異変

盆休み出張したからといって、代休が取れる程うちの会社に余裕はない。明日から仕事である。

恐ろしい目に遭ったせいかソワソワと落ち着かず、逃げるようにして帰っていった由紀を見送ったが、由紀の話を聞き薄気味悪くなった俺も何となく落ち着かない。

何度も夜中に起きては、すりガラスの引き戸に目をやる始末。お陰で寝不足のまま会社への出勤となった。

「あれ?」

出勤し、自分のデスクに座り眠気覚ましのコーヒーを飲んでいる時だ。

高野が出勤して来ない。

いつもなら俺より先に来て同僚と馬鹿な話で盛り上がっているはずなのだが・・・

「なぁ。今日高野休み?」

俺は少し離れた所にいる女子事務員に声をかけた。

デスクの上に折り畳みの鏡を置き、ひたすら櫛で髪をとかしている事務員は顔を上げると

「ああ、高野さんなら休みですよ。何でも体調が悪いとかで」

そう言うと、又ひたすら髪をとかす。

「ああそう」

そんなに髪をとかしていたら、その内無くなるんじゃないのか?などという軽口を叩けるはずもない俺は頷くとコーヒーを飲んだ。


出張の報告を上司に済ませた後、雑用をこなしている間に昼になった。

弁当など作ってくれる人もいない俺は、会社から程近い場所にあるいつもの弁当屋に行く。

小さな店構えの割には、大きな看板が掲げられた店で看板に「いもや」と書かれている。パートのおばちゃんが数人で切り盛りしている店だがとてもボリュームがあり味も美味い。値段がもう少し安ければと思うが、物価上昇の折致し方ないかと諦めている。

「おばちゃん。エビフライ弁当一つ」

カウンター越しにいつものおばちゃん~確か名前は鈴木さん~に声をかける。

「あいよ。あれ?今日は高ちゃんいないのかい?」

恰幅の良い身体に白い割烹着を着た鈴木は、テカテカと光る血色のいい顔をこちらに向け言った。

「うん。今日休みなんだって。体調が悪いらしいよ」

「ああそう。あんたも体大切にしなよ。若いからって無理すると、年取ってから大変だからね」

「ははは」

毎日のように会う「いもや」の鈴木は、俺にとって第二の母親のような存在だ。

「え?高野さん?」

厨房の方からタオルで手を拭きながら出てきたおばちゃん~こちらは稲毛さんだ~が、眉を寄せながら来る。稲毛は鈴木と違いとても小柄なおばちゃんだ。三角巾が小さい頭には大きく、顔まで隠してしまいそうだ。この二人はとても仲が良く、豪快な鈴木に対し控えめだが物怖じしない稲毛はとてもいいコンビに見えた。

「高野さんなら朝早くに来たよ」

「え?」

「今日は私早番だから、6時からいるでしょ?え~と・・何時だったかな・・ああ!6時45分頃だね。その頃に弁当買いに来たよ。二つ」

「二つ・・・」

「ああそうなの?じゃあアレだ。アレ」

鈴木はいやらしくにやけた顔をして俺と稲毛を交互に見て言う。

「アレ?アレって何?」

俺は、鈴木の意図が分からず問いかける。

「馬鹿だね~あんたも。アレって言えばコレに決まってるでしょ?」

そう言いながら鈴木は、小さくて太い小指を俺に見せつけるようにして出す。

「え・・・女?」

「やだぁ~鈴木さん」

稲毛は何故か頬を赤らめ、鈴木の逞しい肩をパシンと叩いた。

「ははははは!私達も若い時はねぇ~」

「ねぇ~はは!」

おばちゃん同士でしか分からない謎な会話が弾む中、俺は高野の事を考えていた。

(そんな朝早くに弁当二つ?体調が悪いのに二つも喰えるのか?しかも高野のアパートはここから二駅ほど離れた場所・・腹が空いて弁当買いに出たというのは分かるが、こんな遠くにわざわざ買いに来るか?近くのコンビニで十分だろう)

意味が分からない俺は考え込んだ。

「ほら!エビフライ弁当出来たよ!」

威勢のいい鈴木の声で我に返り、慌てて弁当を受け取ると会社に戻った。


午後からは外回りになる。

デスクワークが向かない俺にとっては仕事とはいえ、伸び伸びと出来るいい時間だ。

まだ髪の毛を気にしている事務員に、外に出て来ると伝え会社を出ると商用車に乗り出発。何件か顧客を回り、更に当てをつけていた書店に飛び込み営業活動。普段の俺からしたらかなり頑張っている。高野の分も・・などと、柄にもない事を考えていたからなのかもしれない。

いつの間にか時間は16時。

この辺りで切り上げるかと駐車場に停めてあった車に乗った俺は、車のエンジンをかけた。

「ん?」

駐車場の前の道を一人の男がフラフラとした足取りで歩いている。

「高・・野?」

俺は、その男が直ぐに高野だと分からなかった。何故なら、ぼさぼさの髪に不精髭。何処を見ているのか分からない焦点の定まっていない眼。左右にフラフラと揺れながら歩き、まるで薬漬けになった患者の様だったからだ。

俺は慌ててエンジンを切ると車を降りて追いかけた。


「おい!高野」

後ろから声をかけるが反応はない。仕方ないので、前に回り込む形で声をかける。やっぱり高野だ。

「お前今日・・・」

高野の腕を掴み言葉をかけるが、それ以上言葉が続かない。

様子がおかしい。

昨日まで、剃り残しのないつるりとした肌でやる気と活力に満ち溢れ、力強い眼をしていた高野が、不精髭を生やし目はうつろ。口からは細く涎が垂れている。中に着ているシャツがだらしなく外にはみ出し、折り目正しいシャツを着ていた高野とは思えない。

本当にコレが高野なのかと疑ってしまう程だ。

「おい・・・大丈夫か?」

俺は恐る恐る話しかける。

「あ・・・あ・・」

半開きに開けられた高野の口からは「あ」という音しか出ない。

昨日まで持ち前の雄弁なセールストークで顧客との交渉をし、ホテルに帰れば落ち込んでいた俺をなだめすかし笑っていた高野が・・一体どうしたというのか。

混乱した俺は、高野の両腕を掴み揺さぶった。

「おい、俺が分かるか?具合悪いのか?」

「あ・・・あ・・」

何か喋ろうとしているのだろうか。高野の表情に少し変化が見られた。

「おい!高野!しっかりしろよ!」

恐ろしくなった俺は強く揺さぶった。

ガクガクと首の座らない赤ん坊のように、高野の首が前後に揺れる。

「あ・・た・・かた・・・」

「あ」ではない違う音が出る。

「何だ?何が言いたいんだ?」

「た・・・んだ・・・み・・・」

「大丈夫だからゆっくり喋ってみろ!俺が分かるだろ?」

「き・・きた・・きをつ・・けろ」

「え?来た?何が来たんだ?何に気をつけるんだ?」

昨日の昼に別れてから今日までの短時間に、一体何があったのか。

「病院に行こう。まだやってるから。ほら、あそこに車置いてあるんだ。連れてってやる」

俺は高野の腕を取り駐車場の方へと歩き出した。

高野は、俺に腕をひかれるがままズサ、ズサ、ズサと足を進める。足音に違和感を感じた俺が振り返り足元を見ると、左足にはサンダル、右足には普段仕事で使用している皮靴を履いていた。

「・・・・」

どうしてこうなったのか分からないが、俺の言葉は高野には届かない。今までの仕事のストレスが一気に押し寄せたのか。それとも何処かに頭をぶつけたのか。だとしたら、外科に連れて行った方がいいのだろうか。総合病院なら適切な科に回してくれそうだ。等、考えていた時だ。突然引いていた腕の抵抗が強くなった。

「?」

振り返り高野を見る。

先程まで、焦点の合っていない眼をしながら口から涎を垂らしていた高野が、正気に戻ったのか普段見慣れた顔つきになっている。

「高野?大丈夫か?」

俺は、腕を離しホッとしながら呼びかけた。

だらりと腕を下げた高野は、ただただじっと俺を見ている。

「どうした?」

そう言った瞬間だ。

顔面が溶ける・・・俺はその時の高野の顔を見て咄嗟にそう思った。

炎天下の中、食べているアイスがどろりと溶ける。高温の炎の中でガラスが溶けるように、高野の顔は、顔の筋肉が力をなくしドロリと溶けたように笑ったのだ。音に出すとすれば「二チャリ」という所だろうか。

「高・・・・野?」

高野は、その溶けた顔の中にある口をゆっくりと大きく開ける。

幾筋もの細い唾液が糸のように並んでいる。そして、ゆっくりと両腕を上げ自分の両目を隠すと・・

「だぁ~れだ」

がらがらと痰が絡んだような声で言った。そして次の瞬間、脱兎のごとく車道の方へ走り出した。

けたたましく鳴らされるクラクション。片側二車線、計四車線の車道を突っ切るように走る高野。手前の二車線は運よく車が来なかったので難を逃れたが、反対の車線では無駄だった。大型トラックが金属を引っ掻いたような金切り音を辺りに響かせたと思うと、ドン又はガンという音をたてて高野の身体を勢いよく跳ね飛ばす。壊れた人形のように宙を舞い地面に叩きつけられる高野。

あっという間の出来事だった。息を吸って吐く。この一回の動作の内に起きたのではないかと思う位あっという間だった。

目の前で起きた事が理解できず、呆然と立ち尽くす俺。

周りの通行人の叫び声が響き、トラックから降りてきたドライバーは顔面蒼白となり、高野とトラックを何度も行き来している。その内、何度も取り落とした携帯電話でどこかに電話し始めた。

倒れたままピクリともしない高野。

「嘘・・・だろ・・」

何人かの男性が他の車を停めるため高野の方へ駆け寄るが、しゃがみ込んで高野に声をかける者はいなく、なるべく見ないようにして車を誘導している。中には、嫌なものを見たと言わんばかりの顔をしてこちらに戻る者もいる。

歩道を歩いていた人達も足を止め、顔をしかめながら高野を見る。「事故?」「ヤバくね?」等の声が飛び交い野次馬が増えていく。

その時だ。

いつの間にいたのか、倒れた高野の隣に赤い服を着た子供が立っていた。

その子供は、肩にかかる程の黒々とした真っ直ぐな髪。すだれのような前髪は眉の上で綺麗に切りそろえてある。しもぶくれの小さな顔の中には、どんぐりのような丸い眼と見落とすぐらいの小さな鼻。口は口紅を塗っているのかやけに赤く随分とおちょぼ口である。その女の子が来ている服・・・いや、着物だ。赤い着物。模様までは判然としないが、赤い着物に黄色い帯。足元は、倒れている高野の影になり見る事は出来ない。出来ないが俺は知っている。汚れのない真っ白な足袋を履いている

「あれは・・・」

あの賽銭箱の上に座っていた日本人形は、道に倒れている高野を首を横に傾げ見下ろしている。

救急隊員が高野の側にバタバタと駆けつける。そのうち警察官も来てドライバーに話を聞いたりと、現場が騒然となってきた。

そんな中でも、あの日本人形ははじっと立ち尽くし高野を見下ろす。

周りの人達には見えていらしい。

「何なんだよアレ・・」

俺の頭の中に残った幻を見ているのか。それともここまでついてきたのか。

高野の身体がストレッチャーに乗せられ救急車の中に運び込まれる。

「あ・・・・」

今まで、微動だにせず高野をジッと見降ろしていたあの日本人形が動いたのだ。

ゆっくりと身体を方向転換させた日本人形は、道路をすべるようにして移動し高野が乗った救急車に吸い込まれるようにして消える。

「え・・」

開いた口が塞がらない。

暫くすると、耳がつんざくようなサイレンを鳴らし救急車が走り去っていった。

野次馬達もそれが合図だったかのように一人二人と去っていく。

その時だ。


「あの人、貴方のお友達ですか?」

すぐ近くで声が聞こえた。

「え?」

見ると、知らない女の子が俺を見上げている。年の頃は10歳ぐらいだろうか。真っ白なポロシャツに紺色のプリーツのスカート。白い靴下に黒い靴を履いている。ショートの髪は柔らかくフワフワと風を受け、形の良い細い眉に人を吸い込んでしまいそうな黒目がちな大きな瞳。可愛らしい女の子だが、やけに大きなマスクをしている。なので、表情が読みにくい。

「あ・・・あ、ああ。そう」

思わず声が裏返った。

可愛らしい女の子に声をかけられたからではない。高野の異常さと、事故。そして不思議な日本人形。俺の皺の少ない脳が混乱状態で理解しきれなかったからだ。

「そう。お友達・・・残念でしたね」

女の子は悲しそうな表情になり目を伏せる。長い睫毛だ。マッチ棒が二本、余裕で乗りそうなぐらいだ。

「次は貴方の番ですが大丈夫です。私が助けてあげますから」

「へ?」

意外な言葉に、俺は更に変な声を出すとまじまじと女の子を見た。

よく見ると、大きな瞳の下にそばかすが沢山散らばっている。

「あの・・助けるって?」

「あら、あの女の子視えてたんじゃないんですか?」

「・・女の子って、あの日本人形の事か?君も視たのか?」

「はい。はっきりと。髪はこのくらいで赤い着物を着て黄色い帯をした子です」

自分の手を肩辺りに平行に持って行き髪の長さを示す。

その通りだ。

「君は霊感とかあるのかい?俺はそんなものないはずのに何で視えたんだ?第一アレは一体何なんだ?高野はあの日本人形のせいであんなふうになっちゃったのか?助けるって言うけどどうやって?それに今度は俺の番ってどういうことだ?」

分からないことばかりの俺は、矢継ぎ早に質問する。

「ふふふ。落ち着いてください。まず、自己紹介させて下さい。私はルナ。石の山と書いてルナといいます」

「石の山・・・珍しい名前だね」

女の子の名前など俺にはどうでもいい。どうでもいいが、一応漢字まで教えてくれたので何か反応しなくてはと、咄嗟にそう言ってみた。

「はい、私の祖父がつけてくれた名前らしいんですけどね。漢字で書いても誰もルナって呼んでくれないので、説明がいちいち面倒くさいんです」

人の名前には色々な当て字が使われたりする。昨今ではキラキラネームなどと呼ばれる名前が流行っていた。会社の女子社員の子供も確か心姫と書いて「はあと」と読むらしいと聞いて、呆気にとられたものだ。年取ったときに「はあと」さんなんて子供も迷惑だろうなと考えたぐらいだ。

「先ほどの質問に対して、全てをここでお話する事は出来ませんけど。一つだけ・・」

ルナは細く白い人差し指をピンと立てて話し始める。

「貴方にあの女の子が視えたのは、呼ばれたからです」

「呼ばれる?」

俺はドキリとした。

「そう。貴方達は呼ばれるまま行ってしまった・・心当たりありませんか?」

「心当たり・・・」

俺は直ぐにあの神社を思い出した。境内に密集した地蔵達と日本人形。

「・・ありそうですね」

ルナは、俺の顔を覗き込むようにして言う。その瞳はやけに黒目が大きく、例え噓をついても全て見透かされてしまうような目だ。

「あれがそうなのかは分からない。分からないけど、確かに高野はあの時「呼ばれた」と言っていた。そして・・」

「ふ~ん・・・・」

ルナは細い両腕を後ろに組み、大きな漆黒の瞳が俺の顔を値踏みするかのように見始める。

「な・・・何?」

「ふん。お地蔵様ですね」

「え?」

「沢山のお地蔵様、驚いたでしょう。まるで、お地蔵様の墓場みたいだもの。それにそんな場所に場違いに置かれた日本人形・・」

「・・・・・・」

俺は言葉が出なかった。

この子には一体何が視えているのだろう。あの日本人形も視えているようだし。まして地蔵の事まで。それに、地蔵の墓場とはあの場所で俺が言った言葉だ・・

「君は何者なんだい?何が視えてる?まるで、あの時俺達の側にいたみたいなことを言う」

「ふふ。質問ばかりですね。でもしょうがないです。初めてお会いして全てを見透かされたような事を言われれば不思議に思うのも当然です。その質問には・・・・」

思案するようなそぶりを見せたルナは

「話が長くなりそうなので後で話します。又すぐにお会い出来ますから」

ルナはそう言うと小さく頭を下げ、プリーツのスカートを翻し可愛らしい笑顔を残して去ってしまった。

「・・・何なんだ・・」

気が付くと辺りには暗くなりかけていた。

慌てて腕時計を見る。19時45分。

「ヤバい!」

一瞬で現実に戻った俺は、慌てて会社へ戻るため駐車場へと走った。


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