第33話人の怪物

 遠くから勇士たちの雄叫びと合成獣の咆哮が響く。自分たちの抜けたチームの安否は、さてどうなったか。全部死んでくれれば後片付けが楽なんだけれど、とナンナは思う。


(特にあのモニカとかいうリナの腰巾着。アイツが挙動不審になるの、相手が魔族のときだけじゃない?)


 これは勘だ。根拠はない。ただ、あの不細工な眼鏡で誤魔化しているが、小心こそ隠しきれてはいないものの——あの目は人とそうでない者を明確に区別していた。


(こういう勘は当たるんだよねー。生き残っていたらどさくさに紛れて殺そ)


 リナほどの脅威はない。他の生徒への影響力は言わずもがな。たとえ、モニカが声高に「学内に魔族が潜んでいる!」と叫んでも、真に受ける人間などいない。


(それにしてもリナの懐の深さには参るわー。私だったらあんなゴミ、視界にすら入れたくないもん)


 どんな下種な手段を使ったんだか。殺す前に聞いておこう。あとはそう、どうやって魔族の擬態を見抜いたのか。……ナンナのモニカへ対する興味など、その程度であった。


 路傍の石ならぬ路傍のゴミ。ゴミはちゃんとゴミ箱に。悲しいことに、魔族の誰もがそのゴミに気付いていないのだから、最初に気付いた自分が動くべきなのだろう。


(はーあ、めんどくさ。ちゃんとあの女を殺したらシャロンちゃんに癒してもらおっかな)


 あの男嫌いのロゼアンが抱き損ねた少女だ。さすがにあの未熟な身体に性欲はこれっぽっちも湧かないが、モニカを殺した暁には奴の居場所を奪って一緒のベッドで寝てあげよう。


「おや、ナンナくん。ずいぶんとご機嫌じゃないか」


 人目をはばかるように選んだ、鬱蒼と木々の中。返り血を浴びたバリーは上機嫌にナンナへ問う。


「そういうバリーこそ。実験は成功したの?」


「ああ! 仮説は正しかった! 合成獣に吐き戻され、辛うじて生きていた人間だから素材としては少しばかり不満だが! それでも22人だ。ここまで来ると合成獣ではなく魔造人間とでも言うべきだな!」


 ここまで来るのに払った人の命。人には重く、魔族にはあまりにも軽いそれに敬意を払い、バリーは万感の思いを込めてその名を付けた。


「名付けて——レギオン。個でありながら群である怪物だ」


 怪物が悲鳴に似た産声を上げる。一つの身体に22の命を詰め込んだ、本来ありえざる生命の冒涜。


 一つの小さなコップに、海の水をすべて収めるようなものだ——その荒唐無稽なバリー仮説は、しかし合成剤ソーマとレギオンの身を襲う永劫の激痛という対価によって現実のものとなった。


「ゥ、がああああッ!?」


 見た目だけならば、レギオンの身体は人のそれとさほど差異はない。大量の人間を素材として、一人の人間を作る。必然的に、その姿形は人のものから大きく逸れることはなかったのだろう。


 その身体的特徴は女性のものだ。だが身長は高く、隆々の筋骨が彼女の存在を尋常でないと物語る。鋭い犬歯に、鋭い爪。本来、白目であるべき部分はどす黒く、そして黒目は真っ赤に染まっている――人であれば、誰もがその異常に気付くことだろう。


 その彼女の身体は、素材となった人間が覚えている死の淵で感じた幻痛と恐怖が絶え間なく襲っている。理性のたがは生まれた瞬間より飛んでおり、目に入るすべてに敵意を向ける怪物と化していた。


「るぅああああああっ!」


「はっはっは! 産みの親にその口の聞き方は駄目だなあ! 魔装抜剣、隠者の角灯ハーミット!」


 バリーが抜いた魔装は古びたランタンであった。さした装飾はない。ただ、そのランタンに灯る青白い炎が、《見る者の動きを止めさせた》。


「ぎぃ……ッ!?」


 レギオンの身体は、その明かりを見た途端に止まってしまった。どのような原理なのか、動こうにも眉や小指といった、身体の末端をぴくぴくと動かすことしかできていない。


 動きに制限をかける。バリーの用いた隠者の角灯ハーミットはいたって単純な補助型の魔装である。


 しかし、敵の前で無防備に固まる――この恐怖は、理性のないレギオンにすら「あの光はマズい」と理解させた。


「ふははは、重かろう! 知性なき愚者に我々までの道のりは! さあやってしまえ、ナンナくん!」


「はいはいっと」


 バリーに言われるまでもなく、ナンナはその光を遮らぬようレギオンに近づくと、その身体を蹴り飛ばした。


「駄犬の躾については門外漢なんだがね。蹴り飛ばされれば少しは理解したろう? ……ふむ、その目。さてはナンナくん、手加減したな?」


「いやあ。カルラほどじゃないけど、そこそこマジで蹴ったよ? 私。単純にちょっとタフいね、コイツ」


 身体の自由を奪われ、魔族の脚力で一方的に蹴られたというのにレギオンの目には剥きだし闘志が見れた。


「ぐゥ……うぅがァ!」


「生まれたばかりの身体でよくやるよ。だがその程度の低さで我々に勝とうなどという思い上がりだけは矯正しなくてはな! ナンナくん、もう一発やってしまえ!」


「えー、少しは自分でやってよ」


「分かっているくせに意地の悪いことを言うもんじゃないぞ! 隠者の角灯ハーミットの使用中は私も動けないんだ! こういう力仕事は男がやるべきだって? 今は多様化の時代だよ、ナンナくん!」


「……はあ、ゴミ魔装じゃん。もー」


 強力無比であることは事実なのだが。しかし、置物(というには少々うるさいが)と化したバリーに、辟易とした様子でナンナは二発目の蹴りで応える。


 それでもレギオンの闘志は潰えない。さすがの頑丈さに「ちっ」と舌打ちをして、三度目の蹴りを見舞おうとナンナが足を振り上げたときだった。



「うわー、ナンナ先輩が弱いものイジメしてるぅ。いけないんだぁ」



 この異常な場に、可愛らしくも不気味な声が響く。


(……は?)


 声の主には心当たりがある。先日、特例で入学してきた七歳の女児。学生勇士の身ではあるものの、未熟なため出陣を許可されていない少女。


「シャロン? ……どこにいるの」


 優しい声で尋ねてみる。しかし、どういうわけだ。


(冷や汗をかいている? この私が? 紅魔臣を前にしているわけでもないのに?)

 

 意味の分からない生理現象であった。背中から、なぜかぶわりと汗が流れている。


 そして、その理由はすぐにわかった。







 その声は、すぐ隣から。

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