っただけの子ども、ということになる。


「最期にいいもん見れたか? 俺は気前がいいからなァ、もう一つ見せてやるよ。ま、優しくしてやるつもりだが……死にたくなったらいつでも死んでいいぜ?」


 自分の裸体が見られたことに、恥じらいも怒りもなく。ただアルタリオンは、ヴァンの襟を掴んでゆっくりと——殴りやすい位置まで、彼の身体を持ち上げた。




「——《喧嘩殺法奥義・落華狼藉》」




 そして、それは最強の暴力をもってヴァンの悉くを蹂躙した。

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