帰祖村

トキ子は、小さなテーブルの前で小さな身体を更に小さくしお茶を飲んでいた。

「失礼します」

開けっ放しの部屋の入り口に立ち声をかける。

返事はないが、拒否している感じも受けない。俺は部屋の中に入りトキ子の前に座った。

「無事、お祭は終わったようですね」

「・・・・」

「この祭りが毎年一回行われるんですね。初めて見させていただきましたが、正直言って俺には理解できないです」

トキ子は、重そうな眼をこちらに向ける。

「余所者が勝手な事をと叱られるのを覚悟で言います。この御地家の子祭りと言うのは奇祭に近いという印象を持ちました。勿論、それぞれの地域で余所者にはすぐに理解できないような祭りもあるでしょう。しかし、この土地の祭りはまるっきりの奇祭だ。五穀豊穣や家内安全、疫病退散などを願うという趣旨もない祭り。この御地家の子祭りとはいったいどんな意味がある祭りなんですか?ここは・・・この帰疎村とは一体・・・・一体何をんですか?」

口の中がからからに乾いていた。何故だか息苦しい。部屋中に漂っている線香の匂いにやられたのだろうか。目の前に座り俺をじっと見据えているトキ子の姿が一瞬ゆがんだように見えた。

隣に座るミヨが「にゃふ」と鳴く。

その鳴き声で我に返った俺は、トキ子をジッと見据える。

トキ子は、とてもゆっくりとした動作で俺にお茶を入れてくれた。とてもゆっくり・・まるで時間稼ぎをしているかのように。

枯れ枝のような手で、俺の前にお茶を置く。

「いただきます」

俺は乾いた口を潤すためお茶を一口飲む。じんわりと口の中に熱い液体が広がっていくが、何故かお茶の味がしない。乾ききった口では味覚が鈍るのだろうか。

「お客さん」

それだけ言うと、トキ子はまた俺の顔をじっと見つめる。

雨はまだ降り続き、サッシにぶつかり幾筋もの雨粒が流れている。外は薄暗く、室内は電気をつけないといけない。今が昼なのか夜なのか分からなくなる。簡易的に作られた祭壇の上には、角の取れた丸い石が置かれていた。大きさは単行本ぐらいの大きさだ。

(石を崇めているのか?)

あの石にどういう意味があるのか興味がわいた俺は、トキ子に聞くため口を開こうとしたが、それよりも先にトキ子が口を開いた。

「あんたがこの村に来た目的は、この村の事と影来神社の事を知りたくて来たんだろう?なら教えてやる」

トキ子はお茶に少しだけ口をつけ、コトリと湯飲みを置いた。

「この村はね・・この帰祖村はね、狂った村なんだよ」

「狂った?」

「そう。帰祖村の祖は疎ではなく先祖の祖だ。途中から変わってしまったけどね。まぁそんな事はいい。村が・・いや、村人全員が狂とった。人を人と思わん事を平気でする。それが平然とまかり通っていたんだ。恐ろしい」

そう言って、皺くちゃの顔をくしゃりと歪める。

「どういう事です?話がさっぱり分からないんですが」

「昔ね、この村には拝み屋一族が暮らしてた。占いや祈祷、相談に来た人へ助言。果ては、亡くなってしまった人からの伝言を伝える。神と崇められるほどの力を持った一族だった。その中でも、曾祖母の力は絶大だった。どこの家庭でもそうだが、一人ぐらいずば抜けて頭がいい奴がいる。そんなところだね。あの人の力は、人の過去が見え考えていることが分かった。気持ち悪いぐらいに当てるんだよ。だから、誰も曾祖母に逆らう者はいなく、絶大なる信頼を置いていた。この村の住人だけでなく隣の村から、果ては県をまたいで来る者もいた。百目鬼旅館は結構繁盛しただろうね。小さい旅館だったから、村人達全員が協力し、来訪者を家に泊めたりもしていたんだよ」

「そうなんですか」

俺は、旅館の上がり框にある10足以上のスリッパを思い出した。

「名前は何だったか・・・確か・・ああ!思い出した。曾祖母はことりと呼ばれてたんだ」

「ことり?」

「そう。それは名前ではなく愛称みたいなもんさ。どうしてことりなのかは知らんがね。ばばぁに対してことりなんてアホか。そう思ってたのを思い出したよ」

「はぁ」

意外に辛辣なところがあるらしい。

ことり・・・ことり・・・どこかで聞いたような・・

「でもね、たとえどんなに神がかった力を持っていたとしても、所詮人間なんだ。間違えることもある。ある日、隣村の村長が、自分の娘に婿を取るという相談を受けたんだ。三人の男のうち、誰が一番娘に適しているか。時期村長として村をまとめられるのは誰か。そんな相談だった。恐らく村長は、三人の男はどんな男なのかを視てもらいたかったんだろうね。隣村の村長の相談だ。帰祖村の人達も注目してな。なぜなら、帰祖村は隣村からヒノキを貰っていたからなんだ。ヒノキをもらう代わりに、こちらは技術を提供する。そんな関係で成り立っていた。だから、ここでことりが言った言葉がずばり的中させたら、その後の関係が更に良好になる」

「まさか・・・」

「そう、そのまさかだよ。ことりは間違えた。三人の内ことりが選んだ一人は、酷い酒乱だったんだ。酒を飲まなければ穏やかで頭の良いやり手の男なんだけどね」

「今までその男は酒を飲んだりしなかったんでしょうか。過去が分かるなら、酒乱で暴れた過去が分かると思いますが」

「それがね、その男は結婚してから酒を飲むようになったのさ。貧乏な家の出でね。酒なんて買えなかったんだろう。でも、村長の家に婿入りすれば金がある。初めて酒が飲めるという訳さ。聞いたところによると、コップ一杯でも飲むと人が変わったように暴れ出したそうだ。怒った村長は、今後一切帰祖村にヒノキを渡すことを拒否した」

トキ子は、ゆっくりとお茶を飲み口を潤した後話し出す。

「それからだよ。村人達が拝み屋に対して敵意をむき出しにしたのは。この村は木材加工の職人ばかりだったからね。自分の食い扶持が減るんだ。そりゃあ怒るだろうよ」

「で、でも・・材料はヒノキだけじゃなく、別の木で出来ないんですか?杉とか楢木とか他にも沢山あるはずだ」

「わしもそう思ったさ。でもね、職人と言うのは意外に難しい人間が多いんだよ。自分の腕に自信があるからこそ、良い素材を使いたい。使わなければ自分の腕が泣く。そんな考えなのさ」

ゆっくりと窓の方に顔を向ける。窓に打ち付ける雨が強くなったような気がする。この村に来て、雨ばかりだ。太陽はどこへ行ったんだろう。

俺はそんな事を考えながら、またトキ子の方へ顔を戻した。

「それからさ、村人達の拝み屋に対する嫌がらせが始まったのは」

「嫌がらせ?」

「ああ。話をしないのは勿論だが、百姓をやらない拝み屋には、今まで米や野菜を渡していたんだが、それらを一切渡さなくなった。家に石を投げたり、他にもそりゃあ酷い仕打ちをしたもんさ。村八分にした方がどんだけましだったかと思うね」

皴だらけの口をぐっと前に突き出し、憤怒と悲しみが混ざったような顔になる。

「そんな・・それまでは村の人達は、拝み屋の人達のおかげで潤っていたわけでしょう?百目鬼旅館もそうだ。沢山のお客さんが来たはずだし、木で出来た置物も売れたりしたんじゃないですか?」

「ああ、そりゃあ飛ぶように売れたさ。拝み屋に内緒で、小さな置物を作り拝み屋の力が入った置物だ。これを持っていれば幸せになれると言って売ってたそうだし、かなり儲けただろう」

「それなのに・・・」

「それが人間なんだよ。良い時は神のように崇め、悪くなると蔑む。本当に恐ろしいものだよ」

トキ子はゆっくりと目を閉じると、また時間をかけゆっくりと目を開けた。

「だから狂ってると言う事なんですか?」

「それだけだったらまだ狂っちゃいないさ。どんな嫌がらせを受けたとしても、拝み屋にはなんてことない事だったんだ。何故なら、食べ物を分けてもらえなくても、他所から拝み屋を頼って来る人がいるからね。収入はあるわけさ。それに、どの村にも村八分なんてものはいくらでもあるからね」

「じゃあ、どうして狂ってるなんて・・・」

「・・・・・・」

トキ子は突然黙り込んだ。雨の音が激しくなる。俺の隣に座るミヨは、顔と体の毛づくろいをしている。

「ある日、拝み屋の連中がバタバタと倒れた」

「え?」

「原因は・・・村人達が毒を盛ったからだよ」

「ええ?!毒?」

「ああ。村人達が野菜やら米やらの食材を持ってこなくなったと言っただろう。でも、なぜかあの日、村人が籠いっぱいに野菜を持って行った「今まで無下にしちまって申し訳なかった。これはお詫びの印だ」と言ってね。拝み屋は喜んでそれを受け取り・・・食べた」

「・・・・・・・」

「死んだよ」

「・・・死んだ」

「拝み屋は三世代が大きな家に住んでいたんだ。曾祖母のことりに、その娘夫婦と子供のルナだ」

「ルナ?!」

「そう。だが、ルナとことりは助かった。ルナは風邪をひいて寝込んでいて食事をとらなかったらしい。ことりも食べなかった。何故食べなかったのかは分からん。まぁ人の考えていることがよめる人だからね。分かったのかもしれん」

トキ子はゆるゆると頭を振る。


「・・そんな事って・・・」

余りの事に喉がひりつき上手く声が出ない。俺は急いでお茶を流し込むと

「それは犯罪じゃないですか!その後はどうなったんです?!」

「どうにもならないさ。証拠がないんだ」

「証拠って・・警察に言えば死因が分かるでしょう」

「警察になんて言えなかったのさ。と言うより、言えなかった。電話なんてなかったからね。警察に行くには村を出なきゃいけない。この村には駐在所がないからね。村を出るには、あの未帰橋を渡らなくちゃいけない。それは知ってるね?」

「はい」

「村人達は、夜通し交代で橋の上で見張り番をしたんだよ。残った二人が警察に知らせないようにね」

「なっ?!」

信じられない。この閉鎖された村の中で行われた殺人。

「その後、残った二人はどうなったんです?」

「ひっそりと片寄せあって暮らしていたよ。もうとっくに死んじまったがね」

なんてことだ。特異な力を持って生まれた来たがために天国と地獄を見た一族。いや、拝み屋が悪いんじゃない。この村だ。この村の人達がおかしいんだ。

「狂ってる・・・」

俺は思わず口に出した。

「ああ・・ああ。本当に狂った村なんだよ。あんたは影来神社に行ったことがあるかい?」

「え?は、はい」

「あそこにはね、神主さんがいたんだよ。確か名前は・・・白田さんだ。感じのいい人でね。とても柔らかい印象の人で、この人の前では何でも喋っちまうほどに優しさと不思議さに満ち溢れた人だった。確か、男の子が一人いたね。母親はその子を産んですぐに死んじまったんだ」

トキ子はそこで話を切るとお茶を一口飲む。

「白田さんは生まれつき色んなもんが視えた。その人の過去や考えている事がね。あそこの家系は拝み屋と違って男がその力を持つらしい。でもね、それがとても辛いらしいんだよ。確かに、知らなくていい事と言うのは世の中には沢山あるからね。知らなければ上手くいく事もあるし、知ったことで上手くいく事もある。わしは白田さんに言ったことがある。そんなに辛いのなら、例え分かったとしても黙っていればいいんじゃない?とね。白田さんは優しく微笑んでこう言った「そうかもしれないが、人は必ず陰と陽がある。その陰の部分をこの神社ですべて吐き出し陽としてほしい。難しい事だけど、人は必ず出来る。だから私は話をするしこの神社にいる」とね」

「あ・・・もしかして、日向神社は陽で影来神社は陰と言う事ですか?」

「そう。影来神社は日向神社の裏にくっつくようにしてある。正に、陰と陽だ」

「その影来神社と御地家の子祭りは何か関係があるんですか?」

達郎が突然、影来神社付近で倒れ込んだのを思い出したのだ。

「・・・・・・・」

トキ子は目を伏せ黙り込んだ。それ以降、俺が何を言っても口を開かない。

困り果てた俺だったが、粘り強く聞いてみた。

「・・・じゃあ、一つだけ、一つだけ教えてください。今回御地家の子祭りに参加して、不思議なことがあったんです」

トキ子の眉がぴくりと動く。

「達郎さんが各家を周って、影来神社の側まで行った時です。達郎さんは体調が悪くなったのか分かりませんが、倒れ込んでしまったんです」

トキ子は俺をじっと見据えながら話を聞く。

「俺、驚いて達郎さんの元へ行こうと思いましたが、辞めたんです」

「うん。やめて正解だね」

「暫くすると達郎さんは立ち上がり、影来神社の方に向かって歌を歌い出しました。大丈夫だったのかとホッとしました。その時です。俺の後ろから誰かが来た。俺は誰が来たのか見るため後ろを振り向こうとしたんです」

ごくりと俺の喉が鳴る。

じめじめとした空気がどこかから流れてくる。そのお陰で体がじっとりと濡れ気持ちが悪い。

「俺の・・あの時、俺の後ろにいたのは誰だったんですか?」

トキ子は口をもごもごとしていたが、やがて

「あの橋を・・あの未帰橋をよく見てごらん」

「え?未帰橋をですか?」

大きなため息をついたトキ子は

「すまんが休ませてくれないかね」

と疲れ切った声で言った。

「え、でも・・・」

どういう事なのか聞きたかったが、俺はそれ以上聞き出すことをやめた。

都合が悪いのか、言いたくないのか分からないが、肝心なところではぐらかされたり逆に質問されたりする。無理に聞き出そうとしても決して話してくれないだろう。ここまで聞けただけでも良しとしなくてはいけないかもしれない。

俺は隣で丸くなって寝ているミヨを抱き部屋を出た。

出る時にチラリとトキ子の方を振り向き見る。トキ子はその場に座ったまま窓の方を見ていた。その横顔は、何故か悲しそうな表情をしていた。













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