第62話嘔吐、安堵、投棄

 神聖兵装、《戦車の凱旋》は大型二輪車の形こそしているが、所有者が操縦することはほとんどない。自立した思考を持つ神聖兵装であり、モニカが行っていたのはハンドルを握って膨大な魔力を送り続けることだけだった。


 モニカに大型二輪車の運転経験はない。もしも、本当に《戦車の凱旋》が大型二輪車と同じ構造を持ち、同様に運転技術を必要としたものであれば、「私は神聖兵装が使えない」というモニカの嘘は真実になっていたところだろう。


 運転技術を必要としない、大型二輪車。その神聖兵装をモニカが手に入れられたのは、まさしく幸運だった。


 幸運だった――のだが。同時に、とある不幸も彼女は抱える羽目になっていた。


「うぅッ、げええええぇッ……!」


 滑り落ちるように《戦車の凱旋》から降りたモニカは、膝をつくなり胃の内容物を吐きだす。慣れない魔力の放出に身体が追い付いていないことも要因の一つだが、なにより彼女の身体に多大な負担を掛けたのは《戦車の凱旋》そのものの


 それは、例えるならレールのないジェットコースターであった。直線の移動のみならず、上に下に右に左に。障害物を避けるため、一切ブレーキを掛けることなく目的地まで爆走する様はまるで暴れ馬のごとく。……当然、それに乗る騎乗者には相応の頑強さが求められるのだが。人より魔力量が高いだけのモニカには、ハンドルを握っているだけで精一杯であった。


(これが魔力解放……! ゲームのキャラはバンバン使っていたけど、ヘビィ過ぎじゃない!?)


 自身を振り回した速さと、その速さを引き出すために使った魔力量。その二つの消耗は、今のモニカにはあまりにも重い対価であった。


(でも、生きている……! 《戦車の凱旋》じゃなきゃ、あの場で生き残ることはできなかった……!)


 己の神聖兵装に三半規管を揺さぶられ、喉の奥から焼けるような痛みを伴って吐き出した嘔吐物を静かに眺め――五体が欠けることなくレギオンとカルラから逃げ延びたことを、モニカはようやく実感した。


 刃を交えたわけでも、正面からぶつかったわけでもない。今頃、魔装を持った魔族たちに囲まれているシャロンやヴィクトリアと比べれば、さした殺し合いでもない。


 だが、一歩間違えれば己の身が危うかったのも事実。モニカは、初めて己の力のみで窮地を脱したのだ。


 これは彼女の定義する「勝利」に他ならない。一手打ち間違えれば、命を落とすこの世界で生還できたのは十分な勝利である。


 しかし、モニカの表情は暗い。少なくとも、自分の定義した勝利に酔いしれているような様子は欠片もなかった。


 その胸中にあるのはヴィクトリアとカルラの安否である。ヴィクトリアは言わずもがなだろう。だが、己の命を狙ってきたカルラの安否を気遣うのは、いささか平和ボケが過ぎるだろう――モニカはわずかに自嘲し、その口をきつく結ぶ。


(それでも、ルート次第ではカルラだって……)


 カルラだって、仲間になる。そこに至るためには、数多くの紆余曲折を経なくてはならないのだが……しかし、その未来は確かにあるのだ。


「よォ、今度ばかりは死んだと思っていたが。元気そうで俺も嬉しいぜ、モニカ」


 ズズ……、とモニカの眼前に突如現れた、真っ黒な空間からシャロンが現れる。その肩には、まるで米俵を背負うような形でヴィクトリアが力なく抱えられている。


「ちょっ、うぉいっ! それ、ヴィクトリア死んでないわよね!?」


「ばぁか、俺がそう簡単に人を殺すかよ。ちょっとばかり魔族狩りの手ほどきをしてやったら、どうやらキャパオーバーしたみたいでな。こうしてぐっすり、おねんね中ってわけだ。ま、約束通り傷一つねえよ。んで、そっちは?」


「え、うん……。魔力を使ったのと乗り物酔いで気分が悪いこと以外は特に。しいて言えば、ちょっと掠り傷を負ったくらい?」


 シャロンにしては珍しく己の身を案じてくれるような台詞に、モニカは馬鹿正直に答えてしまう。恐らく、レギオンの鏖装による一撃を躱した際、はねた石が掠めたのであろう手の甲の怪我(とも呼べないような小さな擦過傷)をモニカは見せる。


 それを一瞥したシャロンは、つまらなそうに「ふん」とその手の小指を軽く折ってから、擦過傷ごと回復魔法で癒してみせた。


 その間、一秒にも満たない早業である。


「痛ったァああああああああああッ!? なにすんのよ!?」


「馬鹿につける薬はねえが、魔法ならあるかと思ってな。どうやら期待外れだったみたいだが。いいか、テメエの身体の状態なんざこれっぽっちも心配してねえんだよ。俺が聞いてんのはカルラのことだ。首尾はどうなったんだ?」


「ああ、そっち? そっちね……。だったら最初からそう言ってよ」


「なんか言ったか?」


「いや、なんにも」


 これ以上、無駄に口を開けば藪蛇だろう。しみついた弱者としての根性が、モニカに告げてくる。「これ以上シャロンの機嫌を損ねるな」と。


 手短に、簡潔に。要点をまとめ、モニカはレギオンとの遭遇から離脱までをシャロンに告げる。


「概ね計画通りか。こっちも似たようなもんだ。……ああ、違うな。長ったらしく語りだした《戦車の凱旋》とお前の武勇伝は俺の計算外だったぜ」


「うっ、そりゃこれが私の切り札だったし……」


「別に責めちゃいねえよ。それがお前の処世術だし、協力関係があるとはいえ俺だって好き勝手やらせてもらっているからなァ。意地悪くパズルのピースを隠すように、最後まで伏せていたら話は別だったが。一つ探す手間が省けて感謝したいくらいだぜ」


 その目からはまったく感謝の意思を感じることはできなかったが。少なくとも、シャロンの機嫌を損ねるほどのことではなかったらしい。


 モニカも腹パンの一発くらいは覚悟していたが。シャロンの機嫌が平時と比べて芳しいのは、大量の神聖兵装と経験値を得ることができたからだろう。


「そんなことよりだ。カルラの生存率は体感どれくらいなんだ」


「……そうね、真正面からレギオンとぶつかれば、ほぼ確実にカルラは死ぬでしょうけど。でも、《静かなる嗜虐心》で生存重視の回避による持久戦なら、分はカルラにあるわね。逃げに徹すれば、まず間違いなくカルラは死なないわよ」


 レギオンの攻略法については端的にではあるものの、モニカはカルラに伝えていた。「逃げるが勝ち」――レギオンは膂力、敏捷、頑丈さ、どれをとっても強敵ではあるが、唯一「持久力がない」という欠点を抱えている。


 現段階において、レギオンの敏捷性がカルラの《静かなる嗜虐心》を上回ることはない。持久力など言わずもがな。カルラはレギオンを打倒することはないだろうが、同時に逃げさえすれば窮地を脱することは可能なのだ。


「ふぅん、なら生きているな」


 シャロンは知っている。カルラという魔族が、己の窮地に陥った場合どのような行動に出るのか。


 カルラはプライドを捨ててでも、生き延びてみせるだろう。少なくとも、モニカの脅威を敬愛する上司に伝えるまでは。


「……殺すの?」


「そりゃ当然。とはいえ、俺だって暇じゃない。ヤツが学園に戻って来ないのなら、草の根を掻き分けて探しだすのは後回しだ。その間に人類の味方をする清く正しい魔族になるってんなら、俺だって考えを改めるさ。――ま、それはないと思うがな」


「…………」


 モニカはシャロンの予想を否定することはできなかった。カルラが人類の側に立つには、時間も出会いもなにもかもが足りていない。


 一縷の望みがあるとすれば、カルラがモニカの忠告を大人しく聞いて学園に戻らないことだけだが。……それもないだろう。カルラにとって、状況の報告は最優先事項である。紅魔臣であるバニスへの報告を、訳知り顔の劣等生に忠告された程度でやめるはずがない。


「状況と気持ちの整理は終わったか? 終わっていないならさっさと済ませな。俺もヴィッキーもお前の事情を待っている余裕はねえからな」


「は? ちょっと、まだなにかするの!?」


「そりゃあそうだろ。お前の忠告通り、学園を出てからヴィッキーの両腕がぶった切られるまで、魔獣の目を通してエルシャの野郎が俺とヴィッキーを監視していたんだ。ここは一発咎めておかねえとな、なんせ乙女のプライバシーは重要だろ?」


 そう言うと、シャロンは懐から真っ赤な石を取り出す。否、それは魔族にとって重要な器官である――


「魔核ッ!?」


「ああ。どうにも連中は俺のことを紅魔臣に伝えたがっているみたいだからなァ。こうも一方的だと弱い者虐めをしているみたいで俺が可哀想だろ? だから願いを叶えてやろうと思ってな」


 にやりと笑い、シャロンは使い潰した玩具を捨てるような気軽さでノードスの魔核を放り棄てる。


 魔核が吸い込まれるように落ちる先には――真っ暗な口を開く、《至るための旅路》があった。

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