災難

不思議な少女、ルナと会った次の日の朝。

目を覚ました俺は慌てて部屋の中を見渡したが、ルナは何処にもいなかった。

アレは夢だったのだろうか。出張で疲れ、高野の事でもショックを受けた俺はおかしくなってしまったのだろうか。

のろのろとベッドの上で体を起こし頭を軽く振る。

「にゃふ~」

「ん?なんだミヨ。お前俺の隣で寝てたのか」

腹を天井に向け四肢を大きく開いて寝ているミヨは、薄目を開け俺の方を見る。折角可愛らしい猫用のベッドを買ってやったが、夜寝る時はいつも俺のベッドに入る。普段使っているから気に入らない訳じゃなさそうだが、夜も自分のベッドで寝て欲しいのが本音だ。

「はは。お前女の子なんだからもう少し可愛らしく寝られないのか?」

「んひゃ」

五月蠅いなと言うように、小さな牙を見せ大きく欠伸をしながら変な声を出す。

「まだ6時か。少し早いけど朝飯にするかな・・・って言っても何もないんだっけ。由紀の奴、少しぐらい買いだめしといてくれてもいいのに」

俺は勝手な事をブツブツいいながら部屋着に着替えると財布を持ち

「じゃ、コンビニ行ってくる。すぐ戻るからな」

と、まだベッドの上でもごもごしているミヨに声をかけ外に出た。


6時とはいえ、この時期はもう太陽も顔を出している。今日も暑くなるようで清々しい朝というよりは、ねっとりとした不快な朝だった。

近くのコンビニでサンドイッチとおにぎり、ミヨの焼き鮭を買う。時間の余裕からか、立ち読みをした後クーラーの効きすぎるコンビニを出た。ムワッとした熱気が体中に纏わりつく。

「ちっ」

小さく舌を鳴らした俺は足早にアパートへ向かった。

「今日はずっと外回りなんだよな。やだなぁ。こんなくそ熱い中外かよ」

先程よりも歩道を歩く人の数が多くなってきた。出勤の時間帯が来たのだ。

俺のアパートから会社までは駅一つ分。それ程遠いという訳でもないので焦らなくてもいい。だが、朝からの熱気のお陰で体中が汗でべたつく。シャワー位は浴びて行った方がいいだろう。

俺は携帯を取り出し時間を確認する。

「あれ?」

画面にLINEの通知がある。開くと、それは高野の母親からだった。


~こんばんは。高野の母です。息子の携帯を借りています。現在息子は命こそ助かりましたが、まだ意識が戻らない状態です。お医者様からはまだ油断が出来ない状態だと説明を受けています。

何故、わざわざ息子の携帯を借りてまで貴方様にご連絡をしたかといいますと、息子が口にするのです。

「行くな。行くな」と貴方の名前を言いながら何回も言うのです。意識が戻ったのかといえばそうではないようで、うわ言と申しますでしょうか。とにかく何回も貴方の名前を呼び同じ事を言うのです。漠然とした事で理解していただけるか分かりませんが、一生懸命に伝えようとしている息子が不憫に思い、私の方から貴方様にご連絡した次第です~


俺はゆっくりとした歩みになりながら、高野の母親からのLINEを読んだ。

「行くな・・・確かあの時も高野は俺に、なんか言ってたな」

あの時とは、おかしくなった高野が車道に飛び出す前の時だ。

「あの時は確か「来た。気をつけろ」そう言っていたような気がする。何に対して気をつけるのか聞こうと思ったけど、いきなり車道へ飛び出したから聞けなかったんだ・・高野は何に気をつけろと言ったんだ?あの日本・・わぁっ!!!!!」

地面を踏みしめ歩いていたはずの俺の右足が突然空を切り、ガクンと落ちる。勢いで手に持っていたコンビニの袋が手から離れ宙を舞った。

見ていた視界が下がり自分の背が突然低くなったような感覚になる。まるで落とし穴に落ちたかのよう。

その瞬間、足元に何か柔らかいモノを踏んだ。

「うわっ!!」

別の叫び声が俺の足元から聞こえてきた。

「え?」

何が何だか分からず、必死で手足をばたつかせる。

「おい!暴れるなよ!」

その声はやっぱり俺の足元から聞こえる。

バタバタと騒がしい足音が聞こえ、ヘルメットを被ったいかつい男達数人が俺を見下ろし

「何やってんだ!」

「あいつ馬鹿だからカラーコーン立てるの忘れてるんだ」

「大丈夫か?あんた」

何が何だか分からない俺は、両脇を抱えられ引き上げられる。

道路にぺたりと座り込んだ俺の前には、ぽっかりと空いた黒い穴。

「マ、マンホール?」

「怪我はないか?」

助けてくれた男が、俺の顔を覗き込みながら眉を顰め聞いてきた。

俺より年上らしいその男は、長袖を肘までめくり黒々と日焼けした筋肉流々の腕が見えている。

「え・・・ええ」

「いってぇ~」

その声と共に、マンホールからヘルメットを被った男が自分の肩を掴みながら顔を出した。

どうやら、俺はマンホールに落ちたがこの男がすぐ下にいたお陰で下まで落ちずに済んだらしい。

「いてぇじゃねぇよ!馬鹿!カラーコーンはどうしたんだよ!作業の前に置かなきゃ駄目だろ!」

別のいかつい男が、マンホールから顔を出している男の頭をカンと殴る。ヘルメットを被っているので、結構いい音がした。

「すみません」

男は、もぐらたたきのように顔だけ出した状態で、俺に謝って来た。

「あ・・・いえ」

今更ながらに全身から汗が吹き出し、暴れた時にマンホールの縁にあたった肘がジンジンと痛みだした。

何度も頭を下げる男達に何故か恐縮しながら頭を下げる俺は、フラフラと立ち上がる。

歩道を歩く人達が、興味深そうに足を止めこちらを見ている。

「え?」

犬を連れている年配の女性が二人、こちらを見て何やらヒソヒソ話している。顔が少し笑っているので、マンホールに落ちた間抜けな俺を笑っているのだろう。

それより・・・そんな事より俺の目は、その女性達の間にいるモノに目が釘付けになる。

赤い着物を着たあの日本人形が、女性達の間に立っていたのだ。

立っていた・・・いや、違う。浮いている。地面から10センチ位の所に浮いているのだ。

「あ・・あ・・」

ガクガクと震えた足が途端に力を失い、俺はドスンと尻餅をつく。

「おい、大丈夫か?」

筋肉流々の男が心配そうに近寄って来る。

「う・・・」

きっと、俺以外の人にはあの日本人形は見えないのだろう。何をどう説明すればいいのか分からない。

カラカラに乾く口と喉も役に立たないから悲鳴すら上手く出せそうにない。

その時、日本人形の小さなおちょぼ口がゆっくりと縦長に開き「お」の形に開いた。

~だぁ~れだ~

子供の声に間違いないのだが、水中から聞こえて来るようなボコボコとした声。

「ひっ!!!」

腹の底から冷えて来るような感覚がした。その冷えはいずれ体全体に広がり、俺の臓器全てを凍らせてしまいそうだ。

吹き出していた汗が一瞬で引き寒さまで覚える。

「走って!!!」

突然ルナの叫ぶ声が聞こえた。

その声に反応するかのようにびくりと身体を痙攣させる。動かなかった身体を翻し、もつれる足を必死に動かし無我夢中でアパートまで走り出す。走り出す前に、ルナの姿を見たような気がするが確認する余裕は俺にはなかった。


全速力で走り、ようやくアパートまでたどり着いた。徒歩5分ぐらいの道のりなのに長く走ったような気がする。

「はぁはぁはぁはあぁ・・・・ん・・はぁはぁはぁ・・・おぇぇぇ」

口の中が鉄のような味がする。いくら呼吸をしようと思っても、うまく酸素が身体に入らない。全身から滝のように流れる汗が不快でたまらない。

震える手でポケットから鍵を出し、ガチャガチャとせわしない音をたてて鍵穴に差し込む。

ドアを開けると

「にゃふ」

「わぁ!!!」

ミヨがドアを開けた俺めがけて飛びついてきた。

危うく後ろに転がりそうになりながらもなんとか踏ん張り、ミヨを抱きながら乱暴にドアを閉める。

「はぁはぁはぁ・・・なんだよミヨ。驚かせるなよ。それでなくても・・・」

靴も脱がず、上がり框に座り込んだ俺はミヨを強く抱きしめる。

「にゃぐ」

ミヨは、俺の腕の中でもがくようにしながら苦し気に声を出したが構わない。今は、猫だとしても俺にとっては心強い存在なのだ。怖かった・・・

暫くの間、ミヨの温かい体温を感じながら呼吸を整えると

「はぁ~ごめんな。やっと落ち着いた」

ミヨの頭を優しく撫でる。

「にゃふん」

世話の焼ける奴だというように、ミヨは目を細め俺を見た。

「あ・・・コンビニで買ったやつ置いて来ちゃったよ。まぁいいか。取りに戻るなんて出来ないし」

ミヨを離し仕事に行く準備をする為部屋に入った。

「危なかったですね」

ルナだ。

昨日と同じ場所に正座をして、目を細めこちらを見ている。大きなマスクが何故か気味悪く見えた。

「あ・・ああ。マジで死ぬかと思ったよ」

「丁度下に人がいたから良かったけど、いなかったらそのまま下まで落ちてましたものね」

今更ながらに肝が冷える。

「・・・見た」

「はい」

ルナは承知とばかりに頷き返事をする。

「あの日本人形は一体何なんだよ」

「・・・・」

「呪だか何だか知らないけど、何でそこまで・・。俺を殺して何か満足するのか?」

沸々と怒りが湧いて来る。

「お気持ちはわかります。あの場所に興味本位で行った代償のようなものですね。行かなかったら・・知らなかったらこんな事も起きなかったんですから」

「そうかもしれないけど・・・」

「その為に私がお役に立てるんです」

「あの時、マンホールの中に人がいたのはルナのお陰だと言うのか?そんなの偶然だろ?」

「偶然は必然に変えられるんですよ」

目尻に笑い皺が寄る。

馬鹿らしいやら腹立たしいやら不安やら恐怖やら。様々な気持ちが入り乱れた俺はそれ以上何も言わず、仕事着に着替えるとミヨに挨拶もせずにアパートを出た。


今日一日は外回りの仕事だ。比較的会社から近い場所を回るので移動は徒歩になる。

今朝、あんな事があったので本当は社内での仕事にしたかったが、高野の分の仕事が俺に回って来たので行かなくてはいけない。

会社を出ると、左右を念入りに確認し歩き出す。なるべくなら徒歩ではなくタクシーを使いたいが、無駄な経費は許されない。

普段なら気にも留めない事もハッと身体を固くし身構える。コンビニの自動ドアの開く音や車のクラクションの音。車道を走る車にも睨みを利かせる。勿論、歩道にあるマンホールもだ。

必要以上に周りに目を配り仕事をこなしていく。お陰で、午前中だけで精神はかなり疲弊していた。そんなビクついた中、時間は11時30分。少し早いが昼にする事にした。いつもの弁当屋「いもや」へ向かう。

「こんちは。エビフライ弁当ね」

「あいよ!」

いつも通り鈴木の元気な声が返事をする。

今日もつやつやとした肌を上気させ、恰幅の良い身体を器用に動かしながら働いている。

俺のいつもの日常がここにはある。ようやく心からホッとできるような気がする。

「エビフライ弁当一つね!!あんた、エビフライ弁当ばっかり食べてるけど他の物も食べてるのかい?」

厨房に大きな声で俺の注文を伝えた鈴木は、カウンターに太い腕を乗せ俺に言った。

「まぁ・・・一応」

「一応?!」

角ばった太い眉を片方あげる。

「一応じゃ駄目なんだよ。若いんだから沢山色んな食材食べなきゃ。年取ってからが大変になるんだよ?」

「ははは」

「うちにも息子が一人いるんだけどね」

そうだ。確か前に一人息子と二人暮らしと言っていたっけ。旦那とは離婚なのか死別なのか知らない。わざわざ聞く事でもない。

「うちの息子が一人暮らしを始めたんだけどね、ろくなもん食べてなかったんだよ。しょうがないから毎日私が煮物やら野菜炒めやらタッパーに詰めて持ってってやるんだ。いらね~よなんて言うけど、なぁにちゃんと全部食べるんだから。はっはっはっは」

鈴木は大きな腹を上下に揺らしながら豪快に笑う。

「はいよ。エビフライ弁当ね」

厨房とレジの部分は受け渡しが簡単にできるように窓があるのだが、稲毛がわざわざカウンターまで持ってきてくれる。これはいつものパターン。持って来たついでに鈴木とお喋りをするのだ。

「今度はエビフライ弁当じゃなくて、肉を食べな。肉は力つくから。肉よ肉」

小柄で痩せている稲毛は細い眉を寄せ俺に弁当を渡しながら言ったが、俺としては稲毛が食べた方がいいのではないかと思う。とても痩せているのだ。太らない体質なのだろうか。

「はは。そうですね。今度は焼肉弁当でも頼もうかな。でもちょっと高いな・・・」

「なぁ~に。そんなの少しはサービスしてあげるわよ!ねぇ稲毛さん?」

「そうそう!毎日買ってくれてる人が来なくなるのが一番寂しいからね」

俺は高野の事が一瞬頭をよぎる。

鈴木と稲毛のおばちゃんパワーに押されながらも、心休まるひとときを過ごした俺は「じゃ」と言って弁当が入った袋を持ち帰ろうとした時だ。

「あ、ちょっと待って」

鈴木が声を潜めて呼び止める。

「え?何ですか?」

「どーせ何言っても聞かないのが若い人なんだからね。ほら、これ晩御飯にでも食べな」

そう言って、肉野菜炒め弁当が入った袋を渡してくる。

「え?これは?」

「はっはっは。私のおごりだよ。肉と野菜をたっぷり入れてもらうよう頼んだ弁当さ」

「じゃあ、お金・・」

「あ~!いらないいらない!いいから食べな!」

グローブのような手をひらひらとさせながら言う。

「鈴木さんがそう言っている間にさっさと持って行った方がいいんだよ。この人直ぐ気が変わるから。はは」

稲毛が笑いながら言った。

「すみません。有難うございます」

「仕事頑張るんだよ!」

第二の母親の温かさを噛みしめながら、俺はいつも弁当を食べている公園へと向かった。


日差しを避けるように、屋根付きのベンチに座り弁当を食べる。この季節、悪くなるといけないので、鈴木がくれた肉野菜炒め弁当も食べた。必要以上に腹が脹れ苦しかったが仕事開始だ。のろのろと立ち上がり、また気の抜けない移動が始まる。しかし、そう毎日日本人形は出ないらしく、この日は何事もなく無事生きる事が出来た。


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