第11話勇ましき者
シャロン・ベルナという少女を一目見たとき、ロゼアン・カリストは恋に落ちていた。いわゆる、一目惚れというものだった。
齢七つにして、自己犠牲の精神と焼き印にも恐れぬ勇敢さ。見た目の美しさは言うに及ばず、澄んだ歌声に見る者を引き付ける可憐な踊り。まさしく完璧とは彼女のためにあるものだ――そう、ロゼアンは思っていた。
ロゼアンの目に狂いはない。スキル《看破》――瞳に映った対象のステータスやスキルを把握する希少な能力である。だからこそ、歌や踊りのスキル、性体験の有無さえ調べてロゼアンはシャロンを好きになった。
彼女がただの少女であれば、他の女と同じく足の腱を切って愛玩道具のように扱っていたことだろう。しかし、この完璧な少女と姉に勝るとも劣らない愛を育めば。この癒えない傷を紛らわすことができる、その確信が彼女にはあった。
そのためにも、己の身分を明かそう。愛に偽りはあってはならない。自分本位な思考回路で導いたロゼアンの判断は……彼女の運命を残酷な末路へと決定付けてしまった。
「く、くくく、ふふ、あはははははっ!」
なにがおかしかったのだろう。魔族と聞けば、大抵の人間は恐怖するはずだった。いや、シャロンは人一倍勇敢な子である。だから、人とは異なる角と魔核を備えたこの姿に畏怖することはないだろう――ロゼアンの推測は、半分の疑問を解決していた。
だが、そのリアクションが笑うことには繋がらない。
「シャロン?」
これまであまりの恐怖に笑いだす女はいた。だがそれは泣き笑いのような心神喪失といった状態でのこと。シャロンの笑いは、まるで難題だと思っていた問いに思わぬ解決策を導き出してしまった、そのあっけなさを自嘲するかのような笑いであった。
「なんだよ。じゃあ、殺していいじゃねえか」
《対象シャロン・ベルナの演技を看破しました》。あの見目麗しい少女の口から出たとは思えない一言がロゼアンの耳に入るのと、ほぼ同時。彼女の看破スキルが、シャロンの演技を看破した。
演技スキルだって? 脳内に響いた、スキルの警告にロゼアンが反応する暇はなかった。
シャロンの伸びる手が、ロゼアンの魔核に向かって真っすぐ伸びていた。いったい、いつの間に? 信じ難いことではあったが、その手はまるでロゼアンの意識の間隙を突くようなものであった。
しかし、その手が魔核に触れることはなかった。壁を突き破って現れた、黒い毛並みの巨大な魔獣。骨食みの魔犬バイツが、ロゼアンの身の危険を察知してシャロンの身体に嚙みついていたのだ。
「はあ。ここで終われば楽だったんだがなぁ」
「……冗談でも面白くないな、シャロン。魔核は僕ら魔族にとって心臓のようなものだ。それを無遠慮に触ろうだなんて――お仕置きが必要だね。バイツ、僕は少し頭を冷やしたい。代わりに遊び相手になってあげるんだ」
遊び相手。その言葉に含んだ意味をバイツは十全に理解している。荒々しい鼻息でロゼアンに応えると、バイツはシャロンを咥えたまま外へと向かっていった。
一人と一匹が部屋からいなくなると、ロゼアンは溜息を吐いた。なにもかも勇者が悪い。収まっていた傷が痛みだしたのも、シャロンが殺意を突然向けてきたのも。あの男が僕を斬らなければ――痛みによる苛立ちと、性愛に満ちた同衾に至れなかった不満。その二つを、ロゼアンは今は亡き勇者に背負わせる。
(シャロンは悪くない、シャロンは悪くないんだ)
シャロンがこんな過ちを犯したのは、きっと勇者が死んだからだ。人間は総じて魔族ほど完璧な生き物ではない。彼らが魔族で表面上、対等だったのは勇者という特殊個体がいたからこそ。きっとシャロンは勇者が死んだことで、「自分が魔族を殺さなくては」と少しばかり蛮勇が空回りしただけだろう。
「大丈夫だ。僕はシャロンを傷付けない」
独り言のようにロゼアンは自分に言い聞かせる。これまで自分の寝所に連れ込んだ女はどれも壊してしまったが……シャロンは特別だ。大切に使わなくては。
バイツが腕と足をそれぞれ二本ほど折れば、シャロンも自分の立場をよく理解するだろう。本当の愛はそこからでも遅くはない。
「……もういい頃合いだろうに。バイツはなにをやっているんだ。まさか殺したのか?」
バイツに限ってそれはないだろう。エルシャが調教した従順で賢い魔獣である。相手が聖剣を持った猛者で加減が利かず殺してしまうことはあるだろうが……相手は十にも満たない女児だ。殺さない程度に甚振ることなど造作もない。
だが、遅い。それとも姉と違ってほんのちょっぴり気難しい妹の機嫌を測りあぐねているのか――仕方なく、ロゼアンはバイツの出て行った先に足を向けた。
「バイツ! バイツ! 戻って来い、あまりやり過ぎるな!」
バイツが飛び込んできた壁の向こうは、住民の生活音が消えたドルガー村の夜があった。交易の要所にある村でありながら、大半の住民がロゼアンによって殺害、あるいは監禁されたこともあって、普段の煌々と灯る村の明かりは存在しない。
夜空と暗闇の境界すら分からないほどの闇だ。空に浮かぶ星々と月の光だけでは頼りない。周囲に漂う微かな血の臭いはきっと村の人間のものだろう。その臭いにシャロンのものが混じっていないことを祈りながら、ロゼアンは再び大きな声でバイツの名を呼んだ。
「バイツ! どこだ、返事をしろ! くそっ、どいつもこいつも……!」
そのときだった。
ずりっ、ずりっとなにかを引きずるような音がロゼアンのもとへと近付いてきた。
バイツだ。ようやく自身の元へとやってきた駄犬に、ロゼアンは呆れたように溜息を吐いた。
「ようやく来たか。遊び相手をしろといったが、遊べとは言っていないぞ! ……バイツ?」
バイツは寡黙で賢い魔獣だ。応答を求められれば相応の返答を示す。しかし、ロゼアンの目の前にいるバイツはそれらしい反応をせず――代わりに、可愛らしい声で喋り始めた。
「わんわん! ご主人様がちゃぁんと見てくれないからぁ、僕こんな姿になっちゃいましたぁ!」
その魔獣の身体は首も、四肢もあらぬ方向へ曲げられ、顎は壊れた洗濯ばさみのように頬を割いて外れている。容易に人を鎧ごと嚙み砕く強靭な牙はそのことごとくが叩き折られ、畏怖を抱かせた巨躯は黒い毛玉の肉塊と化していた。
――骨食みの魔犬と呼ばれた魔獣は、絶命していたのだ。
「……あ、え?」
ロゼアンはその異様な光景を理解することができなかった。姉のエルシャほどではないにせよ、家族と呼んでも差し支えないほど長い年月をバイツと過ごしてきた。エルシャの駒のうち、最も賢く最も気高い魔獣だ。
それが――!
「は。やっぱりモンスターは駄目だな。臭えうえにスキルがこれっぽっちも育ちやしねえ。――そうは思いませんか? ロゼアン様!」
満面の笑みで。悪魔が喋る。
「君が、やったのかい?」
自明の理。しかし、ロゼアンは問わずにはいられなかった。
「まっさかあ! 勇者様の亡霊がこの腐れ畜生から私を助けて下さったんです!」
勇者の亡霊。それは勇者の死後、大量の魔族を屠った正体不明の敵。
「君が……君が! 勇者の亡霊の正体か!」
――看破スキルが発動しました。
――対象《シャロン・ベルナ》。
――称号《勇者》。
「当たぁりぃ」
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