第15話人狩りの対価
ロゼがドルガー村を襲撃してから一日が経つ。なのに定時報告が来ない――人間の女で遊びが過ぎているのか、村に男が想像よりも多くいたのか。少し心配だったけれど、私がドルガー村に向かわせたケインとロイではロゼに勝てないわ。きっと今頃はバイツの腹の中でしょう。
本当は女の子を送ってあげたかったのだけれど。ロゼは遊んでしまうでしょうし、神聖兵装は一本でも多く回収しておかないと。
私は私で、こちらに向かってくる魔族とひよっこ勇士に指示を出して、八百長の戦争を管理していた。気分は一人でボードゲームをやっているようなもの。時折、人間サイドから駒が零れてしまうけれど……それも想定の範囲内。勇士なんてものは、聖剣を生み出す湖に人間を放り込めば生まれてくる。魔族とのパワーバランスをコントロールする上では大した損失ではない。
私の管理する盤面で留意すべきはイレギュラー、勇者の亡霊という謎の脅威についてだ。三つの砦と周辺の村、そこから聖都ロンドメルに近付いてくるように、点々と謎の襲撃報告が相次いでいる。――だから、今回の中規模襲撃で姿を現すと思ったのだけど……。
――「フリッガ先生。ドルガー村で奇妙な報告があったのですが……」その報告を受けた瞬間、私はなるべくゆっくりと呼吸することを意識して返事をした。
「奇妙な報告?」
「はい、それが……。ドルガー村の村長代理を自称する女について、その真偽を確かめようとしている男たちがドルガー村付近の村々で確認されています。先生方がお探しになっている勇者の亡霊とは関係なさそうですが……どうしましょう?」
勇者の亡霊よりも先に妹の方が尻尾を出してしまった。ああ、もう……。叱れない私はきっと駄目な姉なのでしょう。せめてバイツには村に入った人間は女以外食い殺すように言って聞かせるべきだったわ。
「ドルガー村ね。確か、ケインとロイが警備に回っていたはず……。ケインはともかく、ロイで事態が収拾できていないのならなにかあったと考えるべきかしら。いいわ、そこで暇しているテルミレオ先生、戦術指揮をお願いします。私と他に十人ほどついてきてちょうだい」
アレク・テルミレオ――いえ、紅魔臣バニス・ライラックは了承も拒否もせず、ただ嫌そうな顔を浮かべて「さっさと行ってこい」と言いたげに手を振った。ぞんざいに扱われたくなければ、普段からちゃんと仕事をしなさいな。
◇
ついてみれば、ドルガー村は壊滅的な状況であった。別に、そこに驚きはない。なぜなら、それはロゼがしっかりと自分の傷を癒すために動いたことの証であるからだ。
私についてきた十人ほどの勇士――の見習いだ――は壊れた家や、心神喪失状態の女性たちを見て、その異様な光景に息を飲んでいる。いずれあなたたちはもっと酷い目に合うのだから、これくらいで狼狽えないで欲しいわね。
そのうち、比較的軽症であった人間からいくつか話を聞く。なにがあったのか、この惨状はどういうことか。聞くまでもなく、ロゼが暴れていずこかへ去ったのだろう――そう予想していただけに、私は彼女らの話を信じることができなかった。
当然でしょ? 「勇者が魔族を殺した」なんて、どうやって信じればいいのかしら。
「……勇者? 彼は死んだのよ。魔族が暴れて不安なのはわかるけれど、死んだ彼に縋るのはやめなさい。落ち着いて、もう一度なにがあったのか――」
「ほ、本当なんです! 一番近くで勇者様を見ていたのはあの子です! あの子に話を聞いてみてください!」
そう言って、女が指を差したのは――男と親し気に話している、小さな女の子であった。
年は十にも満たない。私の後ろに控える子の誰よりも幼い。長く伸びた銀髪に陽の光にも負けない金色の瞳。一目見ただけでロゼが一目惚れしたとわかるほど、私でも心揺れる美貌。……いえ、いけないわ。それよりも不思議なのは、ロゼがあんな美少女を残して屋敷に帰るとは想像できないこと。
……まさか。ロゼが、殺されたというの?
一瞬だけ考えてしまった、ありもしない想像を何とか頭から追い出す。ロゼが負けることはありえないわ。魔王様を除いて、あの勇者の一撃を正面から受けて唯一生き残った私の自慢の妹よ。
仮に勇者の亡霊がこの場に現れたとしても。ロゼとバイツで負けるような相手など想像もできない。……それこそ、本物の勇者でなければ。
「シャロン。その、勇者と名乗った人はどんな人物だったのかしら」
「夜の真っ暗な中で、女の魔族から私を救ってくれた人……なんですけれど」
シャロン・ベルナ。そう名乗った可愛らしい少女に案内されるまま、私はその惨状を目にすることとなった。
「見ての通り、すごい怪力で。この魔獣、最初はもっともっと大きかったんですけれど……彼に投げつけられた衝撃でバラバラになっちゃったんです」
絶句した。
気高き漆黒の魔獣。骨食みの魔犬バイツ。多くの人間を食らった私の家族が、その原型を留めることなく、地面に散らばっていた。未消化の人間の肉と骨が合わさり、どこまでが人間でどこまでがバイツなのか――もう区別がつかないほどだ。
吐きそうだった。人間とは違い、食事をあまり多く必要としない魔族の身体が内容物をぶちまけたがる。どうやった? いや、それよりも。どんな感情があれば、ここまでできる?
そして、最も大きな恐怖が足元から登ってくる。それは――バイツをここまで甚振った化け物を妹が襲ったという事実。
「フリッガ先生、お顔が青いですが……大丈夫ですか?」
「シャロン……あなたはなにも感じないの?」
「……ないと言えば嘘になりますけど。勇者に凌辱された魔族を見ていたので。あの光景を見れば、この魔獣の死骸なんて。ええ、大したことはありませんよ」
凌辱。ロゼが、勇者に?
男嫌いのあの子が、男の勇者に? それも、魔核を傷付けられた、勇者本人に?
激怒すら超えた、一線の先。私の頭の中を、あの憎たらしい勇者の亡霊が満面の笑みで踏み越えていく――それでも、ここで感情を剥きだしにしなかったのは、紅魔臣としての矜持があったからこそだった。
「…………その勇者は。魔族に、なにをしたのかしら」
なにがあっても。なにをされても。私はロゼの姉として、彼女の身に起こったことを知らなければならない。
「聞きたいんですかァ?」
一瞬。シャロンの声が嗤ったように聞こえた。
はっと、己の耳を疑いシャロンの顔を見てみれば、鎮痛な面持ちで今にも泣きそう――そんなわけはない。きっと怒りに我を忘れていたせいで錯覚したのでしょう。
「では、こっちです。フリッガ先生」と、シャロンに手を引かれるまま、私が連れて来られたのは、この村の村長の屋敷であった。
その一室。荒れた部屋の中。木目の床の上で、手も足もあらぬ方向へと折られたような人影が浮かび上がっている。
あ、ああ……っ!
「初めて見ました……。魔族って胸の赤い石を取られると、肉体はこんなふうに塵になってしまうんですね」
魔族に死体は残らない。まるで、この世界から存在を疎まれているかのように。魔核さえあれば、新たな肉体を作ることはできるが……魔核だけの状況など死と同義である。それが、勇者の手の中にあるのならなおさらだ。
「私はここで勇者様から女魔族が凌辱されるのを見届けるよう言われたのです。勇者の亡霊について、根掘り葉掘り聞くヤツが現れたらこの惨状を伝えろと。そう言われました」
そう言って、シャロンは己の膝を抱えるようにして、部屋の隅に座ってぽつぽつと語りだした。
「初めに彼がやったのは、女魔族の腕と足を折ることです。それも、魔力で治るたびに折っていました。次に――ええ、男の人のアレを無理矢理。とても長くて大きくて、突くたびに女魔族の骨の折れる音が部屋いっぱいに響くんです」
「やめて……」
「それに飽きると、今度は身体にナイフで穴を開けてそこに突っ込んだですよ? 女魔族にも家族がいたんでしょうね。ずっと、ずーっと姉さん姉さんって……。まあ、結局その姉さんとやらは来なかったですが。私、一人っ子ですけれど。妹がいたと思うと耐えられそうにありませんよ」
「やめてぇっ!」
想像する。想像してしまう。
最期まで私を信じて助けを呼ぶ、ロゼの断末魔。
「……同じ女性にする話では、なかったですよね。でも、すみません。あの光景をずっと一人で背負うには、私では重すぎて」
そんな意図はないだろうに。しかし、シャロンの声にロゼの声がどこかから被さって聞こえてくる。
――僕を見捨てた罪を、姉さんは背負って生きて行ってね。
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