第58話最速の神聖兵装
第七のアルカナ、戦車。アルカナのカードには二頭の馬、あるいはスフィンクスによって引かれる二輪の戦車と、それに乗る若者が描かれている。その意味は――勝利、成功。
戦車のアルカナが持つ意味と、自分が無縁であることはモニカが一番よく理解していた。死なないように立ち回り、殺されないように身を屈めて生きてきた彼女の人生は勝利や成功とは無縁であった。
だが、それでいい。なにも、人生の流れの中で起きるすべての勝負事に勝つ必要など端からモニカは考えていなかった。
勝つべきところで勝つ。それ以外はすべて負けていい。
「逃げるが勝ちつってね」
この状況におけるモニカの勝利条件。それは、五体満足でカルラとレギオンから逃げ切ることである。
それは、二つの車輪を縦に連なるように配置した、一見するとなんともバランスの悪そうな乗り物であった。
美しい流線形のフォルムから発せられる、魔力を燃やす地鳴りのような排気音。その車体の色合いは白と黒のモノトーンという簡素なデザインだが、モニカはそれが気に入っていた。
魔族は、その神聖兵装を車輪のついたガラクタと嗤った。欺くため、そうする必要があった――とはいえ、モニカもその矜持が傷付かなかったといえば噓になる。
モニカは《戦車の凱旋》に跨り、小さな翼のように横へ伸びたハンドルを握る。
「モニカァ! 逃げるな!」
普段であれば、とろとろと《戦車の凱旋》に乗ろうとするモニカを殺すなどカルラにとっては朝飯前である。しかし、今この瞬間ばかりはたったそれだけのことがレギオンによって遮られる。
そして、同時に。《戦車の凱旋》が起動したら、モニカを逃がしてしまう予感がカルラにはあった。
「私が臆病で卑屈な劣等生ってのは変わらないけどさ。《戦車の凱旋》――この子の評価だけは改めてもらうからね」
ブォオンッ! という一層大きな排気の音。それが、スタートの合図であった。
その音にいち早く反応したのはレギオンであった。本能的に獲物が逃走しようとしているのを察知して、その矛先をカルラからモニカへと変えた。
続いて、カルラもまたレギオンの注意がここで初めてモニカに向いたことを確認し、自身もまたモニカを逃すまいと駆け出す。
だが、ただ一点。力も体力もこの場の三人の中で最も劣るモニカであったが。速さという、逃走における最も重要な要素においてはこの場の誰よりも負けていなかった。
「勝負だ……!」
振り落とされないようにハンドルを握りながら、モニカは己の魔力を《戦車の凱旋》へと注ぎ込む。頼りない主人を叱咤するかのように、《戦車の凱旋》は爆ぜるような爆音とともに加速する。
対抗するように、レギオンもまた鏖装を新たに抜く。
「にがさ、ないッ!」
バキバキと足の骨を折り、筋肉の位置を入れ替える。先ほどまで人間の足と呼べた関節の形が逆方向に折れ曲がる。さらには顔面が地に触れるすれすれまで屈んだ前傾姿勢に、両腕でもって地面を殴りつけるように走る。――それは、まるで獣の走り方であった。
だが、加速した《戦車の凱旋》相手では追いつくどころかその距離をジリジリと離されていく。人間どころか、地上生物が生身で出せる最高速度をレギオンは叩き出しているし、これが一直線の勝負でなければモニカの敗北は必定だっただろう。
健闘したのはカルラの《静かなる嗜虐心》であった。彼女の魔装もまた、速度に特関して優れた性能を持っている。速度も小回りも、カルラの恵まれた身体性能を抜きにしても総合的な面で見れば《戦車の凱旋》に勝るとも劣らない。
事実、最初に最高速度に至ったのはカルラであった。レギオンを追い越し、地面が抉れるほどの衝撃を残して跳躍する。
「
カルラに対し、しがみ付くような前傾姿勢で《戦車の凱旋》に跨るモニカの背中はがら空きである。もはや手加減は無用。そこに向けて、カルラは必殺の一撃を放つため、大きく跳躍し、鋭利に突き出た踵を向けて飛び蹴りを放つ。
「
その一撃を予見していたかのように、モニカもまたほぼ同時に魔力解放を行う。
ジャキンッ! という金属音とともに、《戦車の凱旋》後部より生えていた、金属製の筒の数が増え、そして各所もまた走りに最適化するために変形する。そして、後方より飛び蹴りの形で猛追するカルラに対し――その筒より、爆炎を浴びせた。
「……ッ!? 目くらまし程度でッ!」
威力としては痛痒を感じないほどの、見た目だけの爆発。ほんの少し、髪の毛が焦げる程度だ。
だが、その爆炎が晴れた先で見えた光景に、カルラは我が目を疑った。
遠く、遠く。モニカの姿が、もう豆粒ほどの小ささになっている。
(速度で……私の《静かなる嗜虐心》が勝てない……ッ!?)
――《戦車の凱旋》は走ることのみに特化している。その道が一直線であれば、二足歩行の魔族や四足歩行の化け物では、《
速さという勝負の中で、格の違いを思い知らされたカルラは、呆然とその足を止めてしまう。貴重な勇者の亡霊の手掛かりと、こちらの秘密を知っている人間を逃がしてしまった事実が、彼女の足を鉛のように重くしてしまったのだ。
その無防備な背中を、レギオンは容赦なく蹴り飛ばした。
◆
◆
身体が燃え、吹き飛んだ。その記憶だけはある。身体の内部から燃やし尽くされ、生きているのが不思議なほどの一撃を受けてなお――アヴリフは生きていた。
「が、ぁ……な、にが……!?」
なにが、起きた。シャロン・ベルナが突如、己の右腕を斬り飛ばした。それも、《太陽の剣》で。あの聖剣の性能で、痛みと焦りで対処法を間違えた自分の身体は自爆した。気を失った理由は、痛みで明滅する思考でも理解できた。
じゃあ、仲間は? あのシャロン・ベルナを殺したのか。それとも、鎮圧し捕縛したのか。……どちらにせよ、この場に誰もいないことが理解できない。
「まだ寝ていなくていいんですか? 酷い怪我でしたよ」
そんな声が聞こえたとき、ぞわりという悪寒がボロボロのアヴリフの身体を襲った。
「……は?」
シャロン・ベルナ。あの勇者の亡霊の正体である幼女が、まるで心配そうにこちらを見つめている。
状況が、これっぽっちも理解できない。仲間が一人もいないこともそうだが、シャロンが無傷で立っていることも、自分が寝かされていた理由も。
「どうしたんですか? もしかして、さっきの怪我で記憶でも飛びましたか? 困ったなあ、罪の意識がない悪者を殺すのって少し気が引けるんですよね」
シャロン・ベルナの態度は可憐な七歳女児相応。しかし、その台詞から滲み出る邪悪さが、アヴリフの危機感に説得力を持たせた。
コイツは、ヤバい。右腕を斬り落とされたこともそうだが、忽然と消えた仲間たちにしても――なにかがあった。そのなにかを明確にするべきなのか。開けてはならない箱の蓋に指を掛けるような気持ちで、アヴリフは口を開いた。
「仲間は……!? 私の仲間になにをした……!?」
それでも、聞かねばならない。どうなったかなど、予想はつくのに。
「んー? ここにいないならそういうことじゃないんですかァ?」
そういうこと。つまりは、そういうことなのだ。
「嘘だ……」
「一番に倒れた自分が生かされていて、仲間が全員死んでいたからですか? くくく、おめでたい奴だな。俺が害虫相手に情けで生かすとでも思ってんのかァ?」
そう言って、シャロンはまるでお手玉で遊ぶように、片手で真っ赤な宝石を投げては掴む。
魔核だ。それも、まだ生きている者の。
「あ、ああっ……!」
「《月の盾》が思いのほか強くってなァ! まだ遊び足りねえんだ。アポなしでそっちから押しかけてきたんだから、それくらいのサービスはしてくれよなァ。アヴリフさんよ」
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