家に出たモノ

一週間の出張が終わり、ようやく家に帰れる日。俺は一秒でも早くミヨに会うため、半ば走るようにしてアパートを目指した。

全身汗だくになり玄関を開けた後の第一声は勿論「ただいま」ではなく「ミヨ」だ。

「にゃふ」

「え?」

ミヨの声がやけに近くで聞こえた。足元を見ると、狭い玄関のたたきにミヨが蹲るようにしている。

「・・・ミヨ?どうしたんだ?こんな所で」

俺はミヨを抱き上げた。

「おい、由紀?」

俺は部屋の方に向かって妹の名前を呼んだ。

由紀とは、俺が出張から帰って来たら入れ替わりに実家に帰る事になっている。もしや、猫の世話が嫌で実家に帰ってしまったのだろうか。いや、お気楽な奴だが約束はちゃんと守る奴だ。そんな事はないだろう。

靴を脱ぎ、奥の部屋へと細い廊下を歩いて行く。途中キッチンや風呂場にトイレと確認するが、由紀の姿はない。変わった所と言えば、いつもより綺麗に片付いている事だ。由紀がしてくれたのだろう。

奥の部屋に続く所には、すりガラスがはめ込まれた引き戸がある。

俺はそっとガラス戸を開けた。

部屋の中央に、由紀がこちらに足を向けて大の字で倒れていた。半袖シャツに短パンというラフな格好で見事な大の字になっている。

「由紀?」

部屋にはクーラーが効いているが、由紀は汗をかいているようで濡れた髪の毛が首筋や頬に張り付いている。

「由紀?」

俺はもう一度名前を呼ぶ。動かない。

熱中症、貧血、脳梗塞・・・いくつかの病名が頭に浮かぶが、その裏に大きく「死」という文字がチラつく。

その文字がハッキリしていくにつれ、俺の鼓動が速くなり、自分の手足が急激に冷たくなっていくのが分かった。

「由紀!由紀!」

俺は大きな声を出し由紀の身体を揺さぶった。驚いたミヨが、俺の腕の中から飛び降りる。

由紀の反応なし。

見た所出血している様子はない。

「由紀!由紀!由紀!どうした!」

俺はなおも由紀の身体を揺さぶる。

すると、由紀の表情が苦悶の表情に変わり「う~ん」と唸る。

生きていた。

「にゃふ」

ミヨも安心したかのように鳴く。

「あれ?兄ちゃん帰ってたの?」

目をこすりながら由紀が向くりと体を起こす。

「何だお前。寝てたのか?こんな所で寝るなよ」

体中の力がドッと抜けた俺は、その場に座り込んだ。今までの分とばかりに、汗がだくだくと流れる。

「昨日全然眠れなかったのよ」

「眠れない?」

俺は眉を片方あげて怪訝そうに由紀を見た。

由紀は俺と違って度胸のある奴で初めて会う人にも尻込みせず話せるし、旅行に行っても不眠とは縁のない奴なのだ。

前に、初めて母方の親戚と会った時の事だ。遠方なので中々会う事が出来なかったが、祖母が亡くなった事をきっかけに泊りがけで葬式に行った。初めて会う叔父や叔母。従妹たち。それぞれが初めましてでぎこちなく接していたのだが、由紀はそんなものおくびにも出さずに触れ合う。お陰であっという間に親戚一同が馴染めたのだ。悔しいが、あの時ほど由紀の事を羨ましいと思った事はない。ホテルに泊まる予定だったのだが、気を良くした伯父が泊めてくれたのも由紀のお陰だ。

こんな事から、両親からは由紀を見習えとよくからかわれたものだった。

そんな由紀が眠れなかったという。これは異常事態である。

「何で眠れなかったんだ?何かあったのか?」

俺は、頬を伝う汗を手で拭いながら聞いた。

「うん・・・」

由紀は、どう言っていいのか分からないようで目をあちらこちらにやりながら考えている。

「にゃふ」

ミヨは、どう話すか迷っている由紀を励ますかのように由紀の膝に小さな前足を置く。出張前のミヨとは大違いで驚いた。

「ねぇ兄ちゃん」

ようやく話す気になったのか、由紀は顔を上げ俺を真っ直ぐ見ながら言う。

「ん?」

「この部屋って・・・出るの?」

「は?出る?」

「うん・・・・その・・・これよ」

そう言うと由紀は、両手を胸の前に上げて手首を下にだらりと下げる。俗にいううらめしや~である。

「は?んな訳あるか。上京してからずっとここに住んでるけど、一回もそんなモノ視た事がない」

「・・そう」

由紀は薄気味悪そうに部屋を見渡した。

「何で?何か視たのか?」

「うん。それと・・・声」

「声?」

「うん。昨日さ、ここで過ごす夜は今日で最後なんだって思ったからミヨちゃんと一緒に寝たのよ」

「うん」

どうやら、一週間過ごした事で由紀とミヨの距離が縮んだようだ。それについてはホッとする。

「何時ごろだったかな・・・12時は過ぎてたと思うんだけど、私トイレに行きたくなって起きたの。で、用を足して戻ってくる時に玄関がトントンって鳴って」

「誰か来たのか?」

「多分・・・でもそんな時間に誰かが来るなんて事あるの?兄ちゃんの友達かなって思ったんだけど、なんか怖かったから居留守を使ったのよ。だって、東京って田舎より怖いイメージがあるじゃない?だから・・」

確かに用心には越したことはない。出なくて正解だ。

何故なら、そんな深夜に訪ねて来る友人なんて俺には一人もいないのだから。

「ずっと叩いてるのよ。トントンって」

由紀はブルリと身体を震わせると、両腕で自分の身体を抱く。

「私どうしたら分からなくて、直ぐに警察に電話できるように携帯持って玄関の方まで行ったのね。そ~っとドアスコープを覗いて、そしたら・・・」

「そしたら?」


「誰もいないのよ」

その時の状況を思い出し怖くなったのだろう。声が掠れてきた。

「いない?」

「うん。だから、私自分が勘違いしたのかなって思ったの。お隣に来たお客さんがするノックの音を、この部屋のノックの音と勘違いしたかなって」

「・・・・・・」

俺はゴクリと唾を飲む。そんな事は有り得ない。何故なら、俺の部屋は角部屋だし半年前から隣は開き部屋になっているのだから。

「でも冷静になって考えてみればおかしいでしょ?隣はいないって兄ちゃん言ってたし。それ思い出したら凄く怖くなって・・・でもノックの音は止まないの。もう怖くて怖くて。姿の見えない何かが、ドア一つ隔てた向こうにいてずっとノックしてる・・自分でも、よく悲鳴を上げなかったなって思うわ。もうコレにはかかわらない方がいいんだって思ったから、ゆっくり部屋に戻ったの。で、そこの引き戸を閉めてベッドに入ろうと思ったんだけど、気になって振り返ったのよ。そしたら・・・」

由紀の顔がみるみる真っ青になって来る。

「どうした?大丈夫か?」

「・・・そこに・・・立ってた」

そう言って由紀は、震える指で俺の後ろにある引き戸の方を指さした。

俺は、体の向きを変え引き戸と由紀を交互に見ながら

「立ってたって・・・何が?」

「ハッキリとは分からない。真っ暗だし・・そう真っ暗だったのよ。ここの部屋もそっちも電気はつけてなかったの。絶対見えるはずがないのに何故かそこだけボウッとほのかに明るくなってて・・・赤い服を着た子供が、そこのガラスにピッタリくっつくようにして立ってた。輪郭とかは何となく分かるんだけど、目と鼻は分からない。分かったのは口だけ。真っ赤な小さな口」

その言葉を聞いた瞬間、電気ショックを受けたように俺の身体はビクリと跳ねる。

由紀の身体の震えが大きくなり、唇が紫になって来る。寒いのを我慢してプールに入った時の俺みたいだ。

「でね、その口が動いたの・・・それと同時に声が聞こえたのよ「だぁ~れだ」って・・・ほら、小さい頃やらなかった?後ろから友達の目を両手で隠して「だぁ~れだ?」って。あんな感じ・・・もうその後の事は分からない。気がついたら兄ちゃんに起こされてた」

気を失い大の字で倒れていたのか。

「あれ・・・ナニ?」

由紀の潤んだ瞳が俺を真っ直ぐにとらえる。納得のいく答えをくれと言わんばかりの視線の強さだ。

「・・・な、何か見間違えたとか・・」

由紀は力強く頭を左右に振る。

俺は可能な限り頭に浮かぶに関わらないような事を考えてみた。

この部屋は事故物件だったのか?でも、不動産屋で説明を受けた時事故物件などという単語は一つも出なかった。

もしかして、隣の部屋が半年前出て行ったのは幽霊が出るからなのか?開き部屋になったから、幽霊は人がいる俺の所に来たとか・・・いや、そんな事はない。だったらもっと早く来てるだろう。

うちの身内では有難い事に子供のうちに亡くなったという人はいない。じゃあ誰なのか・・・

腕を組み、眉間に皺をよせ考えるが全くそれらしい答えが出てこない。出てくるのは・・あの地蔵達だ。身体の一部が欠損した痛々しい地蔵達。肩を寄せ合い境内に密集している地蔵達。

その地蔵達の中にあった目を開けたあの地蔵。そして、その地蔵達を見下ろすようにして賽銭箱の上に座る日本人形。


~だぁ~れだ~


由紀はそう聞こえたという。俺達はあの時「こっち」という声を聞いた。だとしたら、あの日本人形と地蔵達とはここに出たものは違うのだろうか。大体、だぁ~れだなんて、そんな事こっちが聞きたいぐらいだ。

そもそも勝手に人の家に入り、姿もハッキリ見せないくせにガラス越しからだぁ~れだはないだろう。

一体その赤い服を着た女の子は何者なのか・・やはり、アレと関係あるのだろうか。

「う~ん」と唸り首をひねり考える。

「に、兄ちゃん?」

「ん?」

腕にしっかりとミヨを抱いた由紀が、今にも泣きそうな顔をして俺を見る。

「何か心当たりでもあるの?やっぱりここは事故物件とか?」

「大丈夫だよ。ここは事故物件じゃないって聞いてるし、何か見間違えたか、寝ぼけてたんじゃないか?」

「寝ぼけてた?・・・・そう言われると・・・」

由紀は小さく首を傾げる。

「そうだよきっと。寝ぼけておかしなものを見たんだ。大したことない」

俺は取り繕うようにして笑いながら言った。

「・・そうかなぁ」

由紀は釈然としない様子だ。

案外、その時は強烈に印象に残っていても時間が経つことで薄れていく。ましてや夜中にトイレに行った時の出来事だ。寝ぼけていたに違いない。いや、そう思いたいと言った方がいいか。

俺は、話題を変えるべく

「ミヨ。ただいま」

と、由紀の膝の上にいるミヨの名前を呼びながら両手を前に出す。

大きな灰色の瞳をこちらに向けたミヨは、垂れた耳をぴくぴくとさせると、ゆっくりと俺の近くに寄り手の匂いを嗅いだ。一週間留守にした事で飼い主の匂いを忘れる訳はないと思うが、猫という物は用心深いのだろう。匂いチェックが終わると、俺の手に自分の身体を摺り寄せてくる。

「おいおい、さっき俺に抱っこされたのに急に他人行儀はやめてくれよ。悲しくなる」

そう笑いながら言うと、ミヨを優しく抱き上げた。

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