第61話誇りの一撃

 軋む。身体が、悲鳴をあげるように軋む。


 これが死というものでしょうか。断たれた両腕も、両足も。お父様とお兄様の仇を討つこともできないどころか、貴族としての役目を全うできない私には、永劫の必罰がお似合いなのでしょう。


 力及ばず。しかし、民を守るべき貴族が「力が及ばなかった」と口にしたのなら、その者には民を守るだけの器がなかったことになりますわ。


 少なくともドルトーナ家は、領地に住まう民こそがなによりの宝でした。だからこそ、お父様もお兄様も、貴族としての矜持を胸に、最期の戦いへ赴きましたわ。


 「平民の盾となり矛となる」。ええ、その生き方を愚かと冷笑する貴族の方々も多いでしょう。勇者なき今、魔族の蔓延るこの世界で平民を盾にして逃げる貴族も少なくありません。……貴族といえど、生き物としては平民となんら変わりませんもの。心と身体を鍛えなければ、きっと私も貴族という立場に甘えていたかもしれませんわ。


 ですから、笑われてもいいのです。ドルトーナ家が望むのは平民が健やかに、安寧の日々を過ごすことにあります。お父様もお兄様も、一心に願い、そして死んで行きました。


 だから、私も。お父様とお兄様と同じように。領地に住まう平民を守ったように、シャロンを守らなければなりません。それが貴族として、ドルトーナ家長女として、当然の務めですから。


 ――本当にそれでいいのか?


(……貴族として、私はドルトーナ家の人間として恥じない最期を迎えたつもりですわ)


 ――いいや、違うなァ。お前の命はあんなガキ一人に使い潰していいもんじゃあないだろう? 親父と兄貴が命を懸けて守った領民を今度は誰が守る? 住んでいた故郷を魔族から誰が取り戻す? まさか、助けてやったからって貴族としての義務をシャロン・ベルナにおっ被せようってか? くくく、それ以前にお前が死んだらあのガキが生きて帰れるとは思えねえがなァ。


 死の淵で聞くには、あまりにも下卑た言葉遣い。私の背景を見透かしたかのように、どこからともなく響いてくる声。


 天使でしょうか、それとも悪魔でしょうか。……所感では、やや後者寄りといったところですわね。


(……でしたら。死に行く私に構わず、どうかシャロンをお救いください。もしもあなたが悪魔なら、対価として私の魂をいかようにでも。そして、願わくばどうか無辜の平民の皆様をお守りください……)


 ――おいおい、こっちの気分が良くなるくらい強欲だな! 自分の魂の価値を過大評価しているのもポイントが高いな。だが残念、俺はお前の魂なんかこれっぽっちも興味がないんだ。いや困ったなあ、このままじゃシャロンは死ぬし、お前は犬死だ。必死こいて逃げ延びたお前の愛する平民なんて、魔族に惨たらしく殺されるのがオチだぜ。それが親父と兄貴が命を懸けて守った未来だっつーなら……くく、


 悪魔からしてみれば、滑稽でしょう。相手は人間とは比べ物にならないほど、強大な力を持つ魔族。その軍勢に立ち向かったお父様とお兄様の行いは蛮勇ですし、生き残った私ですら魔族に打ち勝つことはできなかったのですから。


 「ドルトーナ家の人間として生まれたのなら、民の前では涙を見せてはならぬ」。お父様の教え通り、お父様とお兄様と別れてから堪えていた涙は、未熟な私の双眸ではここまでだったようです。


(だったら! だったら、どうすればよかったのですか……!)


 お父様とお兄様に勘当されることも覚悟で、民を犠牲に生き延びるべきと忠告すれば良かったとでも? それともシャロンを見捨てて、自分だけおめおめと生き残ることが貴族として、勇士として正しい姿だったのですか!?


 ――違うなァ。ヴィクトリア、簡単なことを難しく考えるもんじゃない。どうすればよかったか、なんて考え自体が不毛なんだよ。お前が今考えるべきは、。それだけだろう?


 どうすれば、いいか。ほとんど死んだような身体で、私にできることがまだあると。


(……なにを期待されているのかは分かりませんが。御覧の通り、私の身体は両腕が断たれ、命が尽きようとしていますわ。いえ、もう尽きているからこそ、あなたと会話ができているのではありませんこと?)


 ――どっこい生きているんだなァ、これが。


(……は?)


 ――目が覚めたらシャロンにでも聞くといいぜ。もっとも、お前の身体もシャロンの命もこのままじゃ長くはもたないがなァ。


 生きている。両腕が斬られ、とめどなく溢れる血の量を見れば、誰だって失血死を疑わないでしょうに。それが、なぜ生きているのですか。


 いえ、それよりも。


(……ッ! シャロンを助けに行きませんと!)


 ――くくく、やっぱ戦意喪失はしてねえか。それも、仇を討つためじゃなく、あんな子どもを守るためとはね。いいねえ、さすが肉体派貴族。


 お父様とお兄様の仇を討つ。それは、私の悲願ですわ。ですが、私が倒れ今もなお魔族に囲まれてたった一人で取り残されているシャロンを思えば……!


(私の事情などシャロンの命に比べれば些細なものですわ! 今はシャロンの命を最優先で考えるべきでしょう!?)


 ――なにに重きを置くかは、お前が決めればいい。だが、どちらにせよだ。仇を討つにも、シャロンを守るにも。あのアヴリフという魔族を殺さなくちゃならないよなァ。で、その勝算はあるのか?


 聞こえてくる声は楽しそうに笑っています。人を馬鹿にしたいのか、それとも発破をかけたいのか。はっきりしていただきたいのですが、きっとこれも計算のうちなのでしょう。


(……そうですわね。再びアヴリフに挑んでも勝てる見込みはないでしょうし、仮に倒せても残る大量の魔族がいますわ。無論、意識が戻り次第この命を賭して挑みますが……。シャロンや民を守っていただけないのなら、せめて知恵を貸してはいただけませんか? 今の私では——)


 ――いいや。知恵を絞る必要はねえ。。幸運だな、ヴィクトリア! 少なくともあのアヴリフよりはツイてるぜ、お前。


(それは、どういう……?)


 ――力を貸してやるって言ってんだよ、この勇者の亡霊が直々になァ?


 ◆


 光。触れれば、一撃で魔族の身体を塵芥に帰す最強の属性を纏ったヴィクトリアの攻撃を、アブリフは何度凌いだことか。


(クソッ、クソッ、クソッ! 嫌だ、死にたくない……!)

 

 幸いであったのは、アブリフの持つ魔装金色の精神が光属性に対して、ある程度の耐性を持っていたことだ。致命傷に至る一撃は、その刀身で防ぐことで辛うじて生きながらえている。……しかし、その幸運もあと何度続くか。魔族の身体性能を極限まで酷使して、紙一重の攻防……否、防戦を強いられている。


 逃げよう。この状況を打破する策はもうない。しかし、逃げの一手すらシャロンの持つ《隠者の角灯》が視界の端でちらつく。


 「逃げられると思うなよ」とシャロンが宣告したように、アヴリフがその一手を打った瞬間、発動するのが目に見えている。


 まるで機械仕掛けであるかのように動くヴィクトリアの、計算しつくされた連撃をアヴリフは躱し、凌ぐ。剣筋は見やすい――なぜなら、アヴリフの泣き所ばかりを執拗に狙ってくるからだ。


 失った右腕では防ぎ辛い、右側面。それも、足ばかり。機動力がわずかでも失われれば、形勢は決するとシャロンも分かっているからだ。


「つくづく……! お前みたいな、下劣な勇者に命運が握られている人類が哀れでならないわね! 魔族に飼われていた方がよっぽど幸福でしょうにね!」


「おいおい、遺言はそんなつまらない台詞でいいのか? 恨み節ならもっと過激なヤツで頼むぜ。しかしテメエも難儀な性格だな、おい。勇者に負けたってんならあの世のロゼアンにも言い訳が立つってのによ、そんなに人間に負けてえのか」


 「俺からのささやかな慈悲だったんだぜ?」と。終始、厭らしい笑みを浮かべていたシャロンは、深いため息を吐くと――《神秘の立方体》を傍に置いた。


「じゃあ、遊びは終わりだな。ヴィッキーに殺されてくれや」


 《神秘の立方体》を傍に置いた、その手を口の傍に寄せ。一息吸い込んだシャロンは、大きくも可愛らしい声で一言叫ぶ。


!」


 それは。無辜の民を想う、一人の貴族を目覚めさせるのに覿面の呪文。


 救いを求める言葉がある限り。命ある限り。彼女はどのような窮地であっても、平民の盾となり、矛となる。


 銀の光に導かれ、ドルトーナ家の誇りと精神を受け継ぐ――ヴィクトリア・ドルトーナはする。


「なに……ッ!?」


「もはや……優雅に、とはいきませんわね。アヴリフッ! 覚悟はよろしくて?」


 虚ろであったヴィクトリアの瞳に光が宿る。目覚めた眼光が捉えるは、ズタボロのアヴリフ――その、脳天。


(ヴィクトリアの精神支配を捨てた!? 馬鹿が、これならたとえ光を纏っていても殺せるわよッ!)


 大振りの縦斬り。《剛毅の斧槍》では、細やかな動きはできない。シャロンの操作を失ったヴィクトリアの動きは、その精密性を欠く。荒々しく、武骨。受け止めて、必殺の反撃を見舞えば。少なくとも、ヴィクトリアは確実に殺せる。


 アヴリフの心に余裕が生まれる。息つく暇もない、あの連撃の嵐と比べれば大振りの一撃など、児戯にも等しい。


 振り下ろされる、《剛毅の斧槍》。見え見えの一撃を、アヴリフは焦ることなく受け止める。


 が。


「なっ、ああッ!?」


 重い。まるで、はるか上空から落ちてきた巨岩のような重さだ。


 最初の軽くあしらえたヴィクトリアは言わずもがな。シャロンに操られていたときと比べても――はっきりと。


(なん、で)


「この一撃は、我が父と我が兄の双肩より放たれたもの! 私ではありませんわ……! 我が一族、ドルトーナ家の誇りがあなたを倒すんですのよ!」


 筋肉でも、経験値だけでもない。この重さは、この一撃の鋭さは――ドルトーナ家の誇りが積み上げた重さである。


 それが、銀の光を纏って放たれる。たとえ紅魔臣直属の精鋭魔族といえど、受け止められる道理などなかったのだ。


「散りなさい、アヴリフ!」


 その一撃は《金色の精神》を砕き、アヴリフの脳天より胸の魔核まで一閃。


「ぎぃッ、あああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 脳天から魔核を通り、股下にかけて真っ二つ。


 アヴリフの魔核は、たった一人の貴族によって砕かれたのだった。

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