百目鬼旅館

現地まではレンタカーを借りての移動となる。俺一人なら電車でもよかったのだが、ミヨがいる。ミヨを電車に乗せる事は出来ないし、何かあった時車の方が何かと都合が良いだろうと思いレンタカーにした。

途中、サービスエリアによりミヨと一緒に休憩をとりながら目的地まで走った。

東京から目的地まで約8時間。免許は持っているが、殆ど運転しないペーパードライバーの俺は現地に着いた時にはヘロヘロに疲れていた。

「いてて。腰がいてぇ」

車をレンタカー会社に返しそこからバスと徒歩で旅館に向かいチェックインする予定だ。

駅に近いビジネスホテルが良かったが、ペットが不可なのだ。探しに探してようやくペット可の旅館を見つける事が出来た。それも、高野と行った場所にあったのだ。

橋を渡り村の真ん中辺り、田畑に囲まれた場所にある古民家のような旅館。しかも運の良い事に、あの神社に比較的近い。

田畑だけが広がり何もない場所。観光する場所もないこんな所に旅館があるのが不自然に思える。


時刻は18時30分。夏のこの時間はまだ明るいが、鬱蒼とした防風林に囲まれた旅館は薄暗い。

旅館の周りは田んぼが広がり、遠くの方にポツンポツンと民家が見える。

ミヨと泊まれる場所と慌てて決めた旅館だけに、その建物を目の前にした俺は不安になった。げこげこと蛙の声と蝉の合唱を耳に門前に立ち尽くす。

門柱には錆びだらけの赤いポストが付けられており、そこにマジックで百目鬼と殴り書きされている。旅館のオーナーの名前だろうか。殴り書きの文字が乱暴すぎて、更に不安が増す。

「い、行くぞ」

「にゃふ」

ペットキャリアの中のミヨが返事をする。

門から続く飛び石が玄関まで続いている。そこまでは普通なのだが、周りを見渡して俺は驚き足を止めた。庭一面がアジサイで埋め尽くされているのだ。ピンクや白、青や紫と色とりどりのアジサイがひしめき合っている。

「凄いなこれは・・アジサイが好きな人なのかな」

思わず独り言を言う。

「まぁね」

「えっ!!」

独り言に返事が返って来るとは思わなかった俺は驚き、声がした方を見た。そこには真っ黒に日焼けした老人。麦わら帽子を被りランニングシャツにベージュの半ズボンを履いた老人が、手にシャベルを持って立っている。

「あ・・こんにちは」

「はいはい。こんにちは。客人かな?」

70はとうに超えているように見える男は、酒やけした声で聞いてくる。

「はい。お世話になります・・・あのぅ、立派なお庭ですね。こんなに沢山のアジサイは見たことないですよ。好きなんですか?」

先程の俺の独り言に「まぁね」と答えてはいたが、聞かずにはいられなかった。

「この辺りの家はみな同じ。アジサイを植えないといけないんですよ。それより客人なら中に声をかけてごらんなさい。嫁さんがいると思うから」

口元は笑っているが、探るように俺を見る目は笑ってない。

何処か時代劇じみた話し方をした老人は、顎で旅館の方を指すと座り込み、またしゃくしゃくとシャベルで土を掘りだした。

「は、はい」

アジサイを植えないといけないとは一体どういうことなのか・・・俺は老人を気にしながら、曇りガラスに白文字で「百目鬼旅館」と書かれている入口まで歩く。普段なら何とも思わない「鬼」と言う文字が今の俺には何となく不吉な重さを感じる。

カラカラと小気味いい音をたてて引き戸を開け「ごめんください」と声をかけながら入る。

比較的広い玄関だ。綺麗に掃き清められた三和土。両サイドに設けられた棚には木で彫られた様々な置物が置かれている。上がり框には、こんなにいらないだろうと思う程のスリッパが10足以上並んでいる。意外な穴場で客が多く来るのだろうか。

そして一番に目を引くのは、目の前の壁に掛けられた大きな写真だ。縦60㎝横1mぐらいの橋の写真。川岸から橋をメインに撮られているようで、橋脚なしの珍しい橋だ。大きなカーブが美しく、確か太鼓橋と言うんじゃなかったか・・白黒写真ながら堂々たる風格を出している。

「この橋、何処かで・・・」

「は~い」

奥の方からスリッパのパタパタとせわしない音共に誰かが来る。

「ご予約の方ですか?」

「はい。お世話になります」

この時俺はここに予約の電話を入れた時の事を思い出した。

何故なら、この旅館に予約の電話をした時やけに雑音が酷かったのだ。嵐の中で電話しているような風の唸るような音。お陰で、女将の声も聴きにくく難儀した。

「はいはい」

声が若く感じたので若女将かと思いきや、先程の老人と同じぐらいと思われる女性だ。真っ黒に染められた短めの髪に、夜の商売に通用するような派手なメイクがぎょっとさせる。孫の好みだろうか。可愛いキャラクターが書かれたエプロン~ドラえもん~を着物の上に身に付けている。恰幅のいい女性で頼もしさが滲み出ている。この人が、電話に出た人なのだろうか。

女将は、俺のボストンバッグを受け取りながら

「こんな田舎までたいへんだったでしょう。あら。そちらは猫ちゃんね?どれどれ」

動物好きなのか、腰をかがめ目尻の皺を深くしながらペットキャリアを覗き込む。

「にゃふん」

ミヨは甘えたような声を出した。

「可愛い猫ちゃんねぇ!頭が良さそうだわ。私ね、犬も好きだけど猫の方が好きなのよ。主人は犬が好きみたいだけどね。なんでも、猫は冷たいけど犬の方が主人に従順だからいいとかいって。そんなことないのにねぇ。あ、さぁどうぞ。お部屋にご案内しますね」

どうやら話好きな女将らしい。左の手のひらを俺に見せながら上がるように促す。

玄関から真っ直ぐに伸びる廊下を歩きながら「こちらが食堂と風呂場。こっちは応接室。ここはお客様の談話室です」と説明してくれる。平屋の建物は奥に広いようだ。客用の部屋はさらに奥まった場所にあるらしい。

「ウナギの寝床のように縦に細長いんですよ。一度立て替えようかという話も出たんですけどね。こんな田舎でしょう?お客さんが沢山来るならいいけど、それ程来ない旅館を新しくしてもという事になりましてね」

「長くやられてるんですか?」

「ええ。主人の祖父の代からと聞いてます。これでも昔はかなり繁盛してたんですよ。そのお祖父ちゃんもねぇ、酒好きだったらしく・・お祖母さんが手を焼いてたそうですよ」

聞きもしない情報を一つ二つと加えて話してくれる。帰る頃には、この百目鬼一族の事が詳しくなるのではないかと、俺は苦笑した。


「こちらです」

柱の所に付けられている小さな白いプラスチックの板に、マジックで萩の間と書かれた部屋の襖を開く。

6畳一間に半畳位のテーブルと2枚の座布団。窓際にテーブル椅子が置かれた簡素な部屋だ。窓は大きく開け放たれて網戸になっており、庭に密集して咲くアジサイが見える。

「お客さん丁度良かったですよ。明後日に町内の祭りがあるんです」

「祭り?」

「ええ。年に一回しかない祭りなんですけどね。驚くと思いますよ」

流れるような手つきで急須に茶葉を入れお湯を注ぐ。

「驚く?そんなに変わったお祭りなんですか?」

「ええ。そりゃあもう」

女将は大袈裟に目を大きく開き話す。

「私がここに来たのはもう40年も前になるでしょうかねぇ。ちょうど今頃の時期に来たんですよ。お見合いでね。本当は別に好きな人がいたんですけど、まぁあの時代の事ですからねぇ。親の持って来た見合いをして結婚したんです。その時もこの旅館はやってましてね。主人が跡継ぎだと聞いたものだから・・・ねぇ」

女将は意味ありげにチラリと俺を見てニヤリと笑った。

恐らく本命よりも、旅館の跡継ぎの方が将来的に良しと考えたのだろう。やはり女性は現実主義なのだ。

「そのお祭りって言うのはどんなお祭りなんですか?明後日と言っても、屋台も櫓も何処にも見当たらなかったけどなぁ・・」

昔話が始まりそうだったので、祭りの話題に軌道修正する。

「え?ああそんなものはないですよ」

「ない?」

「ええ。明後日の祭り・・御地家の子祭りおちゃのこまつりと言うんですけどね。この村唯一の祭りなんですけど、参加者は一人」

「一人?どういう事ですか?お祭りなんですよね?」

「ね?驚くでしょう」

俺の反応を見た女将は満足そうに頷き言った。

「御地家の子祭というのは、毎年どこかの家庭の家の者が一人出るんです。祭り自体はとても単純なんですよ。その年の祭りに出る家が決まったら、その家の一番小さな子供・・と言っても小学生からですけど、その子に衣装を着せて村をぐるりと回らせるだけなんです」

「でも・・回るだけって・・それだけですか?」

「ええ。それだけです。でも、その子だけが祭りに参加しているのではないですよ?ちゃんと私達も参加してるんです」

「どういう事ですか?」

「他の人達は祭り当日、その子が村を周っている時は絶対に声を上げてはいけない。外を見てはいけない。水を飲んではいけないんですよ」

女将は、俺の方に手のひらを見せ一つずつ指を折っていく。

「声を上げてはいけない・・どういう事かさっぱり・・・」

「ふふふ。不思議でしょう。私も最初はそう思いましたよ。昔は今とちょっと違ったやり方だったそうですけど、私が嫁いできた頃は今のやり方でした。その3つの決まりにどんな意味があるのかは知らないんです。聞いても教えてくれなかったんですよねぇ。でもね、ただ村を周るだけと言ってもこれが中々に大変なんですよ。小さい子が一人で村を回るでしょう?不安になって泣き出したり、遊び始めちゃったりしてちゃんと回ってくれない。こっちは、周り終わるまで3つの決まりを守らなくちゃいけない。大変なんです」

確かに、幼い子供の好奇心は旺盛だ。一人で粛々と祭りを進めることは難しいのかもしれない。

「でも、外を見ちゃいけない決まりがあるのならその子がちゃんと村を周ったかどうかなんて確認できないんじゃないですか?」

「ああその辺は大丈夫なんですよ。白田さんが見張ってて、子供が周り終わったら神社の太鼓を鳴らしてくれるんです。その音を聞いて「ああ終わったんだな」ってなるんです」

「その白田さんという方は?」

「神主さんですよ。影来神社かがじんじゃのね。あそこが代々その役目を受け継ぐそうですよ」

「影来神社・・・明後日その・・・御地家の子祭りでしたっけ。それがあるという事は、俺もその3つの決まりを守らなくちゃいけないという事ですか」

「勿論です。この土地を踏んだ者全てが対象者です」

女将は、スッと笑顔を引き真顔で言った。

突然の表情の変化に一瞬ドキリとしたが、直ぐに人懐っこい笑顔を浮かべた女将は

「大丈夫ですよ。大体1時間ぐらいで終わりますから。そんなに大きな村でもないですからね」

「はぁ」

「夕飯はどうします?あ、食べてきました?じゃあお風呂どうぞ。温泉ではないですけど、一応気分が出るように温泉の素を入れておきましたから」

そう言うと、女将はチラリとミヨが入っているペットキャリアを見て

「猫ちゃんは自由にさせてあげてくださいね。旅館の中どこでも大丈夫ですから。うちら夫婦二人しかいませんしねぇ。いえね、本当は私がペットを飼いたいんですけどうちの人が嫌がるんですよ。自分達より先に死んだりしたら嫌だって。ははは。もう私達もこの年なんだから、ペットよりも先に私達の方がアッチに行きそうなのに」

そう喋りながら女将は、襖の所まで行き「じゃあごゆっくり」と部屋を出て行った。

マシンガントークで喋る女将の声が無くなった部屋は、急にシ~ンと静かになる。不思議な祭り。御地家の子祭り。一体どんな祭りなのか・・

「にゃふ」

ミヨの声で我に返る。

「ああ。すまんすまん。自由にしていいんだってさ」

俺はペットキャリアを開いてやる。ミヨは待ってましたとばかりにぴょんと外に飛び出すと、存分に身体を伸ばした後毛繕いを始めた。

「それにしても、おかしな祭りだな」

ミヨの入念な毛繕いを見ながら話しかける。

「一人だけの祭だってよ。他の人達は声を出さない。水を飲まない。外を見ない・・・もし、そのどれか一つでも決まりを破っちゃったらどうなるんだろうな。1時間ぐらいならそんな事も起きないのかな・・なぁミヨ。どう思う?」

ミヨは、そんなこと知るかと言うようにせっせと毛繕いをしている。

「・・・まぁいいか。とにかく俺がここに来たのはあの神社の・・・・」

俺はそこで大変な事に気がつき言葉を失った。

あの女将の言葉・・・影来神社・・

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