第47話次なる生贄

「いやマジで。自分で火種をまいた上で言うのもなんだけど。私もアンタもかなり危ない橋渡っている自覚あるわけ?」


「はっ。あのお嬢様を助けるためならなんでもするっつったのはお前だろうがよ。危ない橋だろうか石橋だろうが、叩いて渡る時間はねえ。せいぜい崩れないよう祈りながら走り抜けようぜ?」


「そんな度胸ねえっつの……! 次はマジで死ぬわ!」


「なぁに、案外死んでも別のゲームに転生するだけかもしれないだろ。今度はほのぼのとしたゲームの世界かもな。おっと、次はそんな噂でも流してみるかァ? のモニカお姉ちゃん」


 息を吸えば夜の風が、冷たい空気を肺に運ぶ。ガレリオ魔法学園の女子寮、その屋上。薄暗い夜の闇、金色の瞳が怪しい光を灯しながらモニカを見つめていた。


 今、ガレリオ魔法学園に蔓延る噂の発生源は、一人の劣等生が魔族の隙をついて流布したものであった。「聖都周辺で魔獣狩りを行っているのは勇者の亡霊である」というものと、「勇者の亡霊が聖都の周りに出没するのは学園に魔族が潜んでいるから」という、二つの噂だ。


 この噂はシャロンによって流されたものではない。カルラの監視下にあった彼女は、狡猾に従順で可愛げのある子どもの皮を被っていた。


 その代わりシャロンの近くには彼女の手足となって働く、魔族が誰一人として脅威と見なしていない哀れな劣等生がいたのだ。


 ……早期に噂の発生源を特定しようと魔族が動いていれば、このような結果にはならなかっただろう。


「いやぁ、満足に動けない俺とは違ってレギオンの奴はハッスルしてんなァ。お陰でお前のフォローをするまでもなく噂に真実味が増して助かるぜ」


 この1か月、幸運の女神が微笑んでいるかの如く、状況はシャロンにとって好都合に転んでいた。


 そのうちの一つ。シャロンが逃した、計22人の人間を素材にして作り上げられた超人レギオン。その存在が今、壁の外で魔獣と魔族を狩り殺していたこと。


 その状況が学園を支配している魔族に大きな隙を生んだ。勇者の亡霊か、あるいは噂か。まるで意図したかのような、内と外からの波状攻撃に魔族たちは後手に回ってしまったのだ。


「……本当にね。こんなにあっさり広まるとは思わなかったわ」


「危機感を煽るようなものや、誰かにとって不都合な噂は簡単に広まるもんだろ。森林火災と一緒だ。当然、消すのは大変だが……俺たちには関係のない話だしな? くくく、こっちがゆったり風呂に入っている間も火消しに勤しむ連中がいるって想像するだけで気分がいいぜ」


 七歳の子どもとは思えない、嗜虐に満ちた邪悪な笑みを浮かべながら、シャロンは足を組んで木製のベンチに仰臥する。


 シャロンの言う通り、彼女を監視しているカルラは日に日に衰弱していた。いや、カルラだけではない。学園内で潜伏している魔族たちは、その大半が不調をきたしていた。


 分からんでもない、とモニカは溜め息を吐く。魔族にとって相手は格下の有象無象の人間とはいえ、常に疑いの目で見られるのはストレスだろう。


 壁の外には勇者の亡霊、学園の中は疑心暗鬼に囚われた学生勇士。当然、魔族は一人として見つかってはならない環境だ。紅魔臣レベルでもなければ、この環境は真綿で首を絞められているようなものだろう。


(ストレスフルにもほどがあるわ。一人見つかれば芋づる式で魔族は見つかるからね……。原作でも魔族キャラは仲が良かったし)

 

 冷静に普段の言動を心掛ければ、魔族にとってもこんな噂など毒にすらならない。なにせ、魔族が変身に割く魔力を切らすか、身体能力を十全に発揮するために変身を解除しない限り、魔族が己の魔核と角を晒すことはないからだ。

 

 人間にとってもこの状況は好ましいものではないだろう。リナやヴィクトリアですら動揺したように、味方を疑わなければならない環境は、常に死と隣り合わせの学生勇士の精神を大きく削っていた。


 噂を流すだけでもハイリスクであった。見つかれば、「学園の風紀を乱した」と反省室送りにされるだけで済むはずがない。それで得られるものは、人間が他者を疑い、魔族が化けの皮を剥がされまいと怯える地獄だ。


 そんな地獄を望むのはたった一人——この悪魔だ。

 

「楽しくなってきたぜ。次は魔族どもの机にラブレターでも置いてみるか? お前を見ているぞ、ってなァ」


「さすがに無理よ! あんたレベルの隠密スキルなんて無いんだからね!?」


「けっ。使えねぇな」


 まるで、玩具の銃から弾丸が発射されないことに失望した子どものように、「はぁ」とシャロンは溜め息でモニカを評価した。


「ま、いいさ。一か月、じわじわ痛めつけた甲斐あって、噂の火消しに失敗した魔族どもが悪手を打ってくれそうだからな」


「……悪手?」


 この悪魔が喜ぶことなんて大抵ろくでもないことだ。嫌な予感を覚えつつも、しかしモニカは聞かずにはいられなかった。


「ああ。なんでも噂を払拭するために大きめのバッドニュースで上書きするらしいぜ? ヴィクトリアの死でな。おお、怖いねえ」


 さして寒くも、ましてや怖くもないくせにシャロンはこれ見よがしに身震いしてみせる。


「は、ちょっ、はあ!? 話が違うじゃない!」


 寝耳に水だ、それに話が違う——ヴィクトリアを助けるためにこの一か月間、魔族に睨まれる危険を犯して噂を流し続けたモニカにとって、あんまりな結末であった。


「ま、ネズミを追い詰めすぎたな。頑張り過ぎだぜ? モニカさんよ」


「アンタがやれって言ったんでしょ……! ど、どうすんのよっ!?」


 夜の闇の中で浮かぶ金色の瞳は、薄気味悪い笑みを浮かべるばかりだ。これっぽっちも悪いと思っていない、それどころかモニカの狼狽ぶりを見て笑っている始末だ。


 こんな悪魔と契約した自分が悪い——ヴィクトリアやリナのような、懸命に生きる人間だけは見捨てないと見込んだ己の目の節穴ぶりに、モニカは膝をつく。


「こうして猫は噛まれましたとさ。窮鼠ってやつはなにするか分かったもんじゃねぇな。だがまぁ、モニカ。テメエは運がいい!」


「なにがいいってのよ……!」


「テメエの目の前にいるのは猫じゃなくて勇者なんだぜ? 連中、勇者の亡霊を炙り出すために、あのお嬢様の処刑に俺を連れ出すんだとよ! くくく、とは贅沢な話だよなァ?」


 女神はまだ微笑み足りないようだ——モニカは指の先が冷たくなるのを感じた。


 状況は転がってゆく。すべて、シャロンの思い描くように。月の光で煌めく銀髪の奥から、金色の瞳がゲラゲラと笑っている。


「俺のアルカナウェポン玩具に手を出すんだ、噛む暇なんて与えねえよ。徹底的に叩き潰すに決まってんだろ!」


 悪魔はまだ、魔族の血を求めている。

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