御地屋の子祭り

「お客さん!お客さん!」

ゆさゆさと身体を揺さぶられた俺は、心配そうに覗き込む瞳に起こされた。

「あ・・・あれ?」

「あれ?って・・ははは!お客さんは寝相が悪いんですか?それとも夢遊病の癖でもあるんですか?」

「え?・・あ」

慌てて起き上がった俺は辺りを見回す。

「こんな廊下で寝てたら、いくらまだ夏だと言っても風邪ひきますよ?」

着物にたすき掛けをした瞳は、雑巾を手に呆れたように言った。

「・・はい・・あ、あの、ミライ様は」

ルナの姿が何処にもない。昨日の夜ここに来たはずなのに。

「ミライ様?ああ、いらしてますよ。もう主人と一緒に祭りに出てます」

「ええ?!もう?ま、祭りに出るのは達郎さんだったんですか。それにしてもこんな早く・・今何時ですか?」

百目鬼旅館の女将は、その家の最年少の者と言っていたのでてっきり梨花だと思っていた。

開け放たれた玄関の外はまだシトシトと雨が降り続き、ヒンヤリとした湿った冷気が入って来る。ほんの少し明るいのは、夜が明け始めているからだろう。

「今は5時20分ですよ。祭りは日の出と共に始まるんです。主人から聞いてませんでした?」

「・・こんなに早く・・あの、ご主人はサイの子の家の人は外に出られると聞きましたが、俺も出ていいんでしょうか」

「う~ん。家族ならともかく、お客さんはねぇ・・」

右手を頬にあて首を少し傾げて考える。

「見たきゃ見てきんさいな」

「え?」

声のする方を見るとトキ子が立っている。昨日と同じ色の褪せた茶色の着物を着て、真っ白な髪を一つに束ねている。

「まぁ・・お義母さんがいいって言うならいいんじゃないかしら?さっき家を出たばかりだからまだその辺りにいると思いますよ。でも、遠くから見るだけでお願いしますね。あくまでも一人で周らなくちゃいけないから」

瞳は不承不承と言う風に言うとキッチンへと消えた。姑の言う事はこの家では絶対なのかもしれない。瞳に悪いことしただろうか。

俺は慌てて正座をすると、トキ子に向って

「決して祭りに支障が出るような事はしません。遠くから見学させていただきます」

と頭を下げると、着替えもせずに靴を履き「借ります」と手近にあった傘を取りそのまま玄関から飛び出した。


日の出の時間はとっくに過ぎているはずだが、雨が降っているせいでやけに薄暗い。昨日より勢いが弱まっているので助かるが。

「何処だ?」

瞳は、まだ近くにいると言っていた。田舎の事、高いビルがある訳でもないので直ぐに見つかると思い辺りを見回した。

・・・いた。

音もなく降る雨のカーテンの向こうに白い長襦袢を着た達郎が、体に合わない小さな黄色の傘を差し歩いている。自分の家から出発しどういうルートで周るのかは知らないが、東の山の方向へと向かっている。

「あれ?」

達郎から100m程後方に同じ黄色の傘を差した人がいる。体と傘のサイズが合っているので、梨花だろう。

「梨花ちゃん?何であんな所に?」

俺は、その二人から更に距離を取りながら歩く事にした。

「にゃふ」

「え?うわ、ミヨ。お前ついて来たのか」

雨にぐっしょりと濡れたミヨが、俺の隣を歩いている。俺は慌ててミヨを抱きかかえた。

「震えてるじゃないか。風邪ひいたらどうするんだよ」

ミヨの身体を包み込むように片手で抱く。Tシャツが濡れて冷たくなってくるが、このままミヨを雨の中歩かせるよりはいい。犯人を尾行する刑事の気分を味わいながら、慎重に足を進めていく。

年に一度の祭りの主役。しかも一人っきりで村を周らなくてはいけない事に、達郎が緊張しているのでは・・と思ったが、背筋を伸ばし足取りもしっかりとしている。どうやら大丈夫そうだ。逆に、その後ろからついて行く梨花の方が少し不安だった。道端の草や花を取ったり、わざと水たまりに入ったりと落ち着きがない。それでも達郎との距離が離れると、慌てて追いかけて行ったりしている。何のために、達朗について行ってるのか・・一人だけの参加ではなかったのか。

それにしても、本当に不思議な祭りだ。提灯もなくやぐらもなく屋台もない。普段通りの田舎の道をただひたすら歩き周るだけ。

「コレが祭りなのか・・・」

世の中には自分の知らないことが沢山あるもののだと、心から思った。

そうこうしている内に、村の一番東にある家の前に達郎は到着した。

門扉は閉じられ、雨どいも閉められている。中には家人たちがいるはずだが、三つの決まりを守りジッと息をひそめているのだろう。家自体も、達郎に悟られないよう眠っているかのように見える。

閉じられた門扉の前に到着した達郎は、かかとを上げ下げし、身体全体で調子を取り大きな声で何か言い始めた。

歌だ。歌を歌っているのだ。

低い歌声が柔らかく降る雨と共に、俺の元まで聞こえてきた。

大の大人がやる事かと、俺は見ていて恥ずかしくなる。


「どんぶらり~どんぶらり~。今宵のコトリのご機嫌は~良いか悪いか誰が知る~サイコロ振って~怖い夜明けがやって来る~今度の出番は梨~花だ!」


達郎は歌い終わると、深々と一礼し歩き出した。

何だあの歌は。メロディーは「かごめかごめ」だけど全く歌詞が違う。

替え歌・・御地家の子祭りの為に歌詞だけ作り直したのか?今年来たのは梨花だ。と言うフレーズも気になる。

百目鬼旅館の女将さんが言うには、この村には八世帯の家があるという。田舎らしく一軒の敷地が広く隣家ともかなり離れている。

1時間ぐらいで祭りは終わると言っていたが、この雨の中家から家へと周るとしたらそれ以上の時間がかかりそうだ。

「え?」

達郎の様子がおかしい。

先程までしっかりとした足取りで歩いていた達郎が、持っている傘をクルクル回したり、それほど広くない道を右へ左へと蛇行しながら歩き、水たまりの水を蹴飛ばしたりしている。

まるで、

逆に梨花はというと、遊びながら歩くのをやめている。しっかりと達朗を見てゆっくりと歩いている。

「どうしたんだ?二人が入れ替わっみたいだ」

突然の異変に俺は慌てた。

「あれ?」

達郎が、道路に傘を置きしゃがみ込んだ。カエルでも見つけて捕まえようとしているのか、せわしなく道路を叩いている。

黄色い傘がなくなった事で達郎の背中が露になる。

「あれは・・・?」

焦げ茶色のこけしのような物が達郎の背中全体を覆っていた。

「何だアレ」

俺は達郎の背中にある物の正体を確かめるため足を速めた。その分、梨花との距離が縮まってしまうので、慎重に間合いを取りながら近づいて行く。


雨は弱くなったり強くなったりと気分屋な降り方をしている。出来ればやんで欲しいが、空いっぱいに広がる黒い雲は言う事を聞いてくれそうにない。

ある程度近くに行ったことで、達郎の背中にいるものがこけしではないと言う事は分かった。でも、距離があるためはっきりとは確認できない。丸太のような・・いや違う。何か歪な形のモノ。

仕方なく俺は、祭りの様子を見守ることにした。

まるっきり子供のようになった達郎は、楽しそうに弾みながら歩いて行く。

一軒一軒の門扉の前で体で調子を取り元気よく歌っていく。

三人しかいない村に響く歌声を聞いた俺は気がついた。

「あれ?もしかしてこの歌は、達郎さんが昔ミライ様が来た時に聞いたっていう歌なんじゃないか?」

可能性はある。最後に「後ろの正面」と言う歌詞。そう達郎は言っていたからだ。

「この歌だったんだ」

俺は、世間一般に知られている「かごめかごめ」の歌を思い出す。


(かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面誰)


2番があるかどうかは知らないが、かごめかごめと聞けばこの歌だ。

この歌で遊んだことはないが、小学生の頃女子が遊んでいたのを見た事がある。

「それにしても、縁起の悪い歌だよな。カメと鶴なんて縁起物だろ?それが滑るんだぜ?なぁミヨ」

腕の中で、大人しくしているミヨは俺を見上げ「にゃふん」と鳴いた。


順調に祭りは進み残り二軒となった達郎は、北東の山の麓に近い家の方に向かっていく。村を一周すると言うのだから、そこから北にそびえる山沿いを歩き西に流れる古里川べりに沿って歩いて家に戻るのだろう。つまり、村を反時計回りに周るのだ。

「ん?」

先程まで右へ左へと遊びながら子供の様に歩いていた達郎が、上半身を前にかがめ両腕をだらりと垂らし足を引き摺る様に歩いている。

突然の異変に驚いた俺は不安になった。

咄嗟に後ろからついて行っている梨花の方を見る。

梨花は立ち止まり、おかしくなった達郎の方を身動きせずに見ている。

「どうしたんだ?達郎さん。具合でも悪くなったのかな」

助けに行った方がいいのか。それともこのまま見守るか迷った。下手に声をかけて、祭りを中断させてしまったとしたら責任が取れない。このおかしな祭りにもきっと意味があるのだろうから。

「でもなぁ・・・」

考えている間も、達郎の様子はおかしくなる一方だ。遅くなった歩みは次第に止まり、遂には膝をついてしまう。崩れるように両手を地面につけ、四つん這いになった達郎は苦しそうだ。

背中に背負っている茶色いものが激しく上下している。

「これはヤバいんじゃないか?絶対行った方がいいよな?ミヨ」

「・・・・」

ミヨは、鳴くことなく俺の顔をじっと見ているだけだ。

「ミヨ?」

「・・・・・」

「分かったよ。もう少し様子を見よう。少し経っても変わらないようなら俺は行くからな」

「にゃふ」

良しと言う様にミヨは返事をした。


雨が激しくなってきた。

傘では防げない雨が足元をびっしょりと濡らし、冷たさが体の方にまで上がって来る。

「達郎さん大丈夫かな。まだ立ち上がらないけど・・」

もしかして、何か持病でも持っていてその症状が出たのだろうか。俺は何度となく走り出そうと考えるが、年に一度の祭りと言う言葉にブレーキを掛けられる。祭りは儀式でもある。その地方に昔から伝わる儀式。

どんなにおかしな祭りにもちゃんと意味がある。それを余所者の俺が台無しには出来ない。

歯がゆい思いを押し殺しながら、達郎を見守る。

(そうだ梨花は・・)

梨花の事を思い出し視線を梨花の方へやる。梨花も相変わらず微動だにせず、ジッと達郎の方を見ている。

(やっぱり声を掛けちゃいけないんだ)

地元の子供がそうしていることで、自分自身を納得させる。

その時だ。

俺の後ろから、雨の音に混ざって何かが聞こえてきた。

ざりゅ、ざりゅ、ざりゅ。足音?でも、足音にしては変な音だ。

ざりゅ、ざりゅ、ざりゅ。音が近づいてくる。なんだ?やけに背中がぞくぞくする。

ざりゅ、ざりゅ、ざりゅ。音がさらに近づき、もう俺のすぐ後ろにまでソレは来た。

咄嗟に俺は、傘越しに後ろを振り向こうとした。

「見・る・な」

「!!!」

男とも女ともつかないしゃがれた声が、俺のすぐ後ろから聞こえた。

飛び上がる程驚いた俺は、反射的に背筋をピンと伸ばし顔を前に向ける。身体の中に鉄の支柱をズドンと入れられたかのように真っ直ぐに立ち固まる。

誰だ?誰だ?外に出てるのは俺と梨花ちゃんと達郎さんだけ・・瞳さんか?それともトキ子さん?

声に出して聞きたくても、何故か「ひゅ~ひゅ~」という掠れた空気が漏れるだけで声が出ない。冷えた体からじっとりと玉のような汗がにじみ出て来る。

自分の背中にピッタリと寄り添うように誰かがいる気配がする。

呼吸がしずらい。苦しい。俺は喘ぐ様に息を吸う。


「どんぶらり~どんぶらり~。今宵のコトリのご機嫌は~良いか悪いか誰が知る~サイコロ振って~」


突然達郎の歌声が聞こえてきた。

かかとを上げ下げして体全体で調子を取り、斜め上を向いて歌っている。

達郎が見ている先は、日向神社の裏山の方。そうだ。あそこだ。あの裏の方に入った所に影来神社あった。

では達郎は、影来神社に向かって歌っているのか?


「怖い夜明けがやって来る~今度の出番は~」


達郎はそこでピタリと歌うのをやめた。

「?」

達郎は、少しだけ上げた顎をそのままに、まるで回る台に乗っているかのように体全体をゆっくりと俺の方に向ける。

「え・・」

笑っていた。

遠くから見てもはっきりと分かるほど、口をにんまりとさせ笑っている。目玉は左右が、それぞれ意志を持っているようにグルグルと動く。

え・・・な・・なに・・

金縛りにかかったように体が動かない。全身から噴き出す汗が止まらず、見開いた目に入り視界がゆがみ痛い。

「今度の出番は~」

また達郎が歌い出した。そして、ゆっくりと両手を持ち上げ自分の目を覆い隠すと、口を「お」の字にして

「次はお前の番」

自分のすぐ耳元で声がした。

「ひっ!!!」

さっきの声と同じ、男とも女ともつかない声。地底から響くような、水の中から聞こえるようなゴボゴボとくぐもった気味の悪い声。

~次はお前の番~

何処かで似たような言葉を聞いた。

そうだ。ルナだ。初めてルナと会った時、俺に言ったんだ。

~次は貴方の番ですが、私が助けてあげますから~

俺の番・・・

やはり地蔵の呪いには抗えないのか。いや、まだ分からない。まだ俺は、この土地に来て何もしていない。村の事やあの地蔵達の事も全て分かったわけではない。これからだ。

恐怖と不安と焦りでこのまま逃げ出したい衝動を必死に抑えるため、頭と心の葛藤を始める。

その時だ。

「梨~花だ!」

大きな声で梨花の名前を言った達郎は、深々と山に向かって一礼すると、ゆっくりと次の家を目指して歩き出した。

「あ・・・え・・?」

達郎は、何事も無かったように歩いていく。

さっき俺の方を振り返ったのは?左右の目玉がグルグルと回っていたのは?おまえの番と言ったあの声は?幻?幻聴?

頭が痛くなるほど混乱してくる。ただ分かっているのは、今の達郎は四つん這いになり、苦しそうに身体全体で呼吸していた事等なかったかのように傘を差し、道端の花や虫に気を取られ楽しそうに歩いていると言う事だ。

一体何だったんだ・・

突然の達郎の異変、自分の真後ろから聞こえた声。突如この祭りが、とてつもなく恐ろしく感じられる。自分で決めたと事とはいえ、良く調べもせずにこの村に来た事を後悔する気持ちまで湧いてくる。

ざりゅ、ざりゅ、ざりゅ

先程の聞こえてきた足音が遠ざかって行く。

ざりゅ、ざりゅ・・・

足音は小さくなり、雨の音にかき消されていった。

氷を入れられたかのように冷たかった背中に、徐々に体温が戻っていく。

体全体に力が入っていたのか、ミヨが苦しそうに「にゃぐ」と鳴いた。

このまま逃げてしまおうか。それともこのまま祭りに参加し続けるか。ごくりと唾を飲み込む。汗が止まらない。

怖い。

後ろを振り向く事も、声を出す事も出来ない俺は成す術なく立ち尽くすだけ。また、腕の中のミヨが苦しそうに「にゃぐ」と鳴いた。

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