第27話手加減

(……このガキ。私たち魔族を「血肉に集る蛆以下のゴミ虫」ですって?)


 ――不遜だ。ロゼアンの襲撃から運良く生き残っただけの子供が抱くには、あまりにも分不相応な勘違いだ。そう、勇者の亡霊によって助かっただけに過ぎない。


 運良く生き残った幸運を噛み締めるだけならまだしも、その幸運に胡坐をかいて魔族を貶すその発言を、カルラは聞き捨てることができなかった。


「喜ぶのはいいけれど。そういった態度の大きい子はいつだって口だけよ。早死にしたくなければ、子供の内からそんな汚い言葉を使うのはやめなさい」


「ああ……私としたことがすみません。つい、ふふふ……。でも、どうにも魔族という生き物は滑稽で。奴らって死にそうになると泣いて喚いて慈悲を乞うんですよ? 。面白くありませんか?」


「……愉快な話でないことは確かね」


「そんなぁ。お近づきの印に、と思って温めていた小噺なんですけどね。お気に召しませんでしたか?」


 愉快じゃない。全くもって。……勇者の亡霊によって殺されたロゼアン・カリストの断末魔の叫びなんて、想像もしたくない。


 勇者の亡霊という魔族にとって悍ましい天敵がいる限り、彼の存在を知る魔族の大半が怯えなければならない。


 その禍根を早期に絶つために、この学園に潜む魔族たちはシャロンを特別扱いしているのだ。


(バニス様に生かされている分際で……あなたがそうやって魔族を馬鹿にできるのは、すべて私たちが手を出さないようにしているからなのよ)


 こんな七歳のガキ、いつだって殺せる。紅魔臣であるバニスの命令さえなければ、を装って、魔獣の餌にだってしてやれる。


 その魔族としての余裕が、七歳のガキに傷付けられたカルラの魔族としての矜持を癒す。生殺与奪を握っている今、シャロンの意図しない挑発行為――少なくともカルラはそう思っている――に目を瞑ることができた。


 だが、まずはその驕った子供の勘違いを正さねば。


「まあ、あなたのつまらないお話に付き合ってあげてもいいのだけれど。それより神聖兵装についてテルミレオ先生から性能を確かめるように、とも言われているの。協力してくれるかしら」


 ◇


 シャロンの神聖兵装、《無垢なる暴虐イノセント・バイオレンス》の性能を確認する。それは、甚振るのに実に好都合な口実であった。


(殺しはしない。怪我も、まあ、ほどほどに。だけど、その自尊心はズタズタに)


 魔族を軽んじたこと、魔族を侮辱したこと。本人に自覚があろうと、なかろうとそこに意味はない。



 口は災いの門だ。口から出た言葉は、なにをしても門の中に戻せない。魔族を軽んじたその言葉は、シャロン自身の身体をもって償わせる。


 広大な学園内にいくつもある実技場のうち、誰も使っていない場所を選ぶ。テルミレオ先生の名前を出せば、貸出の申請はすんなり受理された。


 七歳の子供を甚振るためだけのステージだ。目撃者は私だけでいい――カルラはそ

う自分に言い聞かせ、魔装を展開する。シャロンが魔族に対し抱く間違った認識を、ただ矯正すればいい。死地より生還したシャロンにそれを理解させるには、シンプルな痛みこそが適役だろう。


 神聖兵装改め、魔装《静かなる嗜虐心サイレント・サディズム》は女性物のブーツと西洋甲冑の足鎧のデザインが取り込まれたような、足に履く武器であった。


 その使用方法は単純明快。相手を蹴り殺す、ただそれだけ。脛や爪先、踵や膝といった部分には、それぞれ刃物や突起物があしらえており、殺傷能力は言わずもがな。


 その真価は、履くだけで得られる速度だ。魔族の脚力ですら得られない、最高速度を魔力解放ブースト下で容易に得られるこの一品を、カルラは気に入っていた。


「準備いいわよ。いつでも来なさい」


「もういいんですか! それじゃあ、行きますよー!」


 シャロンはその小さな手にはめた籠手をカンカンと鳴らしながら、カルラに合図を送る。


(嫌な色ね。あの子の髪と同じ、銀色の籠手なんて。……バニス様は彼女の籠手に気を付けろ、なんて言っていたけれど)


 忌々しい銀色であることを除けば、なんの変哲もない籠手だ。しいて言えば、少しばかり打撃を主とした戦闘に耐えうる構造をしていることくらいか。《静かなる嗜虐心サイレント・サディズム》と似たようなポジションの神聖兵装なのだろう。


(得られる恩恵次第によっては、下位互換ね)


 不格好な姿で走ってくるシャロンの姿を視界の端に収めながら、さてどう甚振るかとカルラは考える。七歳児の足は魔装を履いたカルラには遠く及ばず、素人丸出しの構えはどこからでも蹴ってくださいと言わんばかり。下手に蹴りを入れれば、性能を見るという口実が意味を成さなくなるだろう。


「やあああっ!」


 ぽかぽかと突き出されたシャロンの拳は、まさに七歳児相応のものであった。防御も回避も必要ない。バニス様はこの籠手のどこに脅威を感じたのだろうか? ――いけない、とは分かっていても一発二発受けてみるが、これといって


(ハズレじゃないの。勇士になって神聖兵装がもらえれば、誰でも魔族を殺せるとでも思っていたのかしら。ザマアないわね)


「攻撃性能はもういいわ。次は防御性能を見るわね。今からあなたを攻撃するから、必死になって身を守りなさいよ」


 ――でないと、鼻くらいは折れるわよ。


「へ?」


 短い警告を聞き逃したシャロンは、カルラの蹴りをモロに受ける。シャロンの低い身長にある頭は、なんとも蹴りやすい位置にあった。


 だから蹴り飛ばす。遠慮なく。


 小さく軽い身体は、簡単に吹き飛ばされる。シャロンの身体は地面を二度、バウンドしてから動きを止めた。


 鼻は――折れたか。


「しっかり受け止めなさい。魔族を馬鹿にするのは結構だけれど、私程度に殺されかける技量じゃ次はないわよ。それとも次もまた幸運に頼ってみる? 残っているといいわね、あなたのその運」


「……へえ」


 異常な光景であった。鼻の骨が折れたというのに、泣きも喚きもせず――ただその金色の瞳が、にやにやとカルラを見つめている。


「面白い考え方ですね、カルラ先輩! 運は使うと減るんですか!? 私、この世界に生まれてから幸運しか感じていないもので! くくく、ふふふ、減っていたんですね、私の幸運!」


 その目は「微塵もそうは思わないが」と否定している。


 ひどく不愉快な目だった。なにせ、遠回しに魔族の怖さを教えてやっているというのに、これっぽっちも怖がっていない。


(……どころか、魔族を殺せることさえ確信している)


 あの一撃では足りないか。まだ足りないのか。


「……減らず口を叩ける根性は認めてあげるわ。でもあなたが弱いことに変わりはないのよ。悔しかったらその神聖兵装に魔力を込めなさい」


「魔力の込め方なんて習ってませんので! だから、これが私とこの聖剣の全力ですよ?」


 挑発するように、シャロンは手でくいくいっと手招きしてくる。


 ……その根性だけは認めてやる。


 だから、それが折れるまで蹴り続けてやる。

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