第35話骨折り損

 なぜ、隠者の角灯ハーミットの影響を受けていながら、シャロンは動けるのか。その疑問の解決をする暇などナンナにはなかった。


 許されたのは防御行動のみ。それも間一髪のところであった。シャロンの右拳を咄嗟に左腕全体で受け止める——そのあまりの衝撃に顔を歪めつつも、ナンナは反射的にシャロンを蹴り飛ばした。


「……ッ! バリーッ!!」


 堪らず相棒の名前を叫ぶ。その意味するところをバリーは瞬時に理解していた。


「いいや、隠者の角灯ハーミットは効いているはずだ! これは……!」


 言い訳をするつもりはない。状況を十全に理解しているからこそ、バリーもまた目の前で起きた現象に驚愕していた。


 隠者の角灯ハーミットの効果は、その光を見た者の動きを制限するというもの。代償に使用者にも同等の負荷が掛かる諸刃の剣だ。その欠陥を補うため、バリーは常にナンナと行動を共にしていた。


 バリーが敵に負荷を掛けてナンナが狩る。先手さえ取ってしまえば、必殺ともいえる理不尽なコンビネーションなのだが。


(動きが止まってなきゃ意味ないでしょ!)


 ナンナの文句は当然とも言えた。なぜならシャロンの身体は毛ほども動きを鈍らせていないのだ。これが意味する恐るべき現実を、ナンナもバリーも認めざるをえなかった。


隠者の角灯ハーミットの影響下でも問題なく動ける膂力と敏捷性……!? 冗談じゃないんですけど!)


 あってはならない、ステータスの暴力。辛うじて受け止めたシャロンの一撃も、隠者の角灯抜きで受けていたらどうなっていたことか。

 

「気をつけるんだ、ナンナくん。この実力だとカルラくんの報告書もアテにならないぞ!」


「酷いなァ、バリーセンパァイ! カルラ先輩はじっくり200回以上蹴って確認したんだぜ? 信憑性はあるんじゃねぇかなァ!」


「ははは……! 駆け引きは年相応に下手で助かるね! その一言で、カルラくんが無駄骨を折ったことは理解できたよ!」


 バリーは動けない身で、この状況に貢献すべく最善を尽くす。ヒビの入ったメガネを掛け直し、恐怖を打ち消してシャロンを観察した。


 ——どこまで知っている? あの口振りからして、学園に魔族が潜んでいることを前提に行動していただろう。ただの人間なら魔族の巣窟に踏み込む理由がない。


「駆け引きィ? 駆け引きってのはよォ、実力が拮抗しているか、格上に使うもんだ。テメエらごときに駆け引きなんざ必要ねェんだよ!」


 挑発には流されない。ただ冷静にバリーは状況を俯瞰する。


 ——では、なぜその愚を犯して学園に訪れた? 神聖兵装の入手、および魔族の暗殺。状況だけみれば、その目的は果たされているが……たかだか七歳の女児にそれが可能とは思えない。この異常な身体的スペックは、どのように説明する?


「……魔装抜剣ッ! 畳み掛けるからマジで力緩めないでよ、バリー!」


 ——待て。



 



 悪寒が、確信に変わった。


「ナンナくん、この一瞬で全力を叩き込めッ! コイツは——!」


 勝機があったとすれば、今、この一瞬。こちらを侮り、神聖兵装を抜いていない今が、最初で最後のチャンスであった。


 しかし、


「はは」


 小さな邪悪が、嗜虐に酔いしれたように嘲笑う。




「当たりだ、バリー。そんじゃまあ、答え合わせの時間と行こうぜ?」




 聖装抜剣。シャロンによって抜かれたのは無垢なる暴虐イノセント・バイオレンス——そして鉄槌の処女ハンマー・メイデン


「な——!?」


「やはりか……!」


 ナンナは驚愕し、バリーは思わず舌打ちした。


 鉄槌の処女ハンマー・メイデン。それは生前のロゼアン・カリストが所有していた魔装であり、現所有者は彼女を惨殺した勇者の亡霊である——学園に潜む魔族であれば、誰もが知っている。


 同時に、紅魔臣のみが交戦を許可された勇者と同等の敵性存在。


(接触した場合、ただちに存在を紅魔臣に報告しろ、って話だけど……!)


 逃げられるのか? ナンナは可憐で幼気な少女を前に、尋常ではない汗を流しながら思考する。


(どうすればいいの……!? バリーは|隠者の角灯で動けないし、彼の援護がなければシャロンの化け物じみた身体能力が元に戻る……! そうなったらいよいよ私の手には負えなくなる!)


「くそォッ! 魔力解放ブーストォ!」


 ちりちりと神経を末端から焼き焦がすような、この殺意を前に根を上げてしまったのはナンナであった。


 勇士であっても、魔族であっても。言うまでもなく聖剣、あるいは魔装の魔力解放ブーストは切り札である。魔族はその切り札を使わないことが当然であったし、人間相手に使うことなど考えもしなかった。


 だが、ナンナは使用した。それも、恐怖に押し負ける形でだ。


 ナンナの魔装、愚者の曲刀ザ・フールは攻撃性能だけを見れば、ただの曲刀である。しかし、その真価は膨大な魔力の消費を対価に見ることができる。


「あ? はっはっは! おいおい、なんだよ! 最後っ屁に面白いもん見せてくれるじゃねェかよ! え? ナンナァ!」


「そいつはどーも……!」


「いやいや、これでも褒めてるんだぜ? なんせ——テメエを13回も殺せるんだからよォ!」


 愚者の曲刀ザ・フールの特異な性能。それは、12体の分身を作り出せることにある。そのどれもが、なにより


「バリー! 私の分身が引き付けているうちに早くッ!」


「……いいや。この状況であってならないことは、私ときみがシャロンの正体を同胞に伝えられないことだ! 悪いがここは格好付けさせてもらおうか!」


 そう言うや否や、バリーもまた己の魔装に魔力を込める。

 

「な、ァ……!?」


 あれまで余裕綽々と言わんばかりだったシャロンの表情に、初めて驚愕の色が浮かんだ。ずしり、となにかが覆い被さるような見えない重さに片膝をつく。


「バリーッ!?」


「いいから行くんだ。……格好悪いことを言わせてもらうなら、早めにバニス殿を呼んでくれ! あまり長いこと保ちそうにないからね!」


 バリーの服の袖からぽろぽろと溢れるのは、魔族の肉体だったもの。過度の魔力行使による、塵化がゆっくりとバリーの肉体を蝕んでいたのだ。


「……ッ。必ず、必ず戻ってくるから……!」


 その覚悟を見届けて。ナンナは森の外へ出るべく駆け出していった。


「おいおいおいおい……! こんなクソ茶番を見るために出張ったんじゃねェぞ! ナンナァ! 今すぐ戻って来やがれ! バリーがどうなってもいいのか、このアバズレがァアッ!!」


「……いやまったく。斬られながらも威勢が衰えないとは。七歳児に化け物が乗り移ったようだな。だがそれも今日までだ。悪いが魔族の安寧のため、貴様にはここで私とともに朽ち果ててもらうぞ」


 森の外へ向かって走って行くナンナの背中に、彼女の分身に斬られるがまま罵詈雑言を浴びせるシャロン。その様子を見て、バリーは削れていく己の命を感じながらも安堵の溜め息を吐いた。


 化け物の足止めで尽きるとは、我ながら安い命である。しかし、ナンナさえ無事にバニスの元へと辿り着けば。この邪悪な化け物を、きっと紅魔臣たちが討ち取ってくれるだろう。




「……て考えているんでしょ? バリー先輩?」




「……は?」


 思考を言い当てられたこと。先程までの荒れた声音から、年相応の可愛らしい声に切り替わったこと。



 



 それらすべての要素が、バリーに想像もしたくない予想を一瞬で組み立てた。


「まさか……!」


「そう。そのまさか!」


 まるで、覚えたての手品を披露するように。シャロンは軽々と立ち上がって、その場で一回転、


 至近距離でシャロンを斬りつけていた12体の分身は、いとも容易く霧散する。


「馬鹿な……! 魔力解放ブーストで通常の5倍は負荷が掛かっているんだぞ!?」


「はあ? バリー先輩、算数もできないんですかァ? ゼロになに掛けでもゼロなんだよ! 恨むならクソの役にも立たない自分の力を恨むんだなァ!」


「そん、な……」


 初めから意味などなかった。


 初めから無駄だった。


 初めから——!


「骨折り損だったなァ、おい」


「た、頼む……! 許してくれ!」


「許しがほしいのか? いいぜ、銀の光コイツに耐えられたらなァ!」


 暴力のまえに慈悲などない。貫手の形でバリーの腹部を無垢なる暴虐イノセント・バイオレンスが貫く。


「待っ————ッ!?」


「はっ、女に格好付けたんだからなァ! もう思い残すこたァねェだろ!? 精々派手に逝っちまいなァ! 魔力解放ブーストォッ!」


 銀の光が、バリーの身体を内側から蹂躙する。肉の一片すら容赦なく、その光は魔族の悉くを焼き払った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る