第46話疑うということ
シャロン・ベルナは物分かりのいい子どもだ。子どもだというのに、リナやモニカに物怖じすることなく率直な意見を口にする。そこに生意気な態度はなく、あるのは万人が絆される愛嬌だ。……モニカに対しては、少々小馬鹿にしている節があるが。
どんな相談でも嫌な顔をせず、どんな下らない話でもベッドの中で付き合ってくれる――それはまるで、できのいい妹を持ったような錯覚さえリナは抱いていた。
「ふぅん。その噂、本当だったら怖いね! だって、この学園ってお姉ちゃんたちみたいに強い勇士を育てる場所なんでしょ? そんなところに魔族が紛れているって、とっても大変な状況だよね?」
「え……? それは……」
もしもこの噂が真実であれば、大変などという言葉だけでは片付けられない。勇者という奇跡を使い潰した今、人類がすべきことは新たな勇者が出ることを祈り、聖剣を生み出す湖を死守すること。
この学園に魔族が潜んでいる――それはつまり、この世界に生きる全人類の心臓が魔族に握られていることと同義である。
「最近、上の空で私の斧槍を受けているかと思えば。リナさん、そのような根も葉もない噂に惑わされてはなりませんわ。平民の間でつまらぬ風聞がしばしば流行するのは世の常ですが……。私の武勇伝を語るならともかく、味方の士気を下げるような……いえ、それどころかシャロンを怖がらせるような噂を流すなど感心しませんわね」
モニカの強張った身体をマッサージと称し、関節技一歩手前の力業で解しながらヴィクトリアはリナを窘める。
「いっででででぇっ!? ヴィ、ヴィクトリアさん!? 私の肩で生命の神秘に挑むのはやめっ、ぃでぇええええええ!?」
「こっちの平民は大げさですわね……。勇士たるもの背中で手を組むくらいはできませんと。リナさん、あなたも冷静に考えなさいな。あの魔核と角が生えている限り、人と魔族を見紛うことはありませんわ。仮に見落としていたとしても、魔族が学園内に潜んでいるのなら、なんの事件も起きないのはおかしいでしょう?」
噂を否定する材料としては、ヴィクトリアの指摘は十分すぎるものであった。人を見れば襲いに来る魔族が、己を殺すための武器と技を磨くガレリオ魔法学園で何一つ行動を起こさない理由がない。
安全の保障されていない壁の外では、学生勇士の死傷は数えるほどではあるものの発生こそしているが……それは成績優秀者の驕りと慢心からくる油断が原因だ。
ここ最近の大きな被害などバリーとナンナの一件くらいだろう。あとは、しばしばシャロンが無茶な特訓で怪我をすることくらい。決して平和とは言えないが、しかし魔族が学園内に潜んでいるとするならば、この静けさは説明がつかない。
リナが学園内に魔族が潜んでいる、という妄言にも似た噂を信じる根拠は憶測と勘のみ。あの虫の魔獣に、たった一つの魔核があったという不確かな理由だけだ。
「最近では勇者の亡霊なる存在が魔族や魔獣を狩っている、などという真偽も不確かな噂がまことしやかに囁かれていますのに。勇者様の死から平民たちの心は不安定になっていますわ。ねえ、モニカさん?」
「いや平民代表みたいな感じで振られましても……。でも、火のないところに煙は立たないって言いますし。信憑性はともかく、根も葉もないってことはないんじゃ?」
「はあ。高貴なる者の視座に至れ、とまでは言いませんが。平民であっても勇士としての心構えは必要でしてよ。モニカさん、あなたは筋肉を鍛えなさい。そうすればくだらない噂になど惑わされなくなりますわ」
「なぜそこで筋肉……!?」
筋肉は重要だった。しかし、今重要なのはそこではない。
「ヴィキお姉ちゃん。私が学園に来る前にドルガー村……ほら、リナお姉ちゃんの村が魔族に襲われた話は知っているでしょ? あの事件についてあまり話すと色々な人が困るから、ってフリッガ先生に言われていたから黙っていたけど……。あの魔族、人間の姿に変身していたから。やろうと思えば、侵入くらいできるんじゃないかな?」
「……なんですって?」
「多分、フリッガ先生に付いてきた学生勇士の人が流した噂だと思う。人間に化ける魔族なんて聞いたことなかったみたいだし。それにほら、ガレリオ魔法学園って卒業は難しいけれど入学は簡単でしょ? だから噂にも真実味があるんじゃないかな」
「…………」
黙考と、長考。リナもまた、ヴィクトリアと同じように噂の真偽を判断するために思考する。
しかし、考えれば考えるほど、その真偽は霞の中へと消えていく。真実も嘘も、信じてしまうのは簡単だが――そのどちらも信じるには危ういものがあった。
「……いえ。背中を預ける仲間を疑うなどできませんわ」
その思考に一歩早く踏ん切りをつけたのはヴィクトリアだった。学園内に魔族が潜んでいる、その噂を信じるということは仲間を疑うということだ。
リナもヴィクトリアも、疑うことを知らないほど愚かではない。そして、疑い続ける苦しさも。壁の外で魔獣や魔族と相対したとき、その身を危険に晒しながら背中を預ける味方を疑うなど、とても正気ではできないだろう。
仲間を信じる。なにひとつ疑わない。それはヴィクトリアの美徳であり、大きな欠点でもあった。
「それに、もし万が一私たちに魔族が紛れていても問題ありませんもの。なにか行動を起こせば、すぐさま私が斧槍の錆にして差し上げます。ドルトーナ家の名にかけて、犠牲者は一人として出しませんわ」
しかし、その欠点は絶対の自信と矜持でねじ伏せる。ヴィクトリアにはそれが可能であった。
「強いね、ヴィクトリアは……」
同い年でありながら、ヴィクトリアの精神力はクラスの中でも比類なき強靭さがある。ただの村娘だったリナには無いものだ。ヴィクトリアの燦然と輝く気高さが、つまらない噂一つでモニカやシャロンを疑えてしまう自分の情けなさを浮き彫りにした。
「リナさん。他人事のように言わないでくださいませ。信じることが強さなら、疑うこともまた強さですわ。あいにく、そちらは私の領分ではございません。あなたの背中は守りますから、リナさんは存分にご自分の長所を活かしてくださいませ」
対し、ヴィクトリアもまたその欠点に自覚はあった。最初から最後まで信じる、というのは聞こえはいいが、それは思考の放棄に他ならない。
だから、「この平民になら裏切られてもいい」と思える人間を、ヴィクトリアは見つけていた。それがリナであった。
リナが「疑い」、ヴィクトリアが「信じる」ことで、ひとまずこの噂に対応する――それが、学園内の実力者二人が出した結論であった。
しかし、この場には「信じること」でも「疑うこと」でもなく。ただ「噂が流れていること」自体を重視している人間がいた。
「まあ、噂が嘘か本当かどうでもいいよね! なにせ、こっちにはリナお姉ちゃんとヴィキお姉ちゃんがいるんだもん。でも二人とも、これだけは忘れないでね?」
こういうのって、相手の嫌がることを徹底的にした方が勝つんだからね。
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