トキ子

俺は、辺りを伺うようにして家の奥の方へと歩いて行った。

二世帯の家庭は二階建てだと、大抵年寄りは一階の部屋で若い夫婦は二階になる。この家は平屋だから、恐らく一番奥の部屋。勝手に家の中をウロウロするのは失礼かと思ったが

(御地家の子祭り意外にも、あの神社の事を聞けるかもしれない)

と、はやる気持ちを抑えながら歩いていく。家の奥に行くにつれて線香の匂いがきつくなり、低い唸り声が聞こえてくた。

(声が近くなってきた。と言う事は・・・ここか)

家の北西にある部屋にたどり着く。襖が開け放たれており、そっと覗くと6畳程の部屋が広がり、北側に設けられた簡易的な祭壇に向かって、一心不乱に祈りをささげている老婆の姿が見えた。この人が達郎の母親なのだろう。

背中を向けて座る母親は茶色の着物を着て頭を垂れ、小さい体をさらに小さくして祈っている。信心深く祈る人に声をかけていいのか暫く逡巡したが、やがて思い切って声をかけた。

「あの・・・こんにちは」

俺の声に反応したのか、唸りのような祈りがピタリと止みこちらにゆっくりと顔を向ける。

「あ・・・」

次の言葉が出なかった。

一心不乱に祈り続けているせいか、ほつれた髪が頬にかかり額には玉の汗、目は血走り口がへの字にひん曲がっている。本当に失礼かとは思うが、鬼の形相、醜い老婆という言葉が当てはまるような容姿である。

「どなたさんかね?」

年の割には若々しい声だ。達郎もそうだったが、遺伝だろうか。

母親は、右手を軸に体を俺の方へと向ける。

「あ・・すみません。百目鬼旅館に泊まっている者ですが、うちの猫がこちらにいる猫と遊ぶと言う事になって・・・」

からからに乾いた口の中を何度も湿らせながらなんとか説明する。

「ああ。また梨花が勝手に連れてきたんだね?それはご迷惑をお掛けして。私は梨花の祖母のトキ子と申します」

畳に頭が付きそうなぐらいに深々と頭を下げる。

「あ・・いえ。こちらこそ、ミヨはいつもうちの中にいるものですから、遊んでもらえればミヨも喜ぶと思いますから」

慌てて部屋に入り、トキ子の前に正座をし頭を下げる。

「・・・お客さんは猫の付き添いですのん?」

乱れた髪を手で直しながら、頭を上げたトキ子は言う。

「え?あ、まぁそうです。先程梨花ちゃんのご両親とお話をしたんですが、明日の御地家の子祭りにこちらの家が選ばれたとかで。話の流れで、ご主人のご厚意でこちらに泊まることになったんですが・・・」

「ああ。そうですかい。今年はうちが選ばれたというので浮かれとるんでしょう。そんな名誉なことでもないのに」

「そうなんですか?参加者が一人という祭りに選ばれるなんて名誉に近いと思いますが。まゆ婆でしたっけ。その人が知らせに来るんですよね?不思議と言うか神秘的と言うか・・」

「神秘的・・・ふん」

トキ子は、くだらないというように鼻を鳴らした。

「確かに、祭りの主役が、まゆ婆なんて得体のしれない者が知らせに来るなんて事に、そう感じるかもしれないが、この祭りの真意を知ったらそんな風には思わん」

「真意?」

「本当の意味だよ」

血走った眼で、俺をねめつけるようにして見たトキ子は

「お客さんは何も知らずにこの地に来なさったんで?」

「・・・・・」

確かに俺はこの村の事を何も知らない。あの神社の事を調べるために来たなどと言ってもいいのだろうか。俺が答えに困り黙っていると

「悪い事は言わないから、今すぐにでも村を出んしゃい」

「え?」

「何も知らんよそ者が祭りに参加するのは、お勧めせん。ましてやサイの子の家に」

「サイの子・・」

「祭りに出る子供の事を言うんだよ。サイコロという意味さ」

「サイコロ・・何でサイコロなんです?」

「そんな事、お客さんが知る事はない」

そう言った後、トキ子は言葉を切り俺の顔を食い入るように見る。暫くして皴が寄った口を開くと言った。

「・・・お客さんはいつ発つんですん?」

「え?・・・一応百目鬼旅館には一週間お世話になろうと思ってますが・・」

「一週間・・・」

何やら考えていたトキ子は座り直し、俺を真っ直ぐ見ると

「お客さんは何の目的でこの村に来なさった?」

「え?」

「観光名所でもない。見るところもないこの場所に何の目的で来なさった?ましてや、御地家の子祭りの事も知らんかったんだろう?」

話をはぐらかされているのだろうか。中々上手く会話が成立しないことにイライラしつつも、俺は冷静を保つ為トキ子にばれないよう深呼吸をした。

ここは、自分の目的をはっきりと言った方が、この後の行動がしやすくなるかもしれない。

そう考えた俺は、思い切って切り出した。

「実は、以前仕事でこちらに来たことがあるんです。高野というパートナーと一緒に来たのですが、東京に戻った翌日に高野が事故に逢いました・・・」

俺は今までの事をかいつまんで話をした。ルナの事は一応伏せておいて・・

「ふん。なるほどね。そりゃあ、あんた。行っちゃならん所に行ってしまったからさ。その神社は影来神社といって地元のわしらも絶対に近寄らん場所。いや、近寄っちゃいかん場所」

「地元の人でも・・・どうしてなんです?あの大量の地蔵達は何なんですか?後、賽銭箱の上に座っていた日本人形は?教えてください」

「・・・・・・・」

しかめっ面をしたトキ子は、骨ばった皺くちゃの指で首元を掻くと

「どうしても帰らんのか」

「はい。帰りません」

「・・・・まぁ、。なら、自分の目で確かめるといい。今日、うちに泊まると言う事ならおのずと分かってくるだろうし」

答えにもならない事を言ったトキ子は、左腕を軸にくるりと祭壇の方へ体を向けると、また頭を垂れ低い唸り声を上げて祈りだした。

「そんな・・・」

聞きたい事は沢山ある。あるが、この様子だと、話してはくれなさそうだ。それは俺がよそ者と言う事もあるだろうし、トキ子の態度からして、御地家の子祭りの真意というものが五穀豊穣や家内安全などと違い良くない事だからだろう。

祭りの本当の意味とは・・

「・・失礼しました」

焦れったさに支配された気持ちを何とか抑え、

祈りを続けるトキ子の背中にささやくように言うと、俺はそっと部屋を出た。

激しく振り出した雨の音がやけに大きく聞こえてきた。


その日の夕食はとても豪華なモノだった。

達郎は若い時、隣町の方で板前として働いていたという。和食専門の店だったそうだが、洋食も得意だという。普段は瞳が食事の用意をするのだが、特別な日(誕生日やお祝い事等)は達朗が腕を振るうという。

その言葉通り、リビングの大きなテーブルの上には和洋折衷の素晴らしい料理が並んだ。

「ささ、遠慮せずに召し上がってください」

エプロンを外しながら、達朗が俺の隣に座り進めてくれる。

「はい。それにしても豪勢な料理ですね。初めて見る料理も沢山あります」

「ははは。創作料理が好きなものでね。あれこれと考え作るんですよ。さ、どうぞ」

渡されたコップに並々とビールが注がれる。

その後、梨花とトキ子。瞳が席に付き楽しい食事が始まった。

食事中の話題というと、専ら俺の仕事の話や好きな女性のタイプなどの話になる。やはり、余所者の事はしっかりチェックしておきたいのだろう。俺は聞かれるがままに全て正直に話した。

「ははは!!女優みたいな女なんてそうそう捕まえられないよ。ははは」

達朗は顔を赤くして豪快に笑う。

「はは。そうでしょうね。あくまでも希望で、絶対条件ではないんですが」

俺は、チラリと瞳を見た。

モデルのようなスタイルに、誰もが目を引くような美しい顔をしている。こう言っちゃ悪いが、こんな田舎に何故嫁いだのかと不思議なぐらいだ。

「私はね。大きくなったら獣医さんになるの!!」

口に食べ物を沢山頬張った梨花が、突然宣言するように大きな声で言った。

隣りで3匹仲良くご飯を食べていたミヨとクロ、タマも驚いて顔を上げる。

「そうかい。そうかい。梨花ちゃんは大きくなったら獣医さんになるのかい。そりゃあ大変だ。たぁくさんお勉強しないといけないよ」

梨花の向かいに座るトキ子は、目尻を下げ何度も頷きながら言う。孫が可愛くて仕方がないという風だ。先程の鬼の形相なんかではなく、とても優しい表情をしている。

「うん!たくさん勉強する!」

そう言うと、大きな唐揚げをフォークで刺し口の中に入れた。

「ははは。お客さん驚かせてしまってすみませんね。梨花は毎日夕飯時には必ず言うんですよ」

瞳が困ったように、だが嬉しそうに笑いながら言う。

「毎日ですか」

「ええ。前にタマがお腹を壊した時、隣町の獣医さんの所へ梨花と連れて行ったことがあったんです。その時に、自分も獣医さんになるんだって。余程素敵に見えたんでしょうね。それから毎日ご飯時に言うようになって・・・」

「そうですか。でも梨花ちゃんならなれそうですね。動物が好きみたいだから」

「うん!私動物好きだよ。虫も好きだし、鳥も好き」

「じゃあ大学まで行かせなきゃいかんな。こりゃあ大変だ。ははは!!」

ゆでだこのように赤い顔をクシャりとさせ笑う達朗は、とても嬉しそうだ。

突然訪ねてきた俺にも、とても優しくしてくれる梨花の家族。久しく忘れていた家族というものに触れた俺は、大阪に住む両親の事を思い出していた。


お客様だからと達郎は、俺を強引に一番風呂を薦める。恐縮しながら脱衣所に入ると、戸の隙間から達朗が顔だけ出し言った。

「今夜遅くにミライ様がいらっしゃるんですよ。俺は未だに怖くて駄目だが、お客さんはミライ様を見るかい?」

「えっ!!見る事なんて出来るんですか?」

達朗はニヤリと笑い頷くと

「気になるんでしょ?サイの子の家は玄関を開けっ放しにしとかなきゃいけないから、そこで待っていれば会えますよ」

「・・そうですか」

俺がこの町に来た目的をトキ子に聞いたのだろうか。

実際、御地家の子祭りは後から知った事で本当の目的はあの神社なのだが、まぁいいだろう。この土地の事を知る事も目的の中に入っているから。

大きな檜風呂に身体を沈め~申し訳ないが、百目鬼旅館の風呂より立派だ~これから会えるだろうミライ様について考えた。


部屋に戻ると布団が一組敷いてある。羽毛布団とかではなく、昔祖母の家にあったような真綿の布団。適度な重さがあり俺はこの布団が大好きだった。

連日の酒の飲み過ぎもあり、直ぐにでも布団に入り眠りにつきたかったが、俺は手帳を取り出しこれまでに知りえた事を書き足す。


この町で行われる御地家の子祭りについて。


年に一度しか行われない事。

祭りの参加は一人だけという事。

祭りが終わったことを影来神社の白田と言う神主が太鼓を叩いて知らせる。

参加する子供を選ぶのはまゆ婆という事。

まゆ婆から知らせが来たら二日後に来るミライ様を迎えるため、ご馳走を用意する事。

祭りに参加しない家庭は、水を飲まない。声を出さない。外に出ないという決まりがあること。

祭りに出る家は水を飲まないと言う事だけ守ればいい。

祭りに出る人の事をサイの子と呼ぶ。

サイの子がいる家は、前日の夜玄関を開けっ放しにしておく。(ミライ様が来るため)

あの地蔵が沢山ある影来神社は地元の人達も近寄らない場所だという。


「ん~。御地家の子祭りというのは、考えれば考える程不思議な祭りだな。祭りに出る家にまゆ婆が知らせに来る。そのまゆ婆と言うのは一体何者なんだろう。それに、ミライ様ってどんな奴なんだ?・・それに、どうして地元の人はあの影来神社に近づかないんだろう」

トキ子の顔がふと浮かぶ。

トキ子は俺に帰れと言った。神聖な祭りに余所者はいて欲しくないという事か。それとも、別の意味があるとでも言うのだろうか。

「にゃふん」

「お?ミヨ。いつの間に来たんだ?クロとタマはどうした?」

ミヨの背中を優しく撫でてやる。黒く艶やかな毛並みに蛍光灯の光があたり綺麗だ。

「にゃふ」

「なぁミヨ。今日の夜にミライ様というのがこの家に来るらしい。俺はそのミライ様を見て見たい。多分だけど、ミライ様はあの日本人形なんじゃないかと思うんだ。俺がマンホールに落ちそうになった時、ボールに当たりそうになった時、あの日本人形は両目を隠して「だぁ~れだ」と言った。まゆ婆も同じように「だぁ~れだ」と言うらしい。分からないけどね。でも、あの日本人形がミライ様だとしたら何故あの神社にいるんだろう。あの神社はミライ様の神社という事なのかな。一年に一度の祭りのミライ様を祀る神社が、あんなに寂れてるか?日向神社のように綺麗な神社に祀られているというなら話は分かるが、あんな朽ち果てた地蔵達と一緒になんてなぁ。それに祭りの本当の意味って何だろう」

俺は腕を組み考え込んだ。

「にゃふん」

ミヨも考えているのか、小首をかしげ俺を見上げている。

暫くして、別の部屋からボォ~ンと時を知らせる時計の音が聞こえてきた。スマホ画面を見ると時刻は22時。

「達朗さんは、今夜遅くとしか言ってなかったからミライ様がいつ来るのか分からないな。少しだけ寝ても大丈夫かな」

色々と考えたいのだが、実のところ酒を少々飲み過ぎていた。余り回らない頭で考えるより、少しだけ寝てスッキリした方がいいのかもしれないと考えた俺は、ミヨと共に厚みのある布団の中へと潜り込んだ。雨はより一層激しさを増してはいたが、眠りの中にあっという間に吸い込まれた俺には、その雨の音も全く気にならなかった。

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