第66話朝焼けに照らされて

 夜が明ける。地平線の向こうから、朝日が昇る。聖都ロンドメルの壁門を超えて、ようやく。真っ赤な朝焼けに照らされる、ガレリオ魔法学園の校門へとカルラは辿り着くことができた。


(本当に、過去一番の辛い任務になったわね……。もう変身に割く魔力も危ういわよ)


 精も根も尽き果てる、その寸前だ。しかし、全力で帰還する必要があったのは確かだろう。《戦車の凱旋》でモニカが脇目も振らずに逃亡した先は、ヴィクトリアとシャロンがいる地点に違いない。きっと今頃は処理部隊に遭遇している頃だ。いや、もうヴィクトリアともども処理されているかもしれないが。


(その間にバニス様への報告と、対応について相談を……。くそ、それもこれも、あの劣等生のせいで……!)


 まさか、あの劣等生のモニカが学園の実態について勘付いているとは予想だにしなかった。それも、神聖兵装について偽装するほどの警戒ぶりだ。これは、湖に入る以前から察知していたとしか考えられないだろう。


(どこから、どのような経緯で知り得た? あるとすれば、ずっと一緒にいるリナがなにか入れ知恵をしたかしら。……いいえ、リナの神聖兵装の性能は開示されている。《愚者の曲刀》の取得についても虚偽申告していないから、それはない……か)


 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。格下と侮っていた相手が頭痛のタネになる――これほど、カルラを不愉快にさせるものはなかった。


 だからこそ、その光景がカルラの癪に障ることとなった。


 見上げなければならないほど、大きな校門の門扉。その淵にて腰を掛けこちらを見下ろす小さな姿が、目に入ってしまったのだから。




「あは。ずいぶんとぼろぼろですね、カルラ先輩」




 陽の光に照らされた銀髪が、カルラの目を突き刺さんばかりに眩く輝く。見下ろす金色の眼は、その軽々しい口調からは想像もつかないほど感情が見えない。


 小さな子ども。取るに足らない、監視対象。しかし、今、この瞬間においては、その存在が最も輝きを放つ存在であったのは間違いない。


 だからこそ、カルラは疑問と苛立ちを覚えたのだった。


「シャロン!? なんであなたがここに……!」


 ヴィクトリアを殺され、泣き喚いて処理部隊の魔族に甚振られているはずだろうに——などという疑問は口走らなかったが。


 しかし、シャロンの金色の瞳は、それさえも見抜いているような。そんな面持ちであった。


「さあ、なんででしょうね?」


 自分で考えてみなよ、そう言いたげにシャロンは微笑む。そのとき、初めてシャロンの瞳から感情が見える――もっとも、それは侮蔑を含んだ嘲笑だったが。


「……そう。モニカね。彼女がなにを吹き込んだかは知らないけれど、まさか信じているわけないでしょう?」


「うん? モニカお姉ちゃんがバリー先輩とナンナ先輩の実験動物に襲われたってことですか? それともやっぱりカルラ先輩が魔族ってお話でしょうか? ふふ、モニカお姉ちゃんは噂好きの嘘吐きだから本気になんかしていませんよ。お菓子を食べながら話半分で聞く分にはすっごい面白いですけどね!」


 モニカから聞いた話を信じているのか、いないのか。台詞からは、おそらく後者だと読めるだろう。


 だか、それならば。


「……どうして《無垢なる暴虐》を抜いているのかしら」


「あははっ、どうしてだと思いますか?」


 返答は、やはり曖昧。


(モニカと信用度の違いかしら。まあ、信用なんてされる必要もないけれど)


 神聖兵装を他人に向ける。言うまでもなく、その行為は「冗談では済まされない」。ガレリオ魔法学園の門戸を叩く人間は、その背景や気質から血気盛んな者も少なくない。そのため、ごく稀に神聖兵装を他者に向けるという事件が起きてしまうが……大抵、大事に至ることはない。無論、先に抜剣した学生には厳罰が科されるが、今日この瞬間までカルラには無縁の話であった。


(これだから子どもは嫌いなのよ)


 シャロンは子どもだ。年齢相応で、分別がまだつかないのだろう。たかだか人形一つ捨てたくらいで、機嫌を損ねるただのガキだ。だからこそ、他人が困るここ一番というところで一線を超えるようなマネをしたのだ。


「シャロン、私たち仲直りをしたはずよね。それに、校内での神聖兵装の抜剣は厳罰の対象よ。今なら見逃してあげるから、すぐに仕舞いなさい」


「校内で、ですか。じゃあ、こうすればいいですよね」


 そういって、シャロンはまるで高所から降りる猫のようにするすると校門から飛び降り、一歩――


「はい、これで大丈夫ですよね!」


「子どもの言い訳を……。そうね、私が悪かったわ。捨ててしまったお人形の埋め合わせは必ずするわ。だから、今はそこを通してちょうだい」


「ええー! 私と面白いお話するより大切なことでもあるんですか!?」


「あなたとつまらない話をするよりはね。今は大至急でテルミレオ先生に報告しなくちゃならないことがあるのよ」


 状況はどうなっているのか。なぜ、モニカとシャロンの合流を精鋭である処理部隊がなぜ許しているのか。ヴィクトリアとシャロンを終始監視していたであろう、二人の紅魔臣に問わなければ。


 一刻を争う、想定外の事態だ。こんなガキ相手に割く時間など、これっぽっちもないというのに。


「まあまあ、まだ朝も早いですし。遊び相手になってくれるヴィキお姉ちゃんも今はお休みしているんです。だから、少し遊び相手になってください!」


 遊び相手。その一言とともに、シャロンは《無垢なる暴虐》を構える。低い身長に、「どこからでも打ち込んでください」と言わんばかりの無防備な構え。


 ――どこまでも舐め腐りやがって。


「……そう。痛い目を見なくちゃ分からないみたいね」


 シャロンの身体能力も、《無垢なる暴虐》の性能もバニスに言われた通り、カルラはずっとそばで観察してきた。


 真正面からぶつかれば、シャロンに負ける道理はない。たとえ、レギオンと呼ばれた怪物から逃げ、ガレリオ魔法学園まで満身創痍の身で走り続けた後だとしても。力の差は、絶対である。


 まだ魔族としては半人前だとしても。紅魔臣や処理部隊の面々と比較して劣るとしても。魔族が人間の子どもに負けることなど、ありえはしないのだ。


 だからこそ、手加減は必要だ。切迫する状況であっても、シャロンは重要な人物である。勇者の亡霊などという、得体のしれない敵に繋がる細い糸なのだ。


「ふふ、そういう格好悪い台詞はあのモニカお姉ちゃんに勝ってから言ってくださいよ」


 ――ぷつん、と。カルラの中の、なにかが切れた。


「……蹴り殺す」


 みしり、と唸りをあげ。その予告に一拍遅れ、カルラの脚はシャロンの胴体を捉える。


 目にも止まらぬ、最速の一撃。威嚇も警告もない、卑劣な先制攻撃である。一撃を見舞うことにのみ主眼を置くのであれば、至近距離からの《静かなる嗜虐心》による蹴りを回避することは熟練の魔族でも難しいだろう。


 ――口から内臓でもぶちまけろ。即死しなければ回復魔法でもかけてやるわよ。カルラが一撃に込めるのは、鬱憤と格下を侮る自尊心であった。


 だからこそ。悪魔が嗤った、その一瞬を見逃したのだ。




 右足に響く、衝撃。シャロンの胴体を蹴り抜いた、その手応えではない。


 伸びきった己の右足、その脛をシャロンの右膝が打ち抜いている。


 それは――神聖兵装《静かなる嗜虐心》が砕かれ。


 己の右足を、まるで小枝を折るかの如く叩き折られた衝撃であった。




(————は?)




「あぁッ……ぎゃぁああああああああああッ!?」


「あははッ。カルラ先輩、得意でもないことを長所のように語ると痛い目を見るのはご自分ですよ? おっと、この忠告はもう遅かったみたいですね!」


 カルラの脚を叩き折ったのは、シャロンの素足であった。左右の腕にはめた《無垢なる暴虐》ではない。魔法も、神聖兵装も。その反撃には用いられていなかった。

 

 ただ、肉体の頑丈さでもって、カルラの一撃を蹴り返した。ただ、それだけ。たったそれだけで、カルラは己の一撃の反動を殺しきれず、その自慢の脚を壊されたのだ。


「さて、私を蹴り殺す、でしたっけ? だったら今すぐ立たないと! ほらほら、足はもう一本あるんですから! ヴィキお姉ちゃんは両腕を斬られても魔族に挑んだんですよ? 魔族のカルラ先輩なら余裕ですよ!」


 カルラのあらぬ方向へと折れ曲がった足を見て、シャロンは挑発するように手を叩く。


「ぐぅ……うぅッ! シャロンッ!」


「いい加減、そのクソみたいな変身はやめませんか? そんなものに残り少ないカス魔力を使うなら、さっさと足を治してくださいよ。それとも、その化けの皮ってそんなに着心地が良いんですかァ?」


 倒れ込み、折られた足を庇うカルラの頭上から、シャロンは言葉を浴びせる。


 その表情は——屈託のない、満面の笑みであった。

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