第51話獅子の血統
魔族と人間は、ある例外を除いてそのパワーバランスは最初から決まっている。未熟な魔族が人の姿に変身しているならともかく、角と魔核を晒した彼らを相手に人間が勝つことは難しい。
たとえ神聖兵装という下駄を履かせても、素の魔族に勝てる人間は一握りである。
「その禍々しい角……ッ! どうして安全圏にこんな数の魔族がいるんですの!?」
「勇者が死んだからに決まっているじゃん。そんなことも分からないのかな?」
闇の中から浮かぶように現れた、人の頭には存在しない突起物。それをこれ見よがしに生やした存在を、ヴィクトリアはたった一つしか知らなかった。
魔族だ。その魔族が、なぜ勇士の守る防衛線を超えて侵入しているのか。――それも、ざっと見ただけで五十人以上いる。一人、二人の侵入でさえ大問題だというのに、そのような報告をヴィクトリアは受けていない。
(つい今しがた侵入されたということですの!? いえ、それはありえないですわ。あの口振り、最初から狙いは私かシャロン……! その理由までは分かりませんが、50人を超える部隊を動かすのになんの準備もなく、ということはないはず……!)
「黙れ、黙れ。アヴリフ、お前は喋り過ぎだ。あのデカい方は賢いらしいからな……。テメエが余計なことを喋ればいらねえ勘繰りをされるぞ。……やはり賢くてデカい女は脅威だな。それくらい馬鹿で小さいお前なら分かるだろ」
「あはは、なにそれ。喧嘩売ってんの?」
「図星か? そう思うなら黙れ。馬鹿でも黙れば賢く見える。小さいのはどうしようもないがな」
「うるっさいなぁ。混成部隊でたまたま一番腕が立つからって調子に乗らないでくんない? エルシャ様の後ろ盾がない男は余裕がなくて嫌になっちゃうなぁ!」
長身の男と小さな女――小さい方はアヴリフと言ったか。ヴィクトリアは、この窮地からシャロンを逃がすためだけに、疲労の残る脳で考え抜く。
(救援……は絶望的ですわね。カルラさんとモニカさんが来ても焼け石に水でしょうし、二人も別方向に歩いてからだいぶ経ちますわ。……その上で、この機を見計らったかのような襲撃。すべて計算の上でのことですわね。なによりも……)
ざっと見まわすだけで、取り囲む魔族が取り出している不揃いな武器の数々が目に入る。
(鹵獲された神聖兵装ですわね。それが50以上……!)
それだけの勇士が魔族によって、すでに殺されている。数字のうえでは理解していたことだが、その数字が今、剣となってヴィクトリアの喉元へと突きつけられていた。
――生還は絶望的である。おそらくは、その魔族の一人一人がヴィクトリアと互角か、それ以上の技量を持っている。一対一でも勝ちの目が薄いというのに、単純計算でそれが50倍。
(でしたらなんですの、ヴィクトリア・ドルトーナ! ここであなたが倒れれば、次に倒れるのはシャロンでしてよ!)
ヴィクトリアは生還への道筋が薄くなっていくほど、己の相棒である
「シャロン、神聖兵装を抜剣した後、私から少し離れてくださいませ」
「た、戦うの!? 無茶だよ、ヴィキお姉ちゃん!」
「……一つ、情けないことを言わせていただけるなら。この状況は、まったくもって有利ではありませんわ。ですが安心なさいな。この命に代えてでも、あなただけは無事に学園まで帰してみせますわ……!」
無理でも無茶でも。神聖兵装を授かった貴族には、やらねばならないときがある。
ヴィクトリアにとって、今がそのときであった。
「……あなた方にお聞きしますわ。さきほど、エルシャの名を口にしましたわね? 正直に仰ってください。我が領地を土足で踏み込み、罪なき平民を殺し回った下手人はあなた方で間違いありませんわね?」
エルシャ・カリスト。その名は、ヴィクトリアの故郷を滅ぼした片割れの名だ。敬愛する父を殺し、憧憬した兄を殺し、そして愛し守るべき平民を殺して回った、ヴィクトリアの生涯に焼き付く仇敵の名だ。
「はあ? いちいち殺して回った場所なんか覚えているかっつーの! ああ、でも……その鎧に付いている不細工な猫の紋章には見覚えがあるなあ」
ヴィクトリアの鎧に描かれた、金色の獅子を指さしてアヴリフは笑う。長い墨色の毛髪を二つに結わえた――いわゆる、ツインテールという髪型だ――彼女は、その幼い顔立ちも相まって無邪気に見える。
しかし、その腹の内は魔族相応のどす黒いものがあった。
「あっ、思い出したぁ! これの持ち主がいた領地だ! えー、なに。あんたの知り合い? それとも家族? ごめんねぇ、殺しちゃった!」
「魔装、抜剣」アヴリフが唱え、取り出したのは金色の巨大な剣であった。
眩く、常人には振り回せぬと思わせるほどの金色の鉄塊。湖に入った勇士の心に応じて鍛えられたその業物は、敵の注目を浴びるほどに攻撃力を増す。見る者を鼓舞し、敵を威圧するほどの巨大な刃は、すべて持ち主の後ろに立つ者たちへ危害を咥えさせないという精神の持ち主にのみ、振るうことが許される。
名を
「……ッ! 我が名はヴィクトリア・ドルトーナ! 覚えておきなさい、我が父と我が兄の誇りのため、あなたを討つ者の名ですわ!」
「ぷぷっ、名乗っていないでそこから動いたら? ま、動けないでしょうけど。かわいそー、後ろのガキが足枷になってちゃあね。だからアタシから動いてあげる。感謝しなさいよ?」
シャロンほどではないにせよ、その低い身長からは想像もつかないほどの速さでアヴリフはヴィクトリアとの間合いを詰める。
「ぐうっ……!?」
「ねえねえ、アンタ大丈夫? まだこっちは魔力解放すらしていないんですけど?」
――重い。
(お父様、お兄様……! 申し訳ありません、この非力な私に力をお貸しください……!)
誇りの欠片もない、魔力で底上げされただけの筋力にヴィクトリアは押し負ける。
シャロンを連れてろくに睡眠も取れていないから万全ではない、という言い訳はできる。そもそも魔装を持った魔族が相手では、優れた勇士であっても荷が重い。仮にこのアヴリフを倒すことができたとしても、残る50人もの魔装持ち魔族が控えている。
意味なんてない。この黄金と黄金のぶつけ合いの、そのどちらに軍配が上がろうと。勝つ意味など、ない。
(だからといって――諦めてやる理由にはなりませんわ!)
父と兄、そして領民を殺された恨み。その怒りに身を任せつつ、しかし脳は最後の最後までシャロンが無事にこの窮地を脱するための手段を模索していた。
一度、二度。剣と斧槍を打ち合わせ、筋力では勝ち目がないと悟ったヴィクトリアは技のみでいなし、粘る。一分、一秒。糸のように細い勝機を手繰り寄せるように、失われていく握力を根性のみで持ちこたえながら。
「ムカつくなあ、そのこれっぽっちも諦めていない目。勇者でもないお前らが私たち魔族に勝てるわけないじゃん? せっかく気持ちよく死ねるよう、アンタのパパの武器を選んでやっているのにさあ! ああ、もう! そんなに苦しみたいならお望み通りにしてやるよ。――
金色の精神が、一層の輝きを放つ。
(縦の大振りによる必殺……! 勝機は、ここですわ!)
「
元より図体のデカい自分では、回避は不可能。生半可な防御では、その上から身体を真っ二つにされるだろう。
ゆえに、正解は――!
(左腕など、くれてやりますわ……ッ!)
衝撃が、左肩を切り裂く。痛みも、重さも。今は、この一瞬だけは忘れて。
狙うは決死のカウンターアタック。
「オォォオオオオオオオオオオオオオッ!」
遠心力と、鍛え抜いた己の膂力と、ありったけの魔力と――亡き父と兄と、領民の想いを右肩に乗せて。頼りない握力に活を入れ、最も信頼している相棒をアヴリフの魔核目掛けて振り抜く。
ずしゃり、と。
だが。
「いったーい! とでも言えば満足? アンタみたいな未熟な勇士の力じゃ、私らみたいな一流の魔族の骨と肉を斬ることはできても、この魔核を壊すことなんてできないのよ」
渾身の一撃で魔核にまで迫った一撃は、肝心の魔核に刃を当てて止まってしまったのだ。
(ああ、そんな……。硬すぎますわ。これを、勇者様は砕いていたなんて……!)
全身全霊の、魔力解放まで使った神聖兵装による一撃。ヴィクトリアには、それ以上の火力を持ち合わせていない。左腕を切り落とされた今、あの一撃を超える技など持ち合わせていなかった。
「十分絶望してくれた? じゃあ死ね」
絶望した。勝てないと、骨の髄まで理解した。
それでも、ヴィクトリアの背後には、守るべき
(申し訳ありません、お父様、お兄様。まだ、そちらに参るわけにはいきませんわ)
間一髪。脳天を目掛けて振り下ろされた
「ぐ、おぉぉっ!」
食いしばった口の合間から、苦悶の声が漏れる。無くした両肩の先から吹き出る、夥しい流血。激痛と疲労、そして吐き気――腕2本分と流れた血によって、総重量は減ったというのに。身体は巨岩を背負っているかのように、重い。
「ヴィキお姉ちゃん!」
「来ては、駄目ですわ!」
失血。両腕切断。アヴリフの魔核は破壊不可能。勝機は、ゼロ。絶望するには、十分すぎる。
だが、それでも。
「アヴリフ……ッ! 私には、まだ牙が残っていましてよ……!」
首を断たれるその瞬間まで、父と兄がそうしたように。ヴィクトリアの牙は、執念のみで戦場に立つ。
「はあ。なに、最近の学生勇士はこういう芸でも仕込まれているわけ? ゴキブリみたいな生命力ね」
なんと言われようと、今のヴィクトリアにはもはや関係なかった。
「……ん? え、うっそ。この女、立ったまま気絶しているんですけど!」
剛毅の斧槍に輝きは失せ、虚空を見つめるヴィクトリアに生気はない。
「ぷ、くくく! 見てよ、みんな! これ最高傑作じゃない!? あーあ、ロゼアン様が生きていれば喜んでいただろうになあ」
げらげらとあちこちで笑いが起こる。ヴィクトリアの尊厳を嘲笑し、その中には無残な姿に健闘を称えるような声すらない。
「ここまでしてんのに勇者の亡霊ってヤツは現れないわけよ。変な噂に踊らされなきゃもうちょっとマシな死に方が選べたろうにさ。――それじゃあ、今度こそ死んじゃえ! ヴィクトリア・ドルトーナ!」
はずだった。
「…………は、え?」
まるで、自分がそうしたように。ヴィクトリアが、そうされたように。
アヴリフの右肩から先が、斬り飛ばされていたのだ。
――魔族と人間は、ある例外を除いてそのパワーバランスは最初から決まっている。
「俺を呼んだか? 三下ァ」
その例外が、静かに目を覚ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます