第48話指さす侵入者

 静謐と暗闇に覆われた、ガレリオ魔法学園において最も深き場所。聖堂の地下において、紅魔臣の許可なくして足を踏み入れることのできない場所がある。


 地下聖堂――その存在を知る人間は、この学園にいないだろう。


「……学園に魔族が潜んでいる、という噂が流れているのは知っているわよね」


 ナターシャ・フリッガ改め、エルシャ・カリストはバニスとカルラをじっと見つめ、肯定以外を認めぬと言わんばかりに言葉を続ける。


「さて、この状況はどういうことかしら。カルラ・レノン?」


 その矛先は、まずカルラに向いた。「管轄外です」たとえエルシャの叱責が理不尽なものであっても、そう口にする度胸はカルラにない。蛇に睨まれた蛙のように、口をぱくぱくと開いては閉じ、返答の言葉を選ぶことで精一杯であった。


 カルラの命など、エルシャの機嫌一つで吹き飛ぶ。椅子やテーブルが配置されているとはいえ、大立ち回りに不便しない広さが確保されている地下聖堂だが……出入口が一つしかないこの空間において、エルシャの魔装と比べれば静かなる嗜虐心サイレント・サディズムなどつまらない玩具だ。


「……エルシャ。責任は俺にある。カルラを責めないでやってくれ」


「あら。私は責任の所在を聞いているつもりはないわ。それともバニス、貴方ならこの状況についてなにか分かるのかしら?」


「残念ながら。分かっていれば対策していたさ。ただ、勇者の亡霊が外で好き勝手やっているのとこの噂の流布……偶然じゃないだろうな」


「シャロンとヤツの繋がりは確定しているのでしょう? ……なら、シャロンがなにかをしたとか?」


 再び、エルシャの視線がカルラに向く。


「いえっ、一か月前のあの一件から彼女の監視を強化していましたが、それらしい行動はしていません。報告のため彼女から目を離している時間は、ルームメイトと一緒にいたようですし……勇者の亡霊と接触していれば、もっと大事になっているかと」


「大事に、ね。これ以上の大事があるかしら?」


 魔族がこの学園を手中に収めて以来、初めての窮地であった。失態、と言い換えてもいい。壁の向こうで暴れている勇者の亡霊に気を取られ、エルシャの耳に入る頃には誰が最初にその噂を口にしたのか、もはや見つけることなどできなくなっていた。


 愛する妹の仇が目と鼻の先にいるというのに、手を出せないエルシャにとってみれば……これは耐えがたい屈辱に他ならない。普段は理性的に振る舞う彼女も、今はこの失態を招いたバニスの部下に当たり散らさないよう自制するだけで精一杯であった。


「エルシャ」


「分かっているわ。勇者の亡霊に一杯食わされている。この状況だけは認めなくてはならないわ。……バニス、貴方なら対抗策を考えているんでしょう?」


「ないわけじゃない、が。シャロンを危険に晒すが、構わないか?」


「死ななければ問題ないわ。おあつらえ向きに、あの子の神聖兵装は頑丈さが売りのようだし」


 亡きロゼアンに捧ぐシャロンを餌にするのは、少しばかり心苦しいが。一分、一秒でもあの勇者の亡霊が壁の外で徘徊している事実がエルシャには耐え難かった。


 その痛みを慮ったバニスは、ある一つの策をエルシャに告げる。


「シャロンを餌に亡霊をおびき出し、そして学園の噂を消す――には至らなくとも。別の大きな出来事で上書きすることはできる。成績がいいか、あるいは人望のある学生勇士を一人、シャロンの目の前で殺せばいい。これで学生たちが噂にかまける暇はなくなるだろうし、現場に亡霊が現れればなおよしだ」


 バリーとナンナの一件は不意を突かれたゆえの結果だ。万全を期した伏兵の前に亡霊をおびき出せば、確実に仕留められる。そうでなくとも、学生勇士一人の命で魔族たちにとって都合のいい混乱を学園内に招くことができるのだから、この一手を打たない手はなかった。


「そう。それで、そこまで言い切るということは計画は煮詰まっているのね」


「ああ。このリストに書かれているヤツから選んでくれ。どれを殺しても一定の結果は出る人間だ」


 そう言って、バニスは一枚の紙をエルシャに渡す。そこには将来有望な勇士の卵たちの名前が連なっている。


 ――どの人間も将来、魔族にとって脅威になり得る人材だ。若い芽のうちに摘むべきだが、雑草のように抜くわけにはいかない。慎重に、丁寧に。人に怪しまれぬよう、任務の失敗という形で殺さなければならないのが面倒だが。


 このような紙を渡されるまでもなく、才ある人間の名前と顔はエルシャも覚えている。今、一番殺しておくべきはリナ・サンドリヨンだろう。ナンナの魔装を奪い、不必要に育ってしまった彼女が最有力候補だった。


 リストに目を落とし、その名前があることをエルシャは確認する。


「そうね。それなら――」


 リナ・サンドリヨンにしましょう。そう言おうとしたエルシャの口が、不意に止まった。






 なぜなら。何者かの小さな手が虚空から伸び、その人差し指がヴィクトリア・ドルトーナの名を指していたからだ。






「な……ッ! 侵入者よ!」


「ッ!?」


 指示を聞くよりも早く、バニスは己の魔装をしていた。


 それは、黒と白で彩られた非対称的な二丁の回転式拳銃であった。名を葬送の十三サーティーン。大アルカナにおける、死神を象徴したアルカナウェポンであった。


 ――どこにいる。目視した限り、この部屋にいるのはエルシャとバニス、そしてカルラ。どこを撃てばいい。なにを撃てばいい。引き金に指をかけながら、バニスは自分には見えないなにかを見たエルシャに瞳で訴える。


「撃ちなさい、バニス!」


 しかし、エルシャもまた標的を見失っていた。


「生け捕り無用の乱射一択か、分かりやすくていい!」


 葬送の十三サーティーンの性能は、文字通り命を奪うことにのみ性能を発揮する。壁の裏に隠れていようと、その弾丸は標的に命ある限り向かっていく。シンプルな性能ゆえに強力無比であり、魔力によって生成される弾丸は紅魔臣バニスの無尽蔵に近い魔力によって絶え間なく発射される。


 その標的を目視できなかった状況で、発射された弾丸はこの場の三人以外の命に見境なく向かって突き進む。天井や壁に引っ付いていた虫が主な標的だった。


「きゃあああああああああッ!?」


 当たらないと分かっていても、轟音に近い発砲音と天井や壁を跳弾する弾丸にカルラは情けない声を上げてしまう。紅魔臣であるエルシャとバニスは、弾丸の行く先を冷静に見極め――そして最初に、バニスが溜息を吐いた。


「まったく、可愛い侵入者だな。気を張り過ぎだ、少し落ち着け」


 そう言って、バニスは銃口を撃ち殺されたネズミの死骸に向ける。彼が感じた手応えの中で、一番大きな獲物はこの薄汚れたネズミ一匹だけだった。


「……ええ。そうね、探知に引っ掛かった反応はないし、なにかをきっと見間違えたのね……」


 見渡そうが、どこを探そうが。あの小さな手はもうどこにもない。見えたのも一瞬だけであったし、見えたのも手首から先だけだった。深呼吸をして、再びリストを見直しても……やはり、あの手は現れない。


「…………」


「話を戻そうか。それで、次に殺す学生勇士は決まったか?」


 冷静に考えれば、やはりリナ・サンドリヨンだろう。しかし、エルシャはあの手に幻覚以上のなにか意味があるような気がしてならなかった。


「そう。そうね。それじゃあ……ヴィクトリア・ドルトーナにしましょう」


「……ヴィクトリアか? リナじゃなくて」


「あら。不満?」


「まさか、少し意外だっただけだ」


 鬼が出るか蛇が出るか。あの手がなぜ自分の目の前に出てきたのか。幻覚なのか、それとも亡霊の罠なのか。


 罠だというのなら上等である。それを踏み抜いたうえで、追い詰めてみせる。必ず亡きロゼアンへの懺悔を吐かせ、己の行いによって決まってしまったシャロンの凄惨な未来を語り聞かせ、そして殺してやろう。


「勇者の亡霊を生け捕りに――いいえ、確実に殺せるだけの戦力を集めてちょうだい。私の兵士も使って構わないわ。お願いね」


「仰せのままに。女王様」

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