出発
次の日、俺は高野が入院している病院の前に立っていた。
病院の前の道路には銀杏の木が等間隔で植えられている。葉が黄色く色づく頃には、カメラを片手に病院を訪れる人達が多い病院だ。
今は青々とした緑の葉が生い茂っているが、これが秋から冬にかけて見事な景観になるのだ。
真っ白な外観に黒文字で楠医科大学病院と書かれた文字を見上げ、少し緊張しながら中へと入る。病院に通い慣れている老人達は流れるように無人の受付で番号を取り、それぞれの科に散っていく。
その動きを暫く眺めた後、俺は総合案内と書かれた場所に行き訪ねた。
面会簿と書かれた紙に自分の名前を記入し面会者と書かれたバッジを胸の辺りに着ける。これは、不審者を識別するためだという。病院もセキュリティを考えなくてはいけない時代になったのかと、少し寂しい気持ちになりながら俺は病室へと向かった。
ここの病院は、一階が外来、二階が手術室や検査室、三階以降が病棟となっていた。
病棟の廊下は、一階の外来と違い看護師が忙しそうに動いている。廊下に出された医療機器が、自分に関係なくとも見ただけでドキドキする。「白衣性高血圧症」という言葉を聞いた事がある。病院に入る事で、精神的ストレスを感じ血圧が上昇するというのだ。まさに今の俺の状態に当てはまる。
自分を落ち着かせるため小さく咳ばらいを何度かしながら、高野がいる病室を探す。確か302号室。
「302・・・302・・・」
一つ一つ病室を指差し確認するかのように見ていくと、あった。302号室。子供の頃、伯父が入院した時にお見舞いに行った時は、部屋の番号の下に各自の名前が書かれていたが今は何も書かれていない。個人情報とやららしい。
病院も時代と共に変わって行くものなのか。
大きな引き戸の前に立ちノックする。
「はい」
中から女性の返事が返って来た。母親だろうか。
「失礼します」
ゆっくりと引き戸をスライドさせ、中の様子を伺うように声をかけながら部屋へと入った。
部屋に入るとまず大きな窓が目に飛び込んでくる。両サイドにまとめられたモスグリーンのカーテンは、優しく膨らみを持ち部屋全体をゆったりとした雰囲気をだしている。焦げ茶色で統一されたベッドとサイドテーブルが大部屋とは格の違いを感じさせた。
シングルより広いベッドの上に高野はいた。
窓際の方に点滴スタンドがあり、反対側には心電図モニターとよく分からない機械が置かれている。
流石、社長の息子だけあって大部屋ではなく個室だ。等と、いやらしい気持ちが湧いてくる。
「あ、もしかして・・・」
点滴スタンドの隣に座っていた女性が、私の顔を見るなり腰を浮かした。初めて見るが高野の母親だろう。
「ご連絡もせずにいきなり来てしまって申し訳ありません」
俺は、小さく頭を下げながら部屋の中へと入る。
「いえいえ。良く来ていただきました。一昨日の夜遅くに意識が戻ったんですよ。ちゃんと喋れる状態ではありませんが、意識が戻っただけでも本当に・・・」
最後は震える声になる。
ずっと息子に付き添っていたのだろうか。髪を一つに縛り化粧っ気のない顔に溜まった疲労がくっきりと浮かんでいる。
「えっ!意識戻ったんですか?良かった~。俺、本当あの時もう駄目かと・・・」
母親につられるような形で、俺の声も震える。
「まだ、不安定ですが奇跡ですよ。内臓の損傷も酷いし、5ヶ所も骨折してたんです。よく・・よく戻って来たと思います」
高野の近くに行き顔を覗き込む。至る所内出血などで赤黒くなっているのが痛々しいが、生きている。弱弱しいが胸がちゃんと上下している。
「良かったな・・・高野・・・お前一体どうしたんだよ。あの時どうしてあんな風だったんだ?」
眠っているようなので、返事が返ってこないと分かりながらも話かける。
「あの時?息子が事故に遭った時ですか?」
「ええ」
「あの、警察の方からは息子が車道に飛び出したと聞いたんですが・・・何かご存じなのでしょうか。どういう状況だったのでしょうか」
母親は、手に持ったハンカチを揉みしだきながら聞く。
「俺もよく分からないんです。事故に遭った前日まで一緒に東北の方に出張に行ってたんですが、その時の高野はいつもの高野でした。でもあの日の高野は・・・」
どう説明したらいいのだろうか。
出張先で好奇心で覗いた神社で呪われておかしくなっちゃったんです。
これが一番的確な説明だとは思う。でも、こんな事信じてくれるだろうか・・・
「小さなことでも構いませんから教えてもらえませんか?あの道は交通量の多い道です。横切るために車が途切れるのを待つなら、半日はかかりそうな道。それでも途切れるかどうかです。そんな道に飛び出すなんて、どう考えてもおかしくて・・もしかして、息子は誰かに突き飛ばされたのではないですか?」
「突き飛ばされた?あ・・いえ、決してそんな事はないです」
「・・そうですよね。警察の方も、トラックのドライブレコーダーを確認してますし、目撃者もいたみたいですから」
がっくりと肩を落とし俯く顔に、はらりと髪がかかる。余程神経を張り詰めながら高野の回復を願っていたのだろう。顔だけじゃなく、身体全体に黒い影を背負っているように見える。
「あの・・・実は・・・」
下手に嘘をつくより、信じるかどうかよりも本当の事を言った方がいいと判断した俺は口を開いた。その時だ。
「あ・・あ・・・」
「ん?高野?おい!高野!俺が分かるか?」
唇を小さく震わせ薄く開いた眼で高野は俺の方を見ている。
「いく・・・」
「ん?なんだ?ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから」
トラックに轢かれる前に高野は俺に何か言おうとしていた。あの時は高野の状態に驚きパニックっていて上手く聞き出す事が出来なかった。今度こそ高野の言葉を聞き逃すまいと、俺は高野の口元に耳を近づけ全神経を耳に集中させる。
苦しそうな息遣いの中、高野はゆっくりと一文字ずつ俺に伝え始めた。
「~~~~~~~」
「!!!」
高野の言葉を時間をかけ最後まで聞いた俺は、高野の顔を見なおした。
「・・どういう事だ?」
高野の発した言葉が理解出来ず、思わず声が大きくなる。
「何です?息子は何て言ったんですか?」
母親も身を乗り出し、俺に聞いて来る。
「あ、いえ・・・・すみません。よく聞き取れませんでした」
俺は嘘をついた。
本当は高野が言った言葉はハッキリと分かった。でも、言葉は分かっても意味がわからないのだ。
頭の中で、高野が言った途切れ途切れの言葉をつなぎ合わせる。
~あ・い・つ・に・き・を・つ・け・ろ・し~
確かにそう高野は言った。アイツに気をつけろ。アイツとは?一体誰のことを言ってるんだろう。高野から再度聞き出そうにも、無理して話した事で苦しくなったのか呼吸が荒くなっている。
これ以上無理はさせられない。俺がこの場にいる事ももしかしたら高野にとって気が休まらないのではと思った俺は、心配そうに高野に寄り添う母親に手短に挨拶をすると病室を出た。
「アイツ・・アイツ・・誰だ??」
俺は一人ブツブツと呟きながらエレベーターまで歩いていた。その時、後ろから俺の名前を呼ぶ声がする。
「え?」
振り向くと、そこにはあの「いもや」の稲毛さんが立っていた。
いつもの白い割烹着ではなく、淡い水色のポロシャツに茶色のスラックス姿。一瞬誰だか分からなかった。
「え・・稲毛さん?」
「そうよ~。どうしたの?こんな所で。誰かのお見舞い?」
「え?・・・ええ。友人が入院してるもので」
高野の事はひとまず言わないでおこう。
「そうなの。私もね。鈴木さんのお見舞いに来たのよ」
「えっ!鈴木さん?そう言えば、事故に遭ったって・・」
まさか高野と同じ病院に搬送されていたとは知らなかった。
「そう。息子さんの家から自分の家に帰る途中にね。でも良かったわよ。2か所の骨折で済んで」
「骨折・・」
「両足のね・・この部分」
そう言いながら稲毛は自分の両方の脛の辺りを右左交互に指差した。
「年取ってからの骨折とかは命取りになりかねないからね。ほら、歩けないを理由に動かなくなるでしょ?そうするとすぐ駄目になるからね年寄りは。まぁ、あの鈴木さんだから大丈夫だとは思うけどさ。もし動かないなんて事を看護師さんから聞いたら、私が毎日来てリハビリをガンガンやらせるわ」
稲毛は鼻息を荒くして言う。何とも頼もしい友人である。
「でもさ・・・」
さっきの勢いは何処へやら。稲毛は、急に考え込むような顔つきをして声を潜め俺に近づいてきた。
「鈴木さんおかしな事言うのよ」
「おかしな事?」
「うん。事故に遭う前ね、女の子を見たって」
「女の子」
ゴクリと唾を飲む。足元から虫が這うようにぞわぞわと鳥肌が立っていく。
「そ、その女の子って?」
「さぁ・・それしか言ってなかったからねぇ。でも女の子なんてその辺りにいくらでもいるでしょう。だから何言ってるんだろうって思ったのよ。繰り返し繰り返し言うの「あそこに女の子がいたのよ」って。それも気味悪そうにね。あの大きな体をこんな小さくして震えて言うの。なんだかこっちも怖くなるわよ」
稲毛は細い眉を寄せ言う。
「あそこって言うと?」
稲毛は力なく首を振ると
「それが教えてくれないのよ。黙っちゃってね。無理に聞くのもアレじゃない?まぁ、退院して落ち着いたら話してくれるんじゃないかしらね。多分だけど、事故に遭った時のショックだと思うのよ。幻覚か、その辺にいた女の子が強烈に頭に残っただけじゃないかなって私は思ってるんだけどね」
稲毛の中ではそう自己完結したようだ。
でもそれは違う。恐らくあの日本人形の事だ。でも、あの日本人形の事を女の子等と言うだろうか。確かに女の子には間違いないが、アレを見て女の子と言うより日本人形、もしくは人形と言うのが普通だろう。
「今はぐっすり寝てるから、今度またお見舞いにでも来てあげてよ。鈴木さん喜ぶわよ」
そう言って俺の肩をポンと叩くと、稲毛は行ってしまった。
「はい・・・」
どういう事だ?鈴木はあの神社には行っていない。だからあの地蔵達の呪はかからないはずだ。それとも、稲毛の言うように事故のショックからそんなものを見たという気になっているだけなのだろうか。それとも・・・
病棟は適温に保たれているはずなのに身体の冷えが酷くなってきた。
ブルリと大きく身震いすると、俺は足早に病院を出た。
病院からの帰り道、もう一度高野の言葉を頭の中で反芻し考えてみた。
「アイツニキヲツケロシ・・アイツって、俺の知ってる人か?気をつけろは分かるが、しって何だ?まだ何か言いたかったのか?それに鈴木さんの前に現れた女の子・・」
あの神社の境内にあった地蔵達と賽銭箱の上に座る日本人形を思い出す。首がなかったり体半分がなかったり、風化してしまったのか顔がのっぺらぼうだったりと何かと問題のある地蔵達。汚れ一つなく賽銭箱の上に不自然に置かれた日本人形。
「ん~~分からん!!」
俺はガシガシと頭をかきむしった。
ここで色々と考えていてもしょうがない。やはり現地に行くべきだ。
俺は立ち止まり自分を奮い立たせるように腹に力を入れると「よし!」と気合を入れた。少しでも気が緩んだら怖気づき、そのまま何も出来ないと思ったからだ。
アパートでは、相変わらずミヨが玄関のたたきで俺を待っていた。
「にゃふん」
最後の「ん」は鼻息が勢いよく出る。まるで、待ってたぞ。早く行こうという気合に満ちた鳴き声だ。
「ミヨ。本当に一緒に行くのか?怖い場所かもしれないんだぞ?由紀と一緒にいた方が涼しい部屋でゆっくりしていられる。やっぱり留守番していた方が・・いて!!!」
俺の脛を思い切りミヨは噛んだ。
「分かった!分かったよ。いてて」
こんなに猫の牙は痛いのかと噛まれた部分を摩りながら、昨日準備していたボストンバッグを取りに部屋に入る。
今日は朝からルナの姿がない。どうしたのだろうか。俺があの神社へ行くと言ってから少しだけ様子がおかしかった。俺がその場に足を運んだとしても何も変わらない事を知っているからなのか。どことなく悲しそうと言うか不安そうというか。表情がくるくると変わる子だが、昨日のルナはどこかぎこちなくおかしかった。
昨日の夜。予備知識としてルナにあの神社の事で知っている事があれば教えて欲しいと言った。しかしルナ自身危険な場所と認識はしているものの、詳しくは知らないという。知っているけど話したくないような。話してはいけないような・・そんな感じ。
無理に聞き出すより直接行った方が良さそうだと改めて思った。
「そうだよ。行ってみなきゃ分からない」
自分に言い聞かせるようにしてわざと声に出して言うと、ミヨをペットキャリアに入れボストンバッグを持つとアパートを出た。
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