第67話捨て駒

 変身を解け。シャロンが挑発の中に織り交ぜる真意に気付けないほど、カルラは間抜けではなかった。


(誰が……ッ! 誰が好き好んで人間の振りなんかするわけないでしょうが!)


 激痛を耐えながら、悠然とこちらを見下ろすシャロンをカルラは睨む。聖都ロンドメルは魔族の侵入を防いでいる(と表向きはされている)城郭都市だ。このロンドメル内では、いかなる理由があっても魔族は人間の擬態を解いてはならない。


 解けば最期。待っているのは、勇士の肩書きを持つ同族からの処刑である。


「冗談では済まされないわよ……! ぐぅっ、私の、脚を……!」


「ううん? これが冗談? あは、じゃあさっきの蹴り殺すっていう宣言も冗談だったんですかぁ!? それならそうと早く言ってくれればよかったのに! ふふ、くくくッ! 私ぃ、本気で捉えちゃいましたよ!」 


 ――じゃあ、これも冗談だから本気で捉えないでくださいね? そう前置きして、シャロンは大きく構える。


「殴り殺してやるよ」


 ただの7歳の子どもに何を怯える必要がある? 武器らしい武器は持っていないうえに、武器足りえる神聖兵装も籠手だ。どのような構えから放たれる拳であろうと、必殺には至らない。


 そう、そのはずなのだ。


(――ヤバい)


 なにに恐怖を覚えたのか。咄嗟に回避行動を取ったカルラにさえ、それは分からなかった。


 だが、その判断は正しかった――それが、人間の、それも7歳の子どもに恐怖する、という魔族の矜持を捨てるに等しい行動だったとしても。


 ドォンッ! という衝撃音が響く。空気が激しく揺れ、辺りの建物の窓はその衝撃だけで弾け飛ぶ。舗装されていた路面は叩きつけられたシャロンの拳を中心に陥没し、そこから広がる波紋のように大きな亀裂を生んだ。


「なんッ……!?」


 辛うじて、回避。カルラは折れた足に鞭を打ち、跳ねた先でその光景を目にする。


 後方へ大きく飛び退いたというのに。すでに己の眼前へと肉薄しているシャロンの姿を。


 ――満面の笑みだ。幼気な、年相応の無邪気ささえ感じる笑みである。それが、殴打という原始的な近接攻撃の予備動作でなければ、その笑みにカルラも惑わされていたことだろう。


「速いッ!?」


 片足が折られたとはいえ、《静かなる嗜虐心》による加速能力はまだ生きている。小回りこそ効かないだろうが、離脱能力に関して言えば素足のシャロンでは追いつけるはずがない――そのはずだったのだが。


「テメエが遅えんだよ、鈍間」

 

 いかなる手段を用いたのか。シャロンの足は、容易にカルラのそれを上回る。

 

 瞠目するカルラに、シャロンは再び大きく構えた。――無手による《喧嘩殺法》スキル。神聖兵装を用いない攻撃方法で、最もシャロンが得意とする交戦距離にカルラは捕えられる。


「――ッ!」


 右と、左。音の壁の一歩外から繰り出された右拳と、その肘だ。一撃でガードを剥がされ、返す肘鉄をカルラは顎で受けてしまう。


「あ……が……ッ!?」


 回避を。揺らされた脳で下した瞬時の判断を、しかしシャロンは許さない。もつれる足で再び大きく後退しようとしたカルラの、無惨に折れた右足をシャロンは踏みつけたのだ。


「ぎッい、あああああああッ!?」


「鬼ごっこはもうお終いかァ? おいおい、バリーとナンナはもう少し粘ったぜ?」


 バリーとナンナ。人が変わったような言葉遣いで、シャロンは彼女の口から出るはずのない名前を漏らした。


 ——それは、一か月前に魔獣に殺されたと判断された二人の勇士の名前だ。もちろん、それは表向きである。学園に潜む魔族であれば、二人が勇者の亡霊によって屠られたことを知らない者はいないだろう。


 右足から伝わる激痛に呻く中で、カルラは辛うじてその疑問に手を伸ばすことができた。


 なぜ二人の名が。


 シャロンの口より発せられたのか。


 「あの子は裏切らない」というモニカの言葉は、一体誰を指していたのか。


 なぜ、モニカは学園に戻るなと警告したのか。


(——そんな、嘘よ)


 そんなはずはない。7歳の子どもに、そんなことができるわけがない。予想してしまった現実を認めたくないカルラの感情は、折れた右足から響く激痛によって否定された。


「おっ、どうした? いつものいけすかない傲慢な態度はどこ行っちまったんだよ。あれ好きだったんだぜ? 魔族らしい人間を見下した態度がなァ!」


 踏み躙られている。折れた足も、魔族の矜持も。


 もはや、目の前の幼い少女に対して、いつものように侮る余裕などカルラにはなかった。


「あなたは……まさか……!?」


 重なる。虫と化した、ナンナの死体が焼き尽くされていくのを、ただ見ることしかできなかった、あの日。


 自分の背後にいた、得体の知れない存在の声と、目の前の幼い少女の声が。

 

「おいおい、いまさら驚いてくれるなよ。この一か月、ずぅっとその節穴で俺を監視していたんじゃねえのか? それともこう言ってやろうか。——あの日、あの時! テメエに振り返る度胸があればってなァ!」


 嗜虐心を含んだ笑み。迫る拳。視界の目一杯に広がる恐怖を前に、歯を食いしばりながらカルラは生存本能を最大限働かせていた。


 腕を交差させ、その上から防御魔法を展開する。カルラの行動は、同格か格上からの一撃を防ぐことを想定した防御動作である。


 ただの勇士が相手であれば、過剰と言う他ない防御性能だ。


 ——無論、そんなもので勇者の拳を止めることなどできはしないのだが。


 明確な殺意をもって振り抜かれたシャロンの拳は、防御魔法を容易く叩き割り、その勢いを殺すことなくカルラの両腕を殴打する。


 人間の、7歳の子どもから想像もできないほどの怪力がそのまま打撃となってカルラの両腕を容易く砕く。それも、一発や二発ではない。カルラの腕を粉砕しようと、お構いなしに殴り続ける。そしてようやく――カルラが両腕持ち上げられなくなったところで、シャロンはその動きを止めた。


「なぁんて、冗談ですよ! せっかく仲直りしたんですから、いくらカルラ先輩が魔族だからって簡単に殺すわけないじゃないですか! ちょっとした冗談――そうですよね、カルラ先輩?」


「ひ、ひいッ……! 許して……!」


「ん? 聞こえないなあ。人様をしこたま蹴り回して楽しかったんだろ? 次はどこを折ってやろうか。どうせ回復魔法で治せるんだからな。景気よく首から行ってみるかァ?」


 細く、華奢な腕がカルラの首へと伸び、掴む。《無垢なる暴虐》越しから伝わるシャロンの握力が、ゆっくりとその握力を強めていく。


「ま、このまま殺してやってもいいんだがな。テメエに捨てられた人形をまだ返してもらってねえのは癪だな。あんなもんに未練があるわけじゃねえが、テメエら魔族になにかを取られたって事実だけで業腹もんだぜ。どうしてくれんだ、おい?」


「返すッ、全部返すから! お願い、手を離して……ッ!」


「お? 全部? そりゃ気前がいい。テメエらが殺した人間の命、きっちり耳を揃えて返せるってことかァ?」


「そ、それは……」


 探せば、人間一人くらいの命であれば取り戻せる神聖兵装があるかもしれないだろう。だが、魔族が殺してきた人間の命、そのすべてとなれば――不可能だ。


「無理だよなァ。それとも、その場しのぎに頷いてみるか? 看破スキルが無くたって分かる嘘だがな!」


 カルラの首を絞めるシャロンの手は緩まない。


「だからここで私から提案です! 返せないのなら、死んでいった人間の代わりに人の世界に貢献すればいいだけのこと。よかったですね、カルラ先輩。どうやら私も先輩もみたいですね!」


「か……は……! な、にを……ッ!?」


 そこで、カルラは見てしまう。


 シャロンの小さな口の中、その可愛らしい舌の上をなにかが這っている。


 一見すれば、それは多足類の生物のようにも見える。ムカデやヤスデといった、不快害虫に似たシルエットだが――それが生物ではないことを、カルラはよく知っていた。


「らッ、《恋人の盟約ラバーズ》!? なんで……!」


「爆殺の釣銭だぜ。言ったろ? 運がいいってな。それじゃあ、カルラ先輩――」


 「仲直りのキスといこうぜ」。《恋人の盟約》、その性能を知るカルラにとって、彼女を絶望の底に叩き落す一言をシャロンは呟いた。

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