第38話進む地獄、止まる地獄

 リナの行動は早かった。昆虫の化け物と化したナンナを敵と認識するや否や、正義の両断剣ジャスティスを構え吶喊する。


 ――どうするべきだ。ナンナを助ける? 無理だ、融合剤ソーマで合体した対象を元に戻す技術は存在しない。ボイドもまた、苦虫を噛み潰したような表情で次の行動を考えあぐねている。


(私たちも攻撃の対象にしている時点で、ナンナにもう理性はない……! バリーも虫になっている、なんてことはないわよね!?)


 想像は最悪なものばかりが連想された。ナンナたちがいたチームの安否はどうでもいいが、バリーの状況は気掛かりであった。融合剤によって生み出された人間が、想像をはるかに絶する強力な個体であった? だとしても、その場を凌ぐためにナンナが自身に融合剤を打つなんて考えられない。それも、虫を素材にするなんて。


(まさか……誰かに融合剤を奪われ、注射されたの? いや……でも、だとしたらそれは――)


 月明りのない闇夜の暗影から、まるで怪物がじっと自分たちを観察しているような予感。バニス様の想定通り、勇者の亡霊は学園のすぐ近くにいるとでもいうのか。もしもロゼアンを殺害した犯人がナンナをこのような姿に変えたというのなら――その牙は必ず、自分たちにも剥かれる。


「ぼーっとするな、カルラ!」


「……ッ!」


 もはやリナを不慮の事故で殺すことなどできない。自我を失ったナンナを相手にする以上、リナという戦力は必要不可欠だ。


 では、このナンナをどうするべきか。部下を失うことに忌避感を抱くバニス様を思えば助けるべきだ。……しかし、その手段がない。


 ならば放置するか? それこそありえない。人間の街などどうなってもいいが、ガレリオ魔法学園まで破壊されるわけにはいかないからだ。そのうえ、リナを置いて逃亡はできない。これは決してリナの身を案じているわけではなく、ナンナが彼女に殺されてしまった際に勇者の亡霊の手掛かりを失ってしまう恐れがあるからだ。


 ……やるしかない。ここで変にまごつけば、リナに疑われる。


「覚悟は決まったか!?」


「一応ね……! そういうアンタは!?」


「できるわけないだろ! だが……それ以外に選択肢はなさそうだからな……!」


 変わり果てたとはいえ、今から私たちは仲間を殺す。私もボイドもそんな覚悟をする暇なんでなかった。


 進んでも地獄、止まっても地獄。ならば、少しだけでもマシな地獄を選ぶしかない。仲間殺しの汚名は、必ず勇者の亡霊を屠ることで雪いでみせる。


 ——だからごめん、ナンナ。亡霊を殺すために、アナタを殺すね。


 先陣を切ったリナに続いて、ナンナの攻撃範囲に侵入する。瞬間、ゾッとするほどの敵意が私とボイドに向く。


「カルラ、ボイド! コイツ図体の割に硬くて速い! 気を付けて!」


 一足先に刃を交えていたリナの端的で簡素な報告に、思わず舌打ちで返してしまう。リナの正義の両断剣で硬い、なんて感想が出てくる相手では、まず私の静かなる嗜虐心サイレント・サディズムでの攻撃は通らない。


「俺があの装甲を剥がす! カルラはその足で注意を引いてくれ! リナ、トドメを任せるぞ!」


「それしかなさそうね……!」


「了解、魔法での援護は任せたからね! カルラはちょっと危ないけど死なないでよ!」


 あのナンナにトドメを刺せ、と言われ逡巡する間もなく快諾とは恐れ入る。


 勘違いしていた。最初から怪物と化したナンナを殺せるという大前提が大間違い。


 ——下手をしたらこっちが殺される。


 融合剤の投与された対象の魔力に比例してデカくなる図体からわかる通り、元々のナンナの魔力は優秀であった。あの馬鹿みたいに魔力を消耗する愚者の曲刀ザ・フールを使い熟していたんだ、魔力量だけならバリーの次に高い才能があっただろう。


 そこに昆虫型の魔獣が融合している。装甲は厚く、そして硬く。ずんぐりむっくりとした図体の割には、動きは機敏だし角も尾先の針も見るからにヤバいだろう。


 リナはそれを身体の微細な動きで回避し、私もまた自慢の機動力で避ける。それも、ボイドに注意が向かないようにギリギリのところで。


 弱音を吐かせてもらえるなら、あと一手でも詰められたらこの均衡は崩されるだろう。短期決戦による早期決着。それだけ、このナンナはヤバい相手だった。


「ファイアボールッ!」


 ボイドの魔装、魔術師の杖ザ・マジシャンは魔力補助型の兵装だ。これ単体に攻撃力は存在せず、所有者の詠唱する魔法の火力を高める。


 炎の乱射乱撃がナンナに向けて放たれる。効果、あり。しかし肉に致命打は与えられていない。装甲部には物理適性があり、その下には魔法適性があるみたいだ。


 やはりボイドが装甲部を魔法で攻撃し、リナが致命打を与えることが最適解になる。その隙を私が足で無理矢理作る——言うだけなら簡単だ。


 来てしまったのだ。私たちを詰めるための、その一手が。


「おいおい、嘘だろ……!」


 ナンナの腹部が盛り上がり、なにかが。ボイドの絶望に満ちた言葉が、やけにはっきり聞こえた。


 リナの剣戟とボイドの魔法、私の陽動。それら全てを渾身の力で叩き込み、辛うじて保たれていた均衡が容易に崩される。


「クソッ! 雄なのか雌なのかはっきりしなさいよ!」


 産卵管。それもただの出産じゃない。生まれ落ちた卵は即座に割れて、中から母を守るべく子どもたちが羽ばたく。


 兵士だ。人間の赤子ほどの大きさだが、その容姿は羽のついたムカデ。それが生まれた先から私たちへと向かって飛んでくる。 


「カルラ!」


 無数の羽音の中から、リナの声が響く。リナの奴、この雑魚の相手を私にしろって言いたいの!?


「無茶言わないで! こっちは陽動だけで手一杯なのよ!」


「違う、避けてッ!」


 。ナンナはバリーが隠者の角灯で動きを止めた相手にトドメを刺す戦法を好む。それをこの子分で代用しようというのか。


 ステップを踏み、大振りの針による攻撃を回避する。至近距離で足を止めたせいで、最初のターゲットになったのは私。


 では、次に足を止めるのは——!?


「ボイドォ!」


 私の警告とほぼ同時。いや、


 魔法を使うときは、頻繁に足が止まる。だからこその陽動だ。私の不出来な行動を咎めるように、ナンナは空振った尾先の針をボイド目掛けてしたのだ。


「うおおっ、あぶね……! 次はないぞ、こりゃ! ははは、いよいよ笑うしかなくなってきたな……!」


「そんな場合じゃないでしょ! 状況、分かってんのよね!?」


 辛うじて回避に成功する。間一髪、左腕の服の袖を掠めただけだ。……ここで私かボイドが死ねば、リナに私たちの正体が悟られてしまう。そんなことになるくらいなら逃げた方がマシだ。


「分かっているさ。だから、短期決戦しかない! コイツで止まらなかったら俺を担いで逃げてくれよ?」


「失敗したときのことなんか考えないでよ! リナ、まずは角の赤い石を狙って!」


「赤い石……? あれね、了解」


 作戦は決まった。いや、作戦と呼べるような代物ではないだろう。


 ボイドの魔力解放ブーストによる強化された魔法で、ナンナの装甲を剥がし角の魔核と肉体をリナが屠る。その隙は、命懸けで私が作るだけだ。


魔力解放ブースト、ファイアボールッ!」


 一層、大きな火球の連射がナンナの硬い装甲を融解する。


 合わせて、ナンナまでの道を私が作る。彼女が生み出した兵士を可能な限り蹴り殺す。


魔力解放ブーストッ!」


 重ねるようにリナも正義の両断剣を魔力解放する。煌めくような金色の光を剣が纏う。――次はない。リナの魔力解放はこの状況では虎の子であった。ここで決め切らねば、お荷物が二つになる。


 しかし、リナ・サンドリヨンはいつだって期待を裏切らない。


「決め切る……!」


 踏み込み、跳躍する。まずは角の魔核を角ごとへし折る勢いで切りつけ、そして二撃目をがら空きの胴体に叩き込む。


「―――――――ッ!」


 声にならない断末魔の叫び。この場の誰もがナンナの絶命を確信する。


「リナ!」


「大丈夫、スキルが上がったから。……この虫は死んだよ」


 沈痛な面持ちなのは、おそらく手に入れたことで知ってしまったのだろう。愚者の曲刀ザ・フール。ナンナの魔装を取得したということは、私たちと把握できる情報に違いはあるが、ナンナの死を察することはできたはずだ。


 辛勝に感慨はない。ナンナを殺してしまったこと、こんな姿で死んでしまった彼女への憐憫。そして、勇者の亡霊に対する怒りと恐怖。


「ごめん、ナンナ……!」


 リナに聞こえぬよう呟く。問題児であったし、なにかと鼻につく子ではあったけれど。それでも、仲間であった。バニス様の部下であり、殺したいとまで思うことはなかったのに。


 殺してしまった。トドメを刺したのはリナ、という言い訳は通じない。


 部下殺しという汚名に苦しむバニス様の気持ちが今ならよく分かる。これは……あまりにも……!


「……デカブツを殺して感傷に浸っているとこ悪いが。二人とも、あの合成獣はまだ死んでなさそうだぞ」

 

 青白い表情のボイドが、震える声で現実を叩きつける。


 感傷に浸る暇なんてない。ナンナだったものの死骸の中で、なにかが蠢いていたのだから。


 地獄はまだ、私たちの足を離そうとはしていなかった。

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