第59話リベンジマッチ

 シャロンが片手で弄ぶ魔核は、ノードスのものだ。魔装搭の雷撃槍を持つ彼があのような姿に変わり果てている――その事実だけで、アヴリフを絶望のどん底に叩き落すには十分すぎる事実であった。


(ノードスの魔装には神聖兵装を封じる効果があるのよ!? それに他の50もの魔装持ちだっていたのに……!)


 シャロンの姿は、服装こそボロボロになってはいるが、開いた穴から覗く白い肌には傷一つない。否、まるで赤い絵具の海に浸したかのように、真っ赤ではあるが。やはり、何度見てもシャロンの柔肌には傷が一つも無いのだ。


 アヴリフとて自分では敵わない相手と対峙した場面は一度や二度ではない。だが、目の前のシャロン・ベルナという人間は、そのどれをも凌駕している。


「あはは。今にも殺されそうな顔。こういうの、なんて言うんだっけ。まな板の上の——雑魚?」


 分かりやすい挑発。平時であれば、容易くこの挑発に乗っていただろうアヴリフも、この窮地においては軽率な行動を取る余裕がない。


「なんで私を生かしたのよ……!」


 殺すタイミングなどいくらでもあったはず。それこそ、《太陽の剣》で受けた傷は勇士でなくとも殺せるほどの致命傷だつた。


 見逃されている、という雰囲気ではない。《金色の精神》を抜きながら、アヴリフは次に取るべき行動を思考する。


「それだよ、テメエが握ってる。聞いた話じゃあヴィッキーの親父さんの遺品らしいな。結果は残念だったが、敢闘賞くらいはねえと可哀想だろ? つーわけで、だ。リベンジマッチといこうぜ」


 そう言って、シャロンはアヴリフに見せつけるように、側で片膝をついて首を垂れているヴィクトリアのをぽんと叩く。


「……私の斬った両腕が……!?」


 生えている。《黄金の精神》によって切り落とされたヴィクトリアの両腕は、なにごともなかったかのように、傷一つ残さずに元通りのなっていたのだ。


「そこ驚くとこかァ? くく、我ながら痛恨の不手際だったぜ。自己再生スキルに頼りっぱなしだったんで回復魔法のスキルがちっとも伸びてなくてなァ。学園の図書館で貪るように魔法書を一月読み込んでようやくレベル1! おかげで。それがどうだ、テメエら50匹ぽっち殺すだけでカンストだぜ! 魔族50匹で人が1人救えるなんてリーズナブルな世界だよなァ」


 魔族50人と人間1人。狂ったシャロンの天秤で命の重さを測られたことが運の尽きであった。


「ふざけるな……! 人間如きの命が、魔族の命と釣り合うわけないでしょうが!」


「お、奇遇だなァ。俺も同感だぜ! テメエら魔族の命がどれだけ積まれても、人一人の命には届きやしねえんだよ!」


 人一人の命はそれだけ重く。そして、人を狩る魔族の命など、塵芥にも満たない重さしかシャロンは感じていない。


 言うや否や。シャロンはどこからともなく神聖兵装、《神秘の立方体ルーニック・キューブ》を取り出す。


(マズい……ッ! 初手で《神秘の立方体》を普通抜く!?)


 《神秘の立方体》。その性能を知っているからこそ、アヴリフは思わず身構える。


 精神、思考、魔力操作、身体のあらゆる神経——注ぎ込んだ魔力の程度で、その効果時間と効果範囲はバラつくが、《神秘の立方体》は「対象の自由を奪い、支配すること」に特化した神聖兵装である。


 危険度は言うまでもない。魔族も初めはただの四角い箱とばかりに思われていた神聖兵装であったのだが。不幸にも、この神聖兵装の真価に気付いてしまった所有者は、その日のうちに魔族の経験値となってしまった。


 対処法は簡単だ。どれほど魔力を込めても、支配できる対象は一人のみ。《隠者の角灯》と同じく、この神聖兵装を抜剣中、使用者は無防備となる。


 数で囲み、一人が《神秘の立方体》の支配を受けている間に使用者を叩く。だが——今、ここには満身創痍の己と、魔核のみとなったノードスしかいない。


 対処すべきは、当然シャロン・ベルナだ。ヴィクトリアの生存は問題であるが、シャロンの脅威度を前にして考えるべきことではない。


 だか、その思考すらもシャロンは許さない。


「俺ばっか見てていいのかァ? さっきも言ったろ、こいつはリベンジマッチだってなァ!」


 《神秘の立方体》を、シャロンは遠慮なくさせる。そのカチリ、という不気味な音が、一人の勇士に獣性を与え、理性を奪った。


 180センチ超えの巨躯がおもむろに立ち上がる。手には《剛毅の斧槍》を。しかし、その姿勢は僅かばかり前傾。


 馬鹿正直に正面から斧槍を振るう優雅さと愚直さは、その姿勢からは感じられない。


 今、《剛毅の斧槍》を抜いたヴィクトリアは、アヴリフと先程まで刃を交えていた者とは、違う。


「正気じゃないわよ、お前! 使……!」


「正気も正気だ。テメエに使ったら面白味もなく殺しちまうからなァ。コレン、だったか? こいつで魔力を暴走させてみたが、いやこれがまったく。大金積んでしょっぺえ花火を見ている気分だったぜ」


 コレンの死。それは、部隊が《至るための旅路》による撤退に失敗したことを意味する。


 もちろん、シャロンが嘘を吐いている可能性は考慮しなければならない。しかし、ノードスを無惨な姿に変えることができるほどの実力を持ちながら、そのような嘘をシャロンが吐く意味は薄い。


「お前だけは殺すッ……!」


「聞き飽きたぜ、その台詞。出来もしねえのになァ?」


 アヴリフは《金色の精神》を構え、シャロンに向かって吶喊する。しかし、当のシャロンはアヴリフに視線をくれることはなく、嬉々とした表情で《神秘の立方体》を弄るばかりだった。


 殺せる。隙とも呼べないほど、無防備な姿に確信をもってアヴリフは《金色の精神》を振るう。


「悪いジンクスは絶っておく必要がある。そう思うよな? そこで、テメエにも敢闘賞をくれてやるよ。ここでヴィッキーを殺せたなら見逃すってのはどうだ?」


 その一撃に眉一つ動かすことなく、甘言を吐きながらシャロンは再び《神秘の立方体》をカチリと動かす。


「舐めたことを言うなぁ!」


 瞬間。《金色の精神》の刃先がシャロンの首筋に触れる、その寸前。


 強い衝撃が、アヴリフの《金色の精神》を押し返した。


「……ッ! 木偶の坊が!」


 その一撃を遮ったのはヴィクトリアの握っている《剛毅の斧槍》。虚ろな表情で、これっぽっちも覇気を感じないというのに——ヴィクトリアの膂力は、先程とは比較にならないほど跳ね上がっている。


 否、


 両腕にかかる負荷に肉体が耐えられていないのか、ミシミシと音を立てている。骨が軋み、筋肉が引き千切れる。ヴィクトリアにアヴリフの一撃を受け止めるだけのステータスがないことは、一目瞭然であった。


 だが、そんなものはさしたる問題ではない。


ヒール回復魔法


 ズタズタになったヴィクトリアの両腕を一瞥したシャロンは、呪文を呟く。——シャロンが、たった一言呟いただけ。しかし、魔力の籠ったその一言は、瞬く間にヴィクトリアの両腕を完治してみせた。

 

「ただの初級回復魔法で!?」


「いいや、違うなァ。50匹の魔族をふんだんに使った初級回復魔法だ。まさか人間の命を奪って神聖兵装を扱うテメエが狡いなんて言わねえよなァ?」


 攻守交代と言わんばかりに、ヴィクトリアはアヴリフを蹴り上げる。己の足が折れることも厭わぬ威力だ。アヴリフは辛うじて受け止めるが——その一撃で、悟ってしまう。


(《神秘の立方体》、その真価はこっちだっていうの!?)

 

 対象を意のままに操る神聖兵装。しかし、シャロンの手に掛かれば、ただの勇士であろうと魔族を屠るに足る戦士を作り上げることなど、造作もないのだ。

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