ミライ様

「ミライ様が来るんですよ」

「ミライ様?神主様とかでしょうか」

「いやいや。神主よりも尊いもので恐ろしい者ですよ」

「え?」

神主よりも尊いもので恐ろしい者・・・

「それは一体どういった方なんでしょうか。さっきの怖かったというのがそれ・・」

「うん・・・」

何故かご主人は渋面を作り、これから話し出す勢いをつけるように手酌で酒を注ぎ一気にあおる。話したくないことなのか、口をつぐみ名残惜しそうにコップの底を見ている。いつの間にか外は雨が降り出していた。

「・・・御地家の子祭りに出る子供は、まゆ婆が決めるんです」

「え?まゆ婆?誰です?それは。どこかの偉い人なんですか?」

「・・・偉い人かどうかは分かりませんがね」

益々顔が渋面になる。苦しさと怒りが混ざったような不機嫌極まりない顔だ。

突然の変わりように驚いた俺だったが、何とか話を続ける。

「そのまゆ婆の知らせが、この家に来たんですね?」

「ええ。二日前の夜に来ましたよ。俺のお袋が知らせを聞いたらしいです」

「二日前・・」

「まゆ婆の知らせが来て、初めてその年の出番だと分かるんだ。だから、どの家も祭りに出ると分かった日から当日までの間、ご馳走を用意する。祝いの為にね」

少し酒が効いてきたのか顔が赤くなり、砕けた口調になってきた。ただ、渋面だけは崩さない。その表情からして、まゆ婆というのは歓迎せざる者なのだろうか。

「ミライ様と言うのはいつ来るんです?」

「まゆ婆の知らせがあってから二日後に来る。そうそう、何が怖かったというとね・・・確かあの日は一日中雨が降っていた。夜にまゆ婆が現れたと言う事で、家族が大慌てになっていたのを覚えている。今まで食卓にあがったことのないご馳走を前に、凄く興奮してたのも覚えている。うちが選ばれた。何だか妙にソワソワして落ち着かなかった。その興奮は祭りを控えた前日になって益々高鳴って来る。床についても中々寝られない。何時ぐらいだったかな・・・多分12時は過ぎてたと思うが、トイレに行きたくなった俺はそっと部屋を出てトイレに行った。トイレは家の北の方にあって真っ暗でね。陰気で怖いんだよ。この年で言うのもなんだが、トイレの方から誰か知らない人が出てくるんじゃないかって想像すると、足ががくがくと震えたもんさ。そのトイレを使う気がなくなった俺は、縁側から庭に降りて草むらの方で用を足そうと思ったんだ」

俺は頷く。気持ちがよく分かる。俺も祖母の家がまだ古かったころ、外にトイレがあり裸電球の頼りない明りがとても怖かったのを覚えている。

「でも、外は土砂降りの雨。俺は仕方なく軒先で用を足した。夜なのに激しく降る雨が目に見えるぐらい酷い雨だった。このまま雨に家全部が流されちまうんじゃないかと思ったよ。ぶるっと震えて、さっさと家に入ろうと思ったとき・・・」

ご主人の喉がゴクリと大きく動いた。それにつられるようにして俺もつばを飲み込む。

「歌が・・・歌が聞こえたんだよ。微かに・・歌と言うか、メロディーだな。本当に微かにだったが確かに聞こえたんだ」

「どんなメロディだったんです?」

「あれだよアレ・・・あ、あの・・後ろの正面ってやつだ。よく子供が遊んだりするだろう。それだよ。あ~度忘れしちまった」

達郎は自分の頭をぴしゃりと叩いた。

「後ろの正面・・・すみません。ちょっと思いつかないんですが、そのメロディーが聞こえてきたんですね?」

「そう」

ご主人はその時の事を思い出したのか、酒で赤くなった顔が次第に青白くなっていく。

「さっさと家の中に飛び込みたいのに、足が土に埋まっちまったかのように動かないんだ。段々とそのメロディーは近づいてくる。激しく降る雨が、そのメロディーのために自分の音を消したかのような感覚。メロディーの方が鮮明に聞こえてくるんだ。そして遂にそのメロディーは俺の近くまでやってきた。すぐ後ろにソレがいる気配がする。その途端背中に氷を入れられたようにぞくぞくって寒気が走った。それと同時に俺はーーー」

がちゃん!!

キッチンの方から皿が割れる音がした。

心臓が口から飛び出すという比喩があるが、まさしく今の俺がそれだった。座りながらも1cmは飛び上がっただろうと思う。

「すみません。ははは。手が滑っちゃって」

と、梨花の母親が笑いながらこちらに顔を出した。

「はぁ・・・」

鼓動が祭りばやしのように跳ねる。

「全く、何枚割れば気が済むんだ」

そう言ってご主人は酒をコップに注ぎあおる。どこかホッとしているように見えるのは気のせいだろうか。

「で、後ろには何がいたんです?ミライ様だったんですか?」

「いや、後ろも振り返らずに家の中に飛び込んだ。だから、ソレが一体なんだったのかは今でも分からない。分からないけど、あれがミライ様なんだと思う。どうしてそう思うのかって顔をしてるな。簡単な事さ。次の日の朝、玄関の前にミライ様がいたからさ」

「玄関の前に・・」

「そうだ!!」

突然ご主人は大きな声を出すと、自分の膝をパンと叩いた。

「お客さん。御地家の子祭りは参加するんでしょ?」

「え?ええ」

「なら、うちに泊まってらっしゃい」

「え?」

「百目鬼さんには俺の方から連絡をしておくから大丈夫。お~い。お客さんの部屋を用意してくれ!」

「はいはい」

来客が多いのか、田舎の家は部屋数が多いからなのか分からないが梨花の母親は嫌な顔一つせず、パタパタとスリッパの音をたててキッチンから出て行った。

「そんな急にいいんですか?」

「大丈夫、大丈夫。御地家の子祭りの時は三つの決まりを守らなくちゃいけないが、祭りに出る子供の家は一つだけ決まりを守ればいい。水を飲むなという事だけ。外には出てもいいし声を出してもいいんだ」

「はぁ・・・・あの・・」

「ん?」

「まゆ婆さんが来たと言っていましたけど、どんな方なんですか?なんと言ってくるんでしょうか」

「ああ、まゆ婆はね。白い布を頭からすっぽりかぶっているからまゆ婆って呼ばれるようになったんだ。繭のように見えたからな。本当の名前は知らん。言われる言葉はどの家庭も一緒でね。歌を歌った後・・・」

回数を重ねた酒がかなり回ってきたのか呂律が怪しくなり、白かった顔が茹でだこのように真っ赤になっている。主人は、その顔にある両目を両手で隠しこう言った。

「だぁ~れだ」


結局、俺はそのまま梨花の家に泊まることになった。

クロと喧嘩していたミヨもすっかり仲良くなり、家の中を楽しそうに3匹で駆けずり回っている。勿論、梨花もその3匹に混ざり楽しそうに笑っている。この部分だけを切り取れば、とても温かみのある猫と女児の戯れである。とても、明日たった一人きりの祭りに参加するとは思えない。

梨花の父親~達郎~は残した仕事があるとかでどこかへ行ってしまい、梨花の母親~瞳~は明日祭りで着る長襦袢などの準備を始めた。

「ゆっくりしててください」と言う言葉を最後に一人部屋に残された俺は、所在なく座っていたが、立ち上がり部屋を出た。縁側に座り降りが激しくなった雨を見上げる。ねっとりとした空気を肌に感じながら俺は手帳を取り出し今までに分かったことを箇条書きに書き出してみた。


この村で行われる御地家の子祭りについて。


年に一度しか行われない事。

祭りの参加は一人だけという事。

祭りが終わったことを影来神社の白田と言う神主が太鼓を叩いて知らせる。

参加する子供を選ぶのはまゆ婆という事。

まゆ婆から知らせが来たら、二日後に来るミライ様を迎えるためご馳走を用意する事。

祭りに参加しない家庭は、水を飲まない。声を出さない。外に出ないという決まりがあること。

祭りに出る家は水を飲まないと言う事だけ守ればいい。


「歌・・・」

ご主人が、自分の両眼を隠し「だぁ~れだ」と言った時は、一瞬にして気温が下がったかのようにヒヤリとした。

由紀が俺の部屋で女の子を見た時、マンホールに落ちそうになった時、野球のボールが俺にぶつかりそうになった時、あの日本人形は自分の両眼を両手で隠し言った。「だぁ~れだ」と。

「それにしてもおかしな祭りがあるもんだな」

日本各地には奇妙な祭りが多いと聞く。有名なのは沖縄の「パーントゥ」お面と藁のような衣装を身に着けた全身泥だらけの3人の神(パーントゥ)が集落中の人々を追いかけて泥を塗りつけてくる。厄払いや無病息災を願う祭りらしいが、泥だらけになるうえに到底神様には見えない藁のお化けの様なものが追いかけてくるのは、まさに奇祭といってもいいだろう。

俺はそのまま後ろにゴロリと横になる。

この村に御地家の子祭りと言う祭りがあるのは分かったが、いまだにあの日本人形と地蔵達の謎は分からない。

「そうだ・・・達郎さんのお母さんなら知ってるかも」

梨花の話だと、ずっと祈りを続けているという。今でも続けているのだろうか。

俺はじっと耳に神経を集中させ部屋の中の様子をうかがうが、激しく降る雨の音で何も分からない。

「・・・よし」

俺は、達郎の母親を探すため立ち上がった。








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