第9話ドルガー村の女

 それは、突然の出来事でした。 周辺に魔族の侵攻が確認されたという一報が伝えられ、二人の勇士がここドルガー村を訪れて二日と経ったこの日。一匹のモンスターと女魔族が私たちの村を襲ったのです。


 ――俺たち魔族を殺したことあるんで! 安心してください、魔族をこの村には一匹も通しはしませんよ!


 ――最近は魔族の動きが活発だから、まあ保険みたいなもんです。この村には来ませんので、いつも通りに生活してください。


 勇士である快活なケインさんと物腰の柔らかいロイドさんの言葉を、村の誰もが信じていました。神聖兵装――私たちが聖剣と呼んでいる、あの魔族を殺すための武器を提げてこの村を警備してくれるのだから、私たちも安心していつもの生活を送っていたのに。

 

「ケイン、気を付けろ! コイツら明らかに別格だ!」


「勇者が死んだからって三下が粋がって……! かかって来い、俺たちが相手だ!」


 「皆さんは逃げてください!」という一言を残して、ケインさんとロイドさんは村に侵入してきたモンスターと女魔族に立ち向かっていきました。


 リガルド村長が先頭に立ち、近くの村へと急ぎ移動をしようとしている最中に、私たちはこの悪夢から決して逃れられないことを悟るのでした。


「やあ、人間の皆さん。色々物騒なご時世だけど、来客くらいもてなしてくれてもいいんじゃないかな」


 ずしん、という大きな地響きがしたかと思うと、逃げる私たちの行く手を塞ぐように巨大な犬が着地したのです。


 その背に乗る女がこちらへと何かを投げました。――ええ、ケインさんとロイドさんの生首です。


 私たちを守ると言った二人の敗北は、私たちの行く末を表していました。勇士に対する失望と、この身に起こる悲劇への絶望。ただその恐怖を、無力な私たちは悲鳴をあげることでようやく理解したのです。


「僕はロゼアン・カリスト。紅魔臣が一人、エルシャ・カリストの妹さ。言うまでもなく、賓客ってことくらいは分かるよね?」


 勇士を二人殺し、図々しくも己を賓客と宣う男装の魔族はそう名乗りました。


 彼女がドルガー村の住人に求めたことは二つ。


 一つ、この村の男はすべて死ぬこと。


 二つ、選別に残った女は死か隷従のどちらかを選ぶこと。


 拒否することなどできませんでした。人を人とも思わぬ暴君によって、リガルド村長を含め老若を問わず男性は殺され、選別から外れた女もまた、あの大きな犬に生きたまま喰われたのです。


 勇者様が死んだという噂は本当だったのでしょう。彼が生きていた頃は、人と魔族の境界線で小競り合いはあったものの、このような暴挙に出たという話は聞いたことがなかったからです。


 なぜロゼアンがドルガー村を襲ったのか。それは、この村が大きな交易路に隣接した村だったから、というものでした。魔族の襲撃によって足止めを食らった隊商の中に、「綺麗な女はどこにいるか」という情報を得るためだけに、私の村は襲われたのです。


 そして、早くもその犠牲者が出てしまいました。それも、まだ小さな女の子です。


 長い銀髪に金色の瞳。初めて見たときは、この悪夢から私たちを救うために女神様が遣わした天使なのかと思ったほどです。


 リガルド邸の変わり果てたリビングで、上半身を脱がされて情けない恰好で寝そべる私はよほど限界だったのでしょう。彼女がロゼアンのお気に入りであることを、聞こえてきた会話の節々から察すると――覆しようのない現実に涙を流しました。


 なぜなら、燃え盛る暖炉で熱せられた焼き鏝を少女はロゼアンに握らされ、私たちの背中にそれを押し付けるように指示されたからです。


 私たちがなにをしたというのでしょう。ですが、死ぬよりはマシ。噛まされた布を食いしばり、「どうか痛くありませんように」と叶いもしない願いを抱きながら女神様に祈りました。


 ――そして、奇跡は起きました。なんと少女によって、その願いは叶うこととなったのです。


 勇敢にも少女がロゼアンに(騙されているとはいえ)この蛮行を止めるよう、忠告したのです。


 その正体は残忍な魔族です。角と魔核を隠したロゼアンの姿は、一見しただけでは人間とほとんど見紛うもの。そのうえ、リガルド村長の代理を名乗っているようです。


 子供の考えたような、でまかせの嘘です。しかし、それを証明するための村長は、彼女によって殺されています。――騙されないで、と私たちが真実を語ることは簡単です。ですがロゼアンの意に反したとき、私たちはどうなってしまうのか。なんの躊躇いもなく、村人を殺した彼女を相手に真実の告発をする者は誰もいないでしょう。


 ……そもそも、あんな幼い女の子に真実を伝えたところでいったい何になるというのか。ただいたずらに状況を悪化させることくらい、私にもわかります。


 しかし、少女は驚いたことに私たちが受けるはずの焼き印を「どうか私だけに」と訴えたのです。……本当に、あんな小さな女の子が口にしたとは思えない、自己犠牲に溢れた勇気ある一言でした。


 ガレリオ魔法学園に入学した、今年で十五になる妹も勇気ある子でしたが……この絶望的な状況の中で、力なき人々のために少女と同じ行動ができたでしょうか。それも、十にも満たないような歳の頃に。


 それは、国の各地から聞こえてくる勇者と同じ、勇気と正義の逸話をこの目で見ているかのような気分でした。


 奇しくもそれは、ロゼアンも同じだったのでしょう。彼女は勇気ある少女の行動に、とてもご機嫌でした。


 少女の傷一つない背に押し付けられる焼き鏝、皮膚と肉が焼ける臭い、少女の苦悶の声……。まるで、少女を魔族に売り渡した罰とでも言わんばかりに、私の目の前でそれが行われました。


 あれから時間も経って、夜になったというのに。誰もあの瞬間のことを口にしようとはしません。殺された友人や肉親を弔う暇も、あの少女へ許しを請う権利さえも私にはなかったのです。


 これは魔族という人類の脅威を、勇者様に押し付けてきた罰なのでしょうか。それとも、あの少女のように気高い心があればなにか変わったのでしょうか。


 静かになったリガルド村長の家で、私たちは色々なことを考えながら――しかし、願いはきっと同じだったはずです。


 

 どうか、あのロゼアンに天罰を。



「嫌だ、お前なんか可愛くない! お前なんて要らない! 来るなっ、来るなぁああああああああ!」


 そんな情けない声とともにロゼアンが部屋に飛び込んできたとき、私は目を疑いました。勇士を二人相手にして、傷一つ負っていなかったロゼアンがボロボロの身体で泣きべそをかいていたのですから無理もありません。


 一体、誰が……? 彼女が飛び込んできた方向を凝視してみれば、月の光を浴びた銀髪がゆらゆらと煌めきながら、金色の眼がぎろりとロゼアンを睨んでいたのです。


「酷いこと言ってくれるじゃねえか、ロゼアン! 俺ともっと愛し合うんだろォ!? さっさと出てきやがれ、あの犬畜生みてえにぶち殺してやるからよォ!」


 ……聞き間違いでしょうか。聞き覚えのあるこの声は、あの勇気と正義を体現した可憐な少女のものだったのです。

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