第6話チンピラ、商談にのる。

 はっきり言って、ロゼアンに対する俺の第一印象は「なんだこの気色悪い女は」の一言に尽きた。


 おっさんには目もくれず、隙あらばいやらしい目つきで俺の胸や尻をじろじろと見てくる。前世は男だったから分からなかったが、他人の下劣な視線はこうも分かり易いものだったのか。できれば知りたくない知見だった。


 男性が男性を愛そうが、女性が女性を愛そうが、他人の恋愛や性癖に口を挟むような野暮な趣味は持ち合わせちゃいない。が、それは俺が当事者でないことが前提だ。


 顔はいいし、黙って立っていればそこらの男が放っておかないだろう。だが彼女の言動の節々に感じる下種さが、どうにも俺の鼻についた。


「僕が君たちに求めることは二つだけだ。第一にその子を売り渡すこと。第二に取引が終わったら即刻この村から出ていくこと。どう? 簡単でしょ」


 ロゼアンの横暴とも言える条件に、さすがのおっさんも閉口してしまった。へいへい、お客さん。俺は商品じゃねえんだが?


 どうやら歌とダンスは過剰なサービスだったようだ。大抵、俺の歌と踊りを見た客は気持ちよくおっさんと商談を進めてくれる。おっさん仕事が円滑に進めば、それだけで俺の生活の質が上がる。ただ歌って踊るだけでそれが手に入るなら、喜んでおっさんに協力するとも。が、このサービスのせいで稀に俺を奴隷かなにかと勘違いする輩もいた。


 ヴァシオン聖国において人身売買はブラック寄りのグレーだ。他の国では奴隷商を生業としている商人もいるらしいが、この国では貧しき者や弱き者――いわゆる、社会的弱者は庇護の対象となる。もちろん、俺のように寒村で庇護を受けることのできない人間もいるが……少なくとも、この国で商いをする以上「奴隷商」の看板を提げる馬鹿はいない。


「どう、と言われましても……。ご存知かとは思いますが、ヴァシオン聖国では罪なき者の自由と尊厳を秤に掛けてはならぬ決まりでございます。それも子供を売ったと

なれば、私のような木っ端商人を商会は許さないでしょう。そもそも、この子は聖都にて庇護を受けるべく私が保護した者です。……もちろん、私は先ほどのお言葉を本気とは思っておりませんとも。ちょっと――そう、ほんのちょっと個性的な冗談だったのでございましょう?」


 おっさんは商人としてまともな部類の人間だ。というか、この一回の商談で後の商人としてのキャリアを捨てられるか、という問いに頷ける奴はそういないだろう。なにせ、リスクばかりでメリットがこれっぽっちもない。


 おっさんも大したもので、リガルドの代理人と名乗る不審者の尊厳を傷つけることなく、穏便に話を切り上げようとした。……のだが。


「冗談に聞こえたかい? 僕は本気だよ」


 この空気で突っ張るかよ、普通。


 商会のブラックリストに入るのが怖くないのか? それともリガルドとやらは身内の不祥事を揉み消せるほどの名家なのか。ロゼアンの身なりはともかく、村の様子やリガルド邸と思しき屋敷の雰囲気からはとてもそうは思えないが……。


「ではこちらも本気でお答えせねばなりませんね。ご贔屓にしてくださるお客様の代理人であろうと、道理をご理解して頂けないようであれば商談を行うことはできません。残念ではありますが、リガルド殿には何卒よろしくお伝えください」


 こういった手合いには慣れているのか、旧知の客の代理人が相手であろうとおっさんは毅然と首を横に振った。


 俺も変態の相手はごめんだ。早々に「荷を畳んでくれ」というおっさんの指示に異を唱える者はいない。お客様は神様とは言うが、なにも疫病神まで崇める必要はないだろう。客あっての商いであることに違いはないが、商人にも信仰の自由くらいはある。


 しかし、荷物を片付ける手を俺はふと止めてしまった。……なんだ、この獣臭は。


 異様な臭いだ。臭い、のは言うまでもないが、一言では言い表せない不快感が鼻孔を突く。ただの獣の臭いじゃない。今し方、人間を喰った化け物の臭いだ。


 この場で獣臭に気づいているのは俺だけか。となると、俺レベルに育てた探知スキルでなければ引っ掛からないモンスターがなにかを切っ掛けにして戦闘態勢に入ったということだ。


「誰がここから出ていい、なんて言ったんだい?」


 そのなにかは、合図を送るように伸びたロゼアンの右腕と見るべきか。あからさま過ぎて戸惑ってしまうほどだ。


 不敵な微笑みを浮かべ、ロゼアンが吐いた台詞は――勘違いでなければ、俺たちを制止するような意味合いが含まれているはずだ。もちろん、無視することだってできる。身勝手な女が意味深に手を挙げて、これまた意味深な台詞で脅している。現状を冷静に俯瞰すれば、この状況でロゼアンの言葉に従う必要性などどこにもない。


 そこらの男衆は一瞥をくれるだけで、黙々と広がった商品を荷台に詰め込んでいるが……おっさんはじっとロゼアンの右手を見つめていた。


「それはなにかの脅しでしょうか?」


「さあ? 君らは道理ってヤツを理解できるんだろ。だったらこの状況の道理ってヤツを後悔しないようによーく考えてみるんだね」


 脅しにしてはあまりに稚拙だ。「従わなかったらとある方法で君たちに危害を加えるからね」と言われても、その危害の内容が具体的に明示されず、そもそも危害を加えるという保証すらない。まだおままごと用の包丁を向けられた方が脅迫として成立する。


 まともな大人なら、こんな子供染みた脅迫に屈することはないだろう。ただの商隊といってもある程度の自衛手段くらいは持っている。刃傷沙汰は御免だが、圧倒的な装備格差の前ではただの村人ごときが勝てるわけなどない。


 が、鼻につくあの臭いだ。あの獣臭を感じずとも、おっさんもまたこの場の異様な空気を感じ取ったのだろう。


 もしも、ロゼアンがモンスターを意のままに操れる術を持っていたら? どのような手段でロゼアンがモンスターを従えているのかは分からないが、ここでこの臭いの主が牙を剥けばまず間違いなく商隊は全滅する。……いや、俺がいれば負けはしないだろうが、おっちゃんや男衆、ロゼアンやこの村の住人に俺の実力の一端を晒さねばならない。


 それだけは避けたい。おっさんたちの命を天秤に掛けても、勇者の亡霊という噂話と俺が紐づく可能性は排除したいのが本音だ。魔族を効率的に狩れるのは連中が俺を見たままの少女と誤解してくれているから、というのを忘れてはならない。


 なによりもこの世界の全容が把握できていないのも痛い。俺が狩り続けている魔族の力量が平均値と考えるのは早計だろう。それに神聖兵装についてもおっさんから聞くまで理解できていなかったように、魔族だけが知る力があるかもしれない。なにせ、これだけ恋焦がれている神聖兵装の使い方さえ知らないんだ。慎重であることに越したことはないだろう。


 では見捨てるか。……いや、それは最後の手段だ。なんにしても聖都ロンドメルまでの足は欲しい。当然、荷台の食料と水、それから俺の荷物を喜んで運んでくれる男衆も。おっさんの商人としての肩書だって、今の俺の身を保証してくれる唯一のカードだ。そう簡単に捨て札にしていいものじゃない。


 仕方ない。俺のキャラじゃないが、演技スキルがあればなんとかなるだろう。


「おじ様、ロゼアン様は私が欲しいのでしょう? でしたら、私を商品として扱わなければ問題ないのでは?」


 これはこれで面倒な選択肢ではあるのだが。俺は内心で辟易としつつも、演技スキル全開でロゼアンに微笑んでみせた。

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