第12話悍ましき者

 称号《勇者》。それは、紛れもなく魔王が全身全霊をもって屠った男の称号である。


 勇者は血統によって受け継がれる。では、その血統が絶えたなら? 今後、魔族を脅かす存在は生まれないだろう――それが魔族の出した結論であった。


 「そんなものは希望的観測だろうが」と嘲笑するかのごとく。ロゼアンの目の前で可憐で小さな悪魔が嗤っている。


「ゆう、しゃ」


 看破スキルによって知り得てしまった、シャロンの称号。それは、ロゼアンの魔核に癒えぬ傷を残した男のそれとまったく同じものであった。


 肌が粟立ち、魔核の傷がこれまでにないほど痛みだす。かつての勇者と対峙したとき以来、感じることのなかった恐怖がロゼアンの背筋を撫でた。


 辛うじてロゼアンが恐怖に飲み込まれなかったのは、シャロンの容姿が年相応のあどけない少女のものだったからだろう。――男じゃない。いつも甚振っている女よりも、さらに幼い。


「……ふ、ふふ。そうか、そうだったのか。これはつまり、姉さんが僕に与えてくれた、勇者を殺してこの痛みを克服するチャンスなんだね……!」


 なによりも。この年齢でバイツを嬲り殺しにできる腕力。ここで仕留めなければ、魔族にとって新たな災厄になるのは目に見えている。


 ここで殺す。ロゼアンの決断は、実に的確であった。


「チャンスぅ? んなもん、テメエにあるわけねえだろうが」


 だが、それ以上に。シャロンの行動は早かった。


 物言わぬ魔獣の死骸をロゼアンに向かって投げつける。少女では決して持ち上がらない重量を軽々と投げつけてくるとは、ロゼアンも予想していなかった先制攻撃であった。


(ぐ――ぅっ!?)


 肉と血と脂の重さがロゼアンに伸し掛かる。並みの魔族なら衝撃だけでも圧殺されかねない威力をロゼアンは耐えてみせた。対し、投げられたバイツの亡骸はその衝撃に耐えきれず、まるで水風船のように破裂してしまった。


(ああ、バイツ……!)


 愛犬を弔う間も、悲嘆に暮れる間もシャロンは与えない。バイツの亡骸が損壊し、ロゼアンの意識が逸れたその瞬間を――彼女は決して見逃さない。


 次にロゼアンの視界を襲ったのは、小さな拳だった。それが明確な殺意をもってロゼアンの顔面に叩き込まれる。


「が、ぁ!?」


 直前、ロゼアンの看破スキルがシャロンの使用するスキルを読み取った。スキル、無手の心得。スキル、喧嘩殺法。スキル、武芸の極み。そのどれもが上限に達している。徒手空拳であろうと、シャロンの小さな手足は己を殺すに足る必殺の武器だ――受け身も取れず吹き飛ばされたロゼアンは、ことここに至ってようやくシャロンの脅威を思い知る。


「今のはいいのが入ったなァ! 気持ちいいぜェ、テメエらみたいな人間を甚振るカスをぶん殴るのはよォ!」


 指を鳴らし、倒れこんだロゼアンを見下すシャロンの下卑た目つきに、真昼の気高さと優しさはない。


「ふざけるなよ……! 魔装、抜剣――!」


 ゆらりと立ち上がりながら、ロゼアンは己の全力を出すために呪文を唱える。手加減も出し惜しみも、そんな余裕はない。相手が勇者ならば、一撃で殺すしかない。虚空から取り出した鉄槌の柄を持つと、ロゼアンはシャロン目掛けて大きく横に振り抜いた。


「あ?」


 鉄槌の存在は、シャロンに予想などできなかった。影も形もなかった巨大な武器が、並外れた魔族の膂力によって振り抜かれる。会心の一撃が入って油断していたこともあって、鉄槌の頭は見事にシャロンを捉えた。


 ロゼアンの握る鉄槌の柄を通して伝わる、骨を砕き肉を潰す感触。人間など重さだけで容易く潰せる鉄槌に、ロゼアンの力が合わさったのだ。シャロンといえど、ただでは済まなかった。


 あれほどの打撃を放ったシャロンの体重は、不思議なことに平均的な七歳の少女と同程度のものしかなった。まるで金属バットで振り抜かれたゴムボールのように、シャロンの身体は付近の家々を破壊して、ようやくどこかで止まったようだ。


「……終わった、のか?」


 あっけない。魔王と刺し違えた勇者の激闘を知る身としては――その下劣さは比べるまでもないが――弱い。そう判断せざるを得ない。聖剣を抜いていないし、素手でも下手をすれば紅魔臣も殺せるだろうが。しかし、魔装の鉄槌一撃で死ぬ程度とは。


 あり得ない。ほとんど、直感ではある。しかし、ロゼアンは確信していた。だから、そう。そんなわけなどなかったのだ。


「いいねえ、いいねえ! この身体がここまで壊れたのは初めてだぜ! ロゼアン、テメェ――いいもん持ってんなァ!」


 左肩から腹部にかけて大きく潰れ、身体のあちこちには建材の巨大な木片が突き刺さり、右足はすねからあらぬ方向へ折れ曲がり、中の骨が皮を破って突き出ている。


 それが、今のシャロンの姿であった。誰がどう見ても瀕死、否、即死と見る状況だろう。しかし、当の本人は己の身体の状況など意にも介していない様子で下卑た笑いをするばかりだ。


「――な」


「いやなあ、聖剣っていうんだろ? それ。お前ら魔族が管理しているガレリオ魔法学園に行きゃあもらえるって聞いたんだが、どっかの誰かさんが足止めするもんでなぁ。つーことで、少し使い方を見せてくんねえか?」


 「全部教えてくれたら殺して奪い取るので安心してください!」という、天使のような笑みを浮かべて死刑宣告も忘れずに。シャロンは身体に刺さった木片を抜く。抜いた先から傷口は塞がり、痛々しく潰れた部位も元通りに膨らんでいくではないか。


 スキル、鈍感。スキル、自己再生。そんな些細なスキルさえ、上限に達している。


(――一体、どれだけの魔族を殺したんだ!? そのうえ、狙いは聖剣だって!?)


 それだけは駄目だ、とロゼアンは鉄槌の柄を強く握る。魔族が勇者に対して優位性があったとすれば、ガレリオ魔法学園を秘密裏に掌握したことによる神聖兵装の管理と鹵獲だ。


 勇者に神聖兵装を与えることでさえ想像したくない悪夢だというのに、ガレリオ魔法学園の実態がバレている。


(絶対に、ここで殺さなくては……!)


 もしもシャロンが神聖兵装を手に入れたら、もう自分では止められない。いや、紅魔臣が束になってもシャロンの経験値になるだけだろう。


 逆に言えば、神聖兵装が彼女の手にない今こそが最後のチャンスであった。


「いいよ、見せてあげる。ただし対価は君の命だ――魔力解放ブースト!」


 ロゼアンは魔族にしては珍しく、魔法を扱わない。しかし、魔核に蓄えられた魔力は並みの魔族では遠く及ばず、その扱い方は魔装によって真価を発揮した。


 彼女の魔力はその手を通して、魔装へと注がれる。魔装は、その魔力を得て敵を殲滅すべくその姿を変えた。


「ぶっ潰せ、鉄槌の処女ハンマー・メイデン!」


 鉄槌の頭部、両面のうち片方に物理法則を無視したように、まるでロケットエンジンのような噴射口がせり出てくる。それはロゼアンの魔力を吸い上げた分だけ、推進剤として燃焼させた。


 鉄槌本来の重さ、そこに推進力が加わる破壊力は元の持ち主によって数多の魔族を屠った実績がある。人間の身では扱うだけで両腕の筋肉をズタボロにする、諸刃の剣である。ロゼアンはそれを己の膂力と魔力を治癒能力に回すことで踏み倒しているが、やはり長く続けられる技ではなかった。


 その上――


(魔核も万全じゃない! ここで跡形もなく叩き潰す……!)

 

 魔族の身体で最も重要な器官である魔核の損傷。魔力解放ブーストは不安定な魔核の寿命を間違いなく削る行為であった。


 上から下へ。大きく振りかぶったその必殺の一撃を、シャロンは余裕の笑みを浮かべたまま――手を伸ばすだけで


「……え?」


「さすがに大振りすぎるぜ? まあ、その武器を近くで見たいってのもあるが……テメエのその出来損ないの魔核でどこまで頑張れるか見たくなってなァ! 魔族って魔力を出し切るとどうなるんだっけ? 教えてくれよ、なあ、ロゼアン!」


 魔族は人間とは比べ物にならないほどの魔力を保有する。それは、人間と違って魔力に依存する身体であるからだ。その機能を人間の身体に当てはめたとき、それに酷似したものとは――血液であった。


「う、ぅぅううううううっ!」


「ほらァ、頑張ってくださいロゼアン様! その技を見る対価は私の命なんでしょう? 早く取り立ててくださいね」


 全力であった。魔力が切れれば、シャロンは間違いなく己を殺す。その未来を否定するために、あらん限りの魔力と膂力を振り絞って鉄槌に力を込めるが、びくとも動かない。


 対し、シャロンは涼し気な顔でにやにやと見守るばかりだ。


 勝てない。


 勝てない。


 殺される。

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