数珠
鳥居があるのだからそこから先には、手水場があり狛犬や灯篭、拝殿があるのだろうと思っていたが、そこには予想だにしないものがあった。
とても小さな拝殿の前、狭い境内一面に地蔵が沢山並べられていたのだ。いや・・・これは地蔵と言っていいのだろうか。俺が知っている地蔵は石像だ。大きさは様々だろうが、一貫して石で作られているものが地蔵だと認識していた。だが、ここにある物は全て木で出来ている。
首がない地蔵に身体が半分欠けた者。上半身がない者に最早ただの丸太の様になってしまっている者。どれも全て完全な形を成していない地蔵ばかりが、互いに身を寄せ合いながら立っている。
「何だよこれ・・」
「分からん」
「地蔵・・だよな?ここは地蔵の神社なのか?」
「地蔵の神社?そんなの聞いた事がない」
「俺もないよ」
俺達二人はその場で呆然と立ち尽くす。
一体この神社は何なんだ?そもそも本当に神社なのか?境内にこれだけのーざっと見ただけでも20体以上はあるー地蔵を集めるなんて尋常じゃない。しかも皆不完全な形。まるで地蔵の墓場のようだ。
慄然としながら考えていた俺は、ハッと気がついた。
音がない。あれだけ五月蠅く鳴いていた蝉の声が全く聞こえない。林や森などは、虫や動物が動く微かな音や葉や木の実が落ちる微かな音が重なり合うため、ここまでの静寂は有り得ない。
異様な雰囲気に、足元からスゥっと冷たくなっていく。
鬱蒼とした木々に囲まれた神社。今にも崩れ落ちそうな拝殿。その前には何の動物なのか分からない小さな狛犬らしきものが両方に鎮座している。厳かな気分と言うより、不安と恐怖が掻き立てられる神社。
「中に何かあるかな」
高野は拝殿の方へ歩いていく。
「おい!どこ行くんだよ」
その時、俺はある物に気が付いた。無数の打ち捨てられた地蔵にばかり気を取られ、ソレが目に入らなかったのだ。もし、地蔵がなかったからソレに対し一番に恐怖を感じて逃げ出していたかもしれない。
「おい・・あれ・・」
俺はソレを指さし言った。情けないことに声が掠れ震える。
「なんだ?」
高野は、俺の指している先に視線をやるとさっと表情を硬くする。どうやら、高野も気が付かなかったらしい。
無数の打ち捨てられた地蔵の背後にある拝殿の前の賽銭箱の上に、小さい金魚の絵が沢山描かれた赤い着物に、黄色い帯をした日本人形が一体置かれているのだ。帯紐に可愛い巾着までぶら下げている。肩にかかる程の黒々とした真っ直ぐな髪。すだれのような前髪は眉の上で綺麗に切りそろえてある。しもぶくれの小さな顔の中には、どんぐりのような丸い眼と見落とすぐらいの小さな鼻。口は口紅を塗っているのかやけに赤く随分とおちょぼ口である。立ち姿ではなく、賽銭箱の上に足をまっすぐ伸ばした状態で座っている。汚れ一つない真っ白な足袋が、やけに白く見えた。誰かのいたずらだろうか。
「お、おい高野。帰ろう。なんか嫌な感じがする」
「ああ、そうだな。でも、ちょっと待ってくれ」
高野はそう言うと、泥棒の様に足を忍ばせ拝殿へと上がると、観音開きの戸を片方開けた。
「な、何やってんだよ!」
慌てた俺が止めようと走るが間に合わない。高野は、するりと拝殿の中に入ってしまった。
「ちっ」
俺は舌打ちをすると、日本人形を警戒しながら高野の後に続き拝殿の中へ入る。
中は、夏と思えない程ヒンヤリとしていた。やけにジメジメとしており、動物の死骸でもあるのか何かが腐った様な臭いがする。
中は薄暗く、片方開けられた戸から入る明かりだけが頼りだ。祭壇も何も無くガランとしている。廃神社なのだろうか。明かりが届かない隅の方から、今にも何かが這い出てきそうだ。
「おい・・高野。高野。早く出よう」
先に入った高野は、真ん中辺りでしゃがみ込んでいる。
「おい!高野!」
「これ・・何だろう」
「あ?」
これ以上中に入るのは嫌だったが、気になった俺は高野に近づき覗き込む。
「何だそれ」
高野が見ている物は、四角い木の箱だった。黒ずんだ紐で縛られている。
「分からないけど、ここに祀られてるものだろ。早く出よう」
俺は、自分の体を両腕で抱きながら言った。寒いのだ。ガチガチと歯が鳴るぐらい寒い。吐く息は白く。真夏とは思えない寒さだ。
「気になるだろ」
そう言った高野は、俺が止めるまもなく紐を解き、蓋を開けた。
「あっ!」
「え?」
二人同時に声が出た。
箱の中には、白い布で巻かれた何かが入っている。
「何だこれ」
高野は戸惑うことなく箱の中からソレを取り出し、ハラリ布を取った。
布に包まれていたのは、バラバラになった数珠だった。茶色なのか黒なのかもう分からなくなっているその数珠玉は、辛うじて紐に繋がっている。
次その瞬間、拝殿の中に漂っていた腐敗臭が更に濃くなった。
濃い土の臭いに腐敗臭が混ざった臭い。獣の臭いもする。
「何だ!?臭いな。おい、マジでそれ元に戻せよ。何かヤバそうだぞ」
「そ、そうだな」
高野は慌てて数珠を布で包み、箱の中に戻す。
「早く出ようぜ」
俺たち二人は逃げるように拝殿からでた。
外に出ると、熱風を当てられたかのような熱気に包まれる。鳥肌が立っていた身体から一気に汗が吹き出す。
「アレ、ヤバいぞ」
「かもな」
「さっきの匂いなんだったんだ?それにめちゃくちゃ寒かった」
「ああ」
高野の顔色が真っ青になっている。今更ながらに自分がした事に恐ろしくなったのだろう。
「行こう」
高野が言った「呼ばれた」という事が気になったが、こんな所には長居しない方がいい。それに、ざっと見た感じでも誰一人ここにはいないのだ。きっと、空耳だったのだろう。
俺達は足早に来た道を戻り始めた。
~こっち~
高野と俺は同時にピタリと止まる。何も言わず振り返る事もせず全神経を耳に集中させる。
高野のゴクリという唾を飲み込む音が聞こえた。
~こっち・・ははは~
また聞こえた。男か女か分からない声。若いのか高齢なのかも分からない声。
俺は目だけを動かし高野の方を見る。
「・・聞いたか?」
「ああ・・・・聞いた」
これだけ確認すれば十分だった。俺たちの次の行動は言わずとも一緒だと思った。
そう。逃げるのだ。
俺は焦る気持ちを押さえながらそのまま走った・・・・が、高野は違った。
俺とは逆の方向、境内の方へ戻ったのだ。
「は?高野?!」
突然の事に驚いた俺は、苔むした飛び石から滑りそうになりながらも何とか後ろを振り向く。もう高野の姿は見えない。
「何やってんだよ!そうじゃないだろ?」
予想外の高野の行動に驚いた俺は叫んだ。
あんな気味の悪い声を聞いときながら、また戻るなんてどうかしている。
高野を置いてさっさと行ってしまおうか。
そんな事が頭をよぎりながらも、高野の名前を呼ぶ。だが、いくら呼んでも高野は姿を見せない。
「ちっ!!」
俺は大きく舌打ちをすると、境内の方へと戻った。
イライラしながらも神社に戻った俺は、辺りを恐る恐る見回した。そこには、地蔵の群れの真ん中辺りに腰をかがめている高野以外、誰もいなかった。
「高野!何やってんだよ」
高野はチラリと俺を見たが、又すぐに視線を戻す。
「何見てるんだ?」
気になった俺は、地蔵達を避けるようにして回り込み近くまで行く。賽銭箱の上に置かれた日本人形の真っ直ぐな視線が、俺を見ているようで落ち着かない。俺が来た事が分かった高野は下の方を指さして「これ」と言う。
高野が指を指した方には、下半身~地蔵の上半身と下半身の区別はつきにくいが腹から下という事だ~がない。下半分が地面に埋まっているかのように置かれている。
「うわ~。何だよそれ。下半身がないじゃないか。その地蔵がどうかしたのか?」
「お前、これ見ておかしいと思わないのか?」
「は?」
「この地蔵目が開いてるんだよ」
「目?」
俺が立っている場所からはハッキリとは分からないが、確かに目が開いているように見える。
「それがどうしたんだ?」
「どうしたって・・・目が開いてる地蔵なんているのかよ」
「さぁな。地蔵によってはいるんじゃないか?地蔵の顔なんてじっくり見ないから知らん」
そう言いつつも考えた。
確かに俺が見てきた地蔵全て目をつぶっていた。眠っているかのように一直線に掘られた目。口元はにこりと微笑んでいたりいなかったり・・・
「ざっと見ただけだけど、目が開いてるのはこの地蔵だけだ。しかもよく見てみろよ。目が黒く塗られてるんだ」
「え?黒く?」
俺は恐る恐る地蔵の目を覗き込む。
確かに高野の言う通り、目が黒く塗られていた。墨でもなくマジックでもなく、生きた人間の目を入れたかのような目。ゾクリと身体を震わせた俺は
「ま・・まぁ、中にはそういう地蔵もいるだろうよ」
と言った。
正直、こんな地蔵見たことも聞いたこともなかった。気味悪くてしょうがない俺は、早くこの場から逃げ出したかった。
しかし高野は、目が開いてる地蔵をしげしげと見ている。どうしてそこまでその目の開いている地蔵に興味を持つのか分からない。
「もう分かったから帰ろうぜ。なんか気味悪い。さっきの声も何かと聞き間違えたんだ。風とか車の音とかさ」
自分で言っていて、それは絶対に違うと分かっている。車なんてここに来てから一台も見ていないからだ。だが、そう言わないと高野が動かないと思ったのだ。
「・・・ああ。そうだな」
高野はそう言うと、何故か名残惜しそうにその場から離れた。
俺は、高野の気が変わらないうちに腕を掴むと早足に歩き出す。
その時、チラリと地蔵の方を見た。あの下半身のない地蔵の目が俺と高野の動きに合わせて動いたように見えたが、気のせいだと思う事にした。
こんな気味の悪い所から早く抜け出したかった俺は、ダッシュで走り去りたい気持ちだったが、苔むして欠けていたりする部分が多いので、危なくて出来ない。
それでも俺はなるべく早く神社から離れるため、足を動かす。
「ちょ、ちょっと・・あぶな・・」
途切れ途切れに高野の声が聞こえてくるが、構わない。
何かに追われるように、俺は走り出した。
「ふぅ~」
なんとか転ぶ事なく無事鳥居から出た俺は大きく息を吐く。
全身汗びっしょりで、ワイシャツが身体に纏わりつき気持ちが悪い。とめどなく流れる汗が目に入らないよう手で拭う。
「あ~風が気持ちいいな」
高野は、目をつぶり気持ちよさそうに顎を上げ風を受ける。金髪の髪が風にサラサラとなびいている。
「え?」
高野のその一言で気がついた。
風がある。周りからは自分を誇示するかのように騒がしく鳴く蝉達。空を見上げて見れば、小さく飛行機が見え地上に数秒遅れてエンジン音が聞こえてくる。
(やっぱりあそこはおかしい。異常だ)
改めて、あの神社がある空間の異常さにぶるりと身体を震わせる。
「もうホテルに戻ろう。明日帰らなくちゃいけないし、それまでゆっくりしたい」
「そうだな」
高野は何度も神社がある方を振り返りながらも俺の後に続き歩く。
その時ふと俺はミヨの事を思い出した。
(ミヨ。ちゃんと大人しくしてるかな)
実は高野の目を盗んで、俺は毎日由紀に電話をしてミヨの様子を聞いていた。飼いネコの心配で毎日電話しているなんて事が高野にバレたら何を言われるか分からない。なので、電話をする時間もこちらの都合でまちまちだがちゃんと由紀は電話に出てくれた。
毎日電話するものだから、由紀から
「あのさ兄ちゃん。私だって、猫の世話くらいちゃんとみられるのよ。毎日毎日電話して来ないでくれる?」
と、最後には飽きられてしまった。
そんな事を言われたら、掛けたくても掛けられない。
仕方なく俺は、昨日から電話をするのを我慢している。
(あいつ猫のくせに人見知りするからな。もう少し外に出して人に慣れさせた方がいいのかも)
さっき見た恐ろしい光景を頭から払拭させる様に、夢中で考えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます