第34話回避不能

 横。真横だ。それも至近距離。接近に気づかない、なんてことは絶対にありえない。


(いくらシャロンが小さいからって……!)


 しかし、それは。ゆっくりと見下ろせば、そこにはあの金色の瞳が自分を見上げて嗤っているではないか。


 そのうえでナンナを襲う、次の疑問。


「なんでこんなところにシャロンがいるの!?」


 いるわけがないのだ。学生勇士という立場ではあるが、シャロンはまだ七歳。戦場の空気を知るにはまだ未熟、と学園側から出撃を免除されている。……それが建前であることも。もちろん、ナンナは知っている。


 だからこそ、不可解であった。なぜ、ここにシャロンがいるんだ。


「さあ、なんでだろうね?」


 ――足を引け。身体を反らし、自分の身体を影にしているシャロンに隠者の角灯ハーミットの光を見せろ。そうすれば、ひとまずこの言い知れぬ恐怖から逃れられる!


(待て。恐怖? 私が、七歳のガキにビビっているの!?》


「ナンナくん! なにかマズい、一度退くんだ!」


 その異常とも呼べる恐怖に勝ったのは、バリーであった。普段、余裕のある大声で喋る彼にしては珍しく、逼迫した声音であった。


(分かっている、そんなことくらい!)


 言われなくとも。あと一秒、バリーの声がナンナに早く届けば、ナンナも迷うことなくこの場から飛び退いていたことだろう。


 だが。


「あの神聖兵装の光を俺に見せようってかァ? くくく、いいぜ。そのときがお前らの最期だ」


 人が変わったような、シャロンの言葉遣い。彼女の可愛らしい声で紡がれた鎖が、ナンナの足を捕らえていた。


 バレている。隠者の角灯ハーミットの性能を理解したうえで、シャロンは自分の隣に立っている。その事実が、たまらなくナンナの魔核に冷たいものを流れさせる。


「ナンナくん!」


「っ!」


 地面にへばりついた足を根性で引きはがす。その場から離れる一瞬、「あーあ」と楽しそうなシャロンの声がナンナの耳朶に残った。


 バリーの横へとすぐさま移動する。ひとまずの。あまりにも、一瞬で起きたにしては膨大な情報量の恐怖だった。


「……この状況、どう見るかな。ナンナくん、私は結構マズいと思うんだがね」


「マズいなんてもんじゃないよ、バリー。確実に私たちが魔族ってことはバレてる。そのうえで接近してきたの。この意味、分かるよね」


「ああ。二人掛かりで来られても勝つ自信がある。そういうことかな? まったく、恐ろしい七歳児だ。まるで――」


 まるで、勇者じゃないか。バリーの続けた言葉をナンナは否定することができなかった。


「……バリー。シャロンがどのタイミングで私の横にいたのか、見えていた?」


「ああ。。レギオンに近づく君の横を、木の間から突然現れた彼女がぴったりと寄り添うように歩いていたよ。ただ、その存在を認知できたのは君と同じタイミングだ。……おそらく隠密系のスキルだろうが……」


 「恐ろしい話だよ」、とバリーは続ける。シャロンの脅威度を測る術はそう多く持っていないが、しかし見た目通りの七歳児と侮ることは、この時点でナンナもバリーもしていなかった。


 その最適解はすぐさま導き出せる。そう、数的優位で殴る。それしかない。


「だが安心したまえ。状況は二対一じゃあない。三対一さ。算数ができない子どもを相手にするのは楽で助かるね」


 連携は不可能だが。そう言って、バリーはレギオンの拘束を解く。レギオンの至近にいるのはシャロンのみ。当然、レギオンの暴力衝動はその小さな身体に向けられた。


「ぎ、がぁあああああッ!」


 理性なき怪物のそばで、悠然と佇むシャロンは隠者の角灯ハーミットの支配下にある。


 なにもしなくても、レギオンの剛腕によって華奢なシャロンの身体は容易に破壊できるだろう。カルラの報告で無垢なる暴虐イノセント・バイオレンスの性能についてよく理解している。



 回復力の大幅な向上、言動の好戦化。



(いや、待って――)


 今、シャロンは無垢なる暴虐イノセント・バイオレンスを抜いていない。だというのに、あの言動はなんなんだ?


「失せろ」

 

 動かない身体で、目だけを動かし。シャロンは己の身体のゆうに二倍はあろうレギオンを見上げながら、つまらなそうにぽつりと呟く。


「ぎッ!?」


 その光景は、バリーも、ナンナでさえも驚愕せずにはいられなかった。


「おいおい……」


「嘘でしょ……!」


 隠者の角灯ハーミットで身動きを奪われ、ナンナに蹴り飛ばされても闘志の潰えなかったレギオンが。


「あ、が……」


 一歩、二歩。その巨大な足を。戦闘に不必要な後退。それが意味するところは、つまり。


「たった一言で戦意喪失か、レギオン!」


 嫌な事実であった。しかし、バリーもナンナも認めざるをえない。一撃で屈服させることのできなかったレギオンを、シャロンはたった一言で畏怖させた。


 レギオンに理性はない。本能的に弱肉強食の捕食関係を感じ取る。バリーとナンナがレギオンよりと分からせるためには魔装という搦め手が必要だった。


 だが、シャロンはそれすら必要としなかった。まるで獰猛な大型犬が身の程知らずの小型犬に一度だけ吠えるように。「失せろ」という一言は、最初で最後の警告であることをレギオンは本能で理解していた。


「ひっ……! ひっ……!」


 絶え間なく全身を襲っている幻痛なぞ忘れてしまうほどの恐怖が、自分よりもはるかに小さな人間から感じ取れる。失禁と、涙。生まれたばかりのレギオンが処理するには、あまりにも原始的で難解な感情を前に――彼女はその解答を、水分の排出と敵前逃亡とした。


「チッ……! 使えない娘だ! この年齢で難儀な親心ってやつを理解しなくちゃならないとはね!」


「言ってる場合じゃないでしょ! どうすんのよ、これ!」


 どこぞへと逃げてしまったレギオンの制御は、もう考えない。バリーもナンナも戦闘態勢へと移行している。


(バニスさんはシャロンを殺すな、なんて言っていたけど……!)


「おいおい、怖いこと言ってくれるなァ! こちとらピカピカの一年生だぜ!? それを二人で寄ってたかってイジメってのは恰好悪くねェか! ああん!?」


 悠然と佇むシャロンは、口悪くバリーとナンナを挑発する。カルラならまだしも、ナンナがその真意を見抜かないはずがなかった。


(挑発して近づかせよう、ってわけ? 行くわけないでしょ、バァカ)


 隠者の角灯ハーミットの影響下にあるアドバンテージを捨てるとでも思ったのか。その浅はかな挑発行為をナンナは鼻で笑った。


「……ずいぶんな口の悪さじゃん。悪いけど、この現場を見られたからには無事に帰すと思っていないわよね?」


「あ? くくくっ、はっはっは! テメエらこそ無事で帰れると思ってんの?」


 殺すしかない。バニスの言いつけなど守れる気がしなかった。なにせ、隠者の角灯ハーミットによって拘束されているというのに、シャロンもこれっぽっちも動揺していない。


(普通あるでしょ。動けない理由を尋ねたり、命乞いしたり……!)


 それがない。どころか、「この場の支配者は自分だ」と言わんばかりの余裕。


 


「ま、いいさ。ずいぶん待ってやったんだが、そっちが来ないなら――」


 

 ――こっちから行くぜ?



「は?」


 ナンナの間の抜けた声は仕方のないものであった。


 なぜならば。次の瞬間には、動けないはずのシャロンが拳を構えて眼前へと迫っていたのだから。

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